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自分の時間を持てた時に湧き上がる不安感。

 時間の過ごし方について、最近ずっと考えている。昨日も一昨日もそんな記事を書いた。

 シームレスな時間を過ごそう、と思い始めた途端、なぜか「不安感」が胸の内に広がっているのに少し驚いている。

 この不安感って何だろう・・・

 少しでも時間があったら、”何かやらなくちゃ”と思ってなぜか焦ってしまう。そういえば、友人でいつもいつも忙しくしている人がいる。忙しさで何かを紛らわすかのように。何を紛らわしているのだろう?
 それと同じく、私も実は自分が自分らしく過ごす時間があると知って、”自分の時間を持てない”という言い訳を失ってしまった。自分らしい時間を過ごせるのに、忙しさや何かのせいにしていて、いつもどこか”足りない感じ”とか”不満な感じ”とか、今度はそれがないと逆に不安になるというパラドクス。

 時間はそこにあった。それなのに、今度は、それを知ったら不安な気持ちが湧いて来た。自分らしい時間を過ごさなきゃという、おかしな強迫観念みたいなものが。自分らしい時間を過ごせていないかもしれないという不安。書いてみるとかなりバカげている事がわかるけど、そういう風に、自動的に自分はそう思うようになっていたのか。

 なんども書くけど、書いてみると、不安になることなんてないことは分かる。

 書いてみると・・・自分の時間を、何もしないで過ごそうが、テレビを見ようが買い物に行こうが、何をしたって自分の時間でしかないのに、何か”有益なことをせねば”だの、”効率的にならねば”だの、”時間が勿体無い”だの、全然、シームレスじゃないことを考えてしまう。

 まあ、それに気づいただけでも良しとするのか。

 いや、書いて見て、分かること。そのために、書き出してみる。

 一方で、書いている間は、”何か有益なことをしている”ような気がして不安感は消えていく。

 何もしなくても、何もできるようにならなくても、何も進歩しなくても、もう初めから完璧な存在なのに。子供を見ているとそれがわかっているはずなのにね、もはや、脳の条件反射なのか。

 子どもの頃のように、猫のように、

 眠りを純粋にむさぼったり、お腹が空いて泣いたり(鳴いたり)、その心と身体の生きるままに、過ごせるように戻っていくのが大人の課題なのだろうか?

 

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