生きていくこと、難しすぎるだろ!!
なんとなくぼんやりと毎日生きていると目まぐるしく動いていくコンプレックスと対峙して、無能感に苛まれる。
生まれてからある程度の倫理感が、形成された瞬間に生まれたコンプレックス。
運動が出来る。見た目が良い。社交的である。友人が多い。パートナーがいる。労働環境に不満がない。記憶力が良い。体に不調がない。お金を持っている。要領が良い。バイタリティがある。学歴がある。家庭に恵まれている。地道な努力が出来る。
努力してなにかを手に入れても、結局なにかを求めてしまう。
ふとした日に、無双感を手に入れることはあれど、それは限定的で、気付いたら忘れてしまう
毎日訪れる、無気力。無能感。
なにをしても楽しくない時間が人生のほとんどだった。最悪の人生は目を覚ます度に始まって、ただ生きていくだけで最悪だった。
生きていくだけで伴う最悪の事象、空腹も、移住地も、それは最悪の仕事と最悪の人間関係に繋がる。
精神的自転車操業だった。いつ終わってもいいように毎日ギリギリの生活をした。
あまりにも生き繋ぐ事が難しかった。精神科は何度も行ったが、人と交わってお金を払う行為がそのまま鬱に直結するので、精神科は途中から辞めた。
案外鬱の治療は簡単だった。
毎日大量の日光を浴びて生活リズムを整えた。光療法と言うらしい。
睡眠リズムとヒーリング音楽で睡眠周期をなるべく一定に整えた。
食生活は徹底した。栄養素から血糖値の管理まで、あらゆる手を尽くした。
1番苦手だった運動は、これらを全て行い続けて、やっと出来るようになった。運動の鬱改善効果は抜群だった。
ただ、現実はなにも変わらなかった。自己肯定感は生まれつき変わらなかった。
鬱を改善しても仕事は上手く出来ないし、周りに言えるような好きな趣味は見つからない。
今までのコンプレックスは自傷的なものから鬱を改善することによって敵意に変わった。
自分自身が情けなかった。頭では理解している醜い小さな器は時間をかけないと消化できない。ふとした瞬間に出てしまう。そんな自分が大嫌いだった。もっと広い心を持ちたいと思った。
お酒が好きだった。
お酒は嫌なことを忘れさせてくれるだけじゃなく、人に優しくなれる。
毎日倒れるまで飲んだ。
毎日渦巻くギラギラしたした汚い小さなコンプレックスを消してくれる。
自傷的に飲んでいたお酒も、身体が悲鳴を上げてからほどほどに飲む事を知った。
お酒を飲んでいると人を純粋に好きになれた。
人に純粋に話しかけることが出来た。
作り物ではない笑顔をすることが出来た。
感謝をする気持ち良さをお酒が教えてくれたのである。
いわゆる「アラサー」になってから、毎日の飲酒量は増えていった。
お酒を入っていない状態で人と話すことがあまりないので、「広い心を持ち続けている自分」が当然になった。
「天真爛漫だね」
「いつも笑顔でいるところがいいね」
なんてありえない言葉をもらう事が多くなった。
いつもの引き攣った笑いは無くなって、
気づいたら卑屈でない自分がスタンダードになっていった。
そんな自分も好きになっていった。みんなを好きになった。
斜に構えず正面から向き合うと、今まで馬鹿にしていた人間も、嫉妬していた人間も、自分と同じカテゴリの人間であることを知った。
と、ふとした瞬間感じてしまった。
鬱の第三波突入である。
自分は「自分は他人とは違う」と思い込むことで他人と比べられないようにしていたのだ。
みんな人並みに悩んで、人並みに苦しみ、人並みに努力をして、人並みの人生を歩んでいる。自分は果たしてなにをしてきたのだろうか。努力なんてした事があるのか。この苦しみは人並みだったのだろうか。
こんなループは何回繰り返されるんだろう。
最近は元通り、人と話さない生活を歩むようになった。
NHKの「かわいい動物」を深夜ボーッと見ていると時間は過ぎて、早く寝なきゃとなって、必死で日光浴と運動に励んで、多分もう鬱は治っているはずなんだけど、毎日が最悪で真っ暗である。
性格は変な矯正をしてしまったから、今は人が好きで好きで堪らない。
全ての人に幸せになって欲しいと思う。誰かの為に生きる事でなんとか生き繋いでいる。
自己否定感がどうしようもない形に歪んでしまっただけなのだ。
案の定元気な期間、小さな会社を立ち上げてしまった。なかなかに成功している。毎日仕事をして、休日は友人と飲んで、帰って一人映画を見て寝る。
最悪の毎日がまた始まった。元気だった少し前より、生活は良いなっているはずなのに。
どうしたら改善できるか教えてくれ〜
人生難し過ぎるぞ!!!