三角山トレイル#10 無理して頑張ることをやめたら世界は美しかった。
デイリートレイルを始めてしばらく。楽しくて始めたはずなのに、行くのが億劫になってきていた。
なぜ億劫になっているのか。自分に問うと、メチャクチャ息が切れて苦しいけど、毎回、頑張って登っていたから。
ちょっと行きたくないなあ。頑張りたくない・・・雨降ってくれたらなあ
なんてことさえ、思い始めていた。
何に強制されるでもなく。
不思議なものだ。
環境と自分の心のクセ
なぜそんなふうに思うようになったのか、考えてみる。
それは、無意識に自分が反応するようになってしまっているからだ。
毎回、GPSを使った、ログ機能のあるアプリとウォッチ型のギアを使っている。それは出発するときにスイッチを入れておけば、軌跡のみならず、距離やカロリー、高低差など色々なデータをログ取ってくれるので便利ではあるが、2回目以降になると、いつのログが最高タイムか、なんていうのも表示されるようになる。
自分でも、昨日は〇〇分で走破したから今日はもう少し頑張ってタイムを縮めよう、なんていう目標が出てきてしまったりする。
ついつい、しんどいのにゼイゼイ言いながら走ってしまっていたのだった。
トレーニング嫌いなはずなのに・・・マラソン嫌いなはずなのに・・・
あるいは。
誰かが先に歩いていたとする。それを早足で抜いたら、その先では何となく、休めない。抜かれると、またあとで抜くとき少しばかり、バツが悪いというかなんというか。
通りすがりの人に、「早いね〜」などと、声を掛けられたら、その後休めない。
色々な外部からの働きかけに、勝手に脳が反応して、無意識に頑張るように駆り立てていたのだった。
そんな風に、人はプログラムされている。
そう気づいたので、今日は少しペースを落として、周りの景色を見ながらゆっくり上がって、好きなように降りてこよう。走りたくなったら走ればいい。止まりたくなったら、止まればいい。
そう思うと心が軽くなって、山へと足が向いたのであった。
美しかった初秋の山
綿菓子のような、カツラの木の香りが静かに漂っていた。
鳥の声があちこちにこだまして、遠くには街の音も聞こえる。
風が枝を揺らす音。それとともに、ハラハラと少しずつ、葉が落ちてくる。
朝から眩しく晴れたと思ったら急に大雨が降ったり、青空の中に雨雲がどんどん流れていて一瞬にして天気が変わる。
頂上の少し手前では、柏餅の匂いがした。
柏の木があるのだろうか。それを探していると急に光が射してきて、木漏れ日が風に揺れた。
しゃがんで、葉を観察する人々。
FALL。英語で、秋は「落ちる」。これは本当になるほどと思う。
落ちた葉はよくみると全てが違っていて、とてつもなく美しい。オシャレなのである。ずっと落ち葉を見ながら歩いていると、全然飽きない。
葉が秋になって枝から離れて落ちるのは、ああ、もう気持ち良いなあ・・・と手を離したようだ。春に息吹いてその色を濃くしていき、思い切り頑張るような、青春みたいな夏を超えたとき、あ〜もういいや。と手を離す。力を抜く。その時にハラハラと気持ちよく散って、地面に落ちて、もっとも美しくなる。それが秋。
力を抜いて、手放す季節なのだろうか。
それはやがて土の中に取り込まれ、雪に覆われ・・・また春になって新しく息吹く。
美しかった。
ランニングアプリのログには、心拍数や、距離や、時間は記録されるけれど、そこで見た景色を心がどう見たか、どう満足したか、どんな喜びを感じたかは、記録されない。
何のために山に毎日行き始めたのか、だんだん忘れそうになっていたけれど、決してタイムを伸ばすためでも頑張るためでもなく、ただただ、楽しむためだったはずだった。
足を止めて、山を見たら、それはとても美しい世界でした、というお話。