母とラーメン
ラーメンを愛している。火傷する寸前の熱さに煮えたぎった液体から箸で麺をですくい上げ、口に運んで味わう至福の瞬間。
と同時に、世界で2番目に嫌いな母がラーメンを同じように愛していることを思い出す。
料理が嫌いな母は高頻度で食卓にカップラーメンを出した。自分の労力を必要以上に使いたくない人でカップラーメンを愛していたので、何の問題もなと信じたゆえの行動だったように思う。
そんな母の作るものの9割はおいしいとは言えず、本当に料理教室へ通っているのか不思議だった。
例えばレシピ本に100のレシピが記載されているとする。その中からどう考えても難しいものや、通好み(といえば聞こえはいいが……)のものをわざわざ選ぶ。絶望的なチョイスに料理下手なことが加わって、食卓には一口食べたら遠慮したいようなものが並ぶ。ごめんなさい、と残そうものなら泣き叫ばれて髪の毛を引っ張られ蹴られるか、怒鳴り散らされるかのどちらかったので、水で流し込みながら渋々食べた覚えがある。
そんな母の今一番のお気に入りは、とある袋麺だった。カップラーメンはとおの昔に卒業していたがラーメン好きは相変わらずだった。塩分が多めで、病みつきになる味をした袋麺。実家の棚には、それが常時20袋はストックされている。
母は全てのことに対してネガティブに考える人で、モノも過剰にまでストックを用意していないと不安で押しつぶされそうになる人だった。だから実家は常にモノで溢れている。そう、今も。
一方で自分の興味のないことには一切目を向けず、それが必要なことだったとしても見向きもしない。0か100か。白か黒か。中庸とは程遠いところに生き続けていて、それを他人にも強く、やわんわりと、しかし最後はほぼ強制的に押し付ける。自分の不安も他人に共有してほしいのか、過剰に怖がらせることをわざわざいう。考えたことをフィルターにかけられないタイプだから、それは呪いとなって人にまとわりつく。
母はそういう人だから仕事でも友人関係でもトラブルを起こしては、家族に延々と文句や恨みつらみ、愚痴をぶちまけていた。そしてこれがいつまで経っても終わらない。何週間も同じことをただずっとつらつらと話し続ける。こちらからの意見やアドバイスは右から左に筒抜けているのか、愚痴の内容に全く何も変化もなく、本人が話し疲れるまで続く。ときには何年も終わらない。
トラブルを起こしていない時期がないから、家族は休む間もなく何かしらの愚痴を聞かされ続ける。
あなたのお母さんは残念な人だから。そういわれたことは数え切れない。お母さん、変わった人だよね、ともいわれた。
母は自分が変わっていると理解できない人で、口癖は「周りがおかしい」だった。一方で、自分と同じような人種とつるんで文句をいいあって傷をなぐさめあって、「私、誰にも理解されてこなかったから」とやっているコミュニティーでは奇跡的にトラブルを起こしていないのか、楽しくやっているようだった。
良かったねようやく居場所が見つかって、と思いながら、母と少しずつ本当に少しずつ距離を取っている。
逃げても追われ、延々と呪詛のように文句と愚痴を聞かされた10代のころは、とうに終わった。耳を塞いだら殴られたけど、今、背が高くなった私にそんなことはできないと思う。親だから、母だから、いろいろ助けてもらってもいる、と罪悪感をつのらせて離れられない日々は、少しずつ塩分過多のラーメンを、底の見えないラーメンを、ずっとすすっている状況と同じだ。
母は私の人格や性格や行動や選ぶ道の全てを決定してしまわないと気がすまない人だった。そして、それがかなわないと知ると、自分がこうむった心の傷の分、相手に罪悪感を負わせないと気がすまない人になった。いや、もともとそういう人だったのだ。私が知らなかっただけ。運悪くそんな人のもとに生まれてしまった私が、たぶん悪い。
いえ、そんなことはないよ。生まれる親は選べない。越えられる試練しか神は与えない……そんなわけないだろう。ただ単に子どもを持ってはいけない人が子どもを持ってしまって、母という立場を利用してわがまま放題好き勝手やって、子どもの脳を壊しただけ。
次は子育て失敗しないから、と言われたのはいつだったか。良かったね、私にころされないで。
母は今日もラーメンを食べている。明るい家族の食卓にありそうなオレンジ色のパッケージの袋麺。今日も明日も明々後日もずっと、母はあれをお昼12時ぴったりに作って食べるのだろう。もやしとほうれん草と卵と冷凍にした豚バラ肉の細切りを入れて。
ずっ、ずっ、と麺をすする音がする。ニオイと湯気が私の腕に、頭に、肩に、胴体に、足にまとわりつく。たまらず振り返ると、そこには空になった丼だけがポツンと残されていた。躁鬱は続く……。