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知らないうちに損なわれる能力

先日、野球好きのおじいちゃんに誘われて、横浜スタジアムへ家族初観戦に行った日の事である。
夏日が盛りの炎天下で、熱中症予防に持ってきた保冷剤は、まず目玉焼きが仕上がるレベルに熱せられたベンチシートの冷却に使われた。もの凄い勢いでお茶をバキュームする長女を横目に、スタジアム名物のビールを早速いただく。700円といいお値段するが、予想通りの喉越し。そしてこのまま飲み続けるとやばい脳内アラームも鳴り始めた。炎天下のビールは美味い迎え酒のようなものかも知れない。
落ち着いて試合を観戦し出すと、たちまち軽く混乱した。私自身、生観戦は初めてである。大してファンでもないが、流石にルールは理解している。しかし、この目の前で進行中の試合については、どこを見れば良いのかいまいちわからなくなってしまう。1塁側内野席にいるので、ボールが投げられたのはわかる。キャッチャーが取る。今のはボール?ストライク?審判を見るともう判定アクションは終わっている。BSOのランプがつく掲示板に目を写して確認。しかもこの掲示の順番、昔と変わっている(いつ変わったのだろう?全然見てない証拠だ)。私の家にまだテレビがあったころは、SBOで一番上がストライクの列だった。2ストライク3ボールをツースリーとか言ってたから確かだろう。今の順番ならスリーツーと言わなければならない。とか何とか考えている時点で、ぱっと見今のカウントがわからない。そうこうしているうちに次のボールが投げられて、また判定を見逃す。また、ボールを打ったら打ったで飛ぶ先を見失ったりする(でもこれにはすぐ慣れた)。守備がもたついているのを見て、今のはヒットになるのかエラーになるのかを掲示板で確認するが、EとHがエラーとヒットの略称だという事に、当然何も解説がないので、見ながらああそういう事だっけと学ぶ事になる。またこの日は大口スポンサーの湘南ゼミナールDAYで、回の間には大画面にCMが流れる。と、画面の下に目を移すと中萬学院のバナー広告が小さく出ているのが気になる。競合だけど良いのかな…と思っているうち、また試合が進む。この日のベイスターズは全くいいとこなしだったので、凄い勢いで攻撃回が終わる。体感値で、ベイスターズの攻撃の半分も観戦した気がしない。
後で思い返すと、この状況は私に「フォーカスする能力」が不足しているために起こっていると言える。どこを見ていいかわからない、というのは正にそういう事だ。ではなぜフォーカス能力の不足が発生したのか。これはおそらく、今まで野球において自分でフォーカスする必要が無かったからに他ならない。今どこを見るべきか、ボールはどこか、判定は何か、略称はどういう意味か、それらは全て考えなくても良かった。テレビ中継が、音と文字と編集で教えてくれていたからだ。フォーカス能力とは、情報を取りに行く力とも言える。私は生まれてから40年の長きにわたり、野球観戦に必要な情報を手取り足取りテレビ中継から頂いていた。自分で取りに行く事が無かったからこその、せっかくの初観戦でこの体たらくである。
この話は、実は野球だけに留まらない。そもそもテレビ番組全般において、視聴者の受動的なスタンスを前提に作られている事は確実だ。年々過剰になるテロップにしても、何も意識しなくても意識すべき事に絞って文字が出てくるという意味で、私たちはフォーカスする必要がない。フォーカスする事はめんどくさいため、視聴率を落とすのである。昔から「テレビばっかり見てたら馬鹿になるよ!」と親に叱られていたものだが、そんなに外れてはいない。何が必要な情報か、自分で判断できなくなるとすれば、それは馬鹿になっているのかも知れない。
ネットリテラシーと呼ばれる能力も、結局はこの類だろう。雑多な情報のどこに焦点を当てて全体像を理解するか。藤原和博氏の言うところの、情報編集力が問われている。色んな人が色んな言い方をしているスキルの全容が見えてくる。
「子どもの教育」という切り口に落とし込んでみよう。必要な事は、自分から情報を取りに行く意欲を保つ事、全体を解釈するために必要な情報に正確に焦点を当てれる事などだ。つまりは、子どもがそのコンテンツに相対した時に、自分の頭で考える、想像する余地がどの程度デザインされているか、という事になる。例えばE-leaning は流行りモノだが、その多くが今まで学習者に考えさせたり想像させたりしてきた余地を、わかりやすさという名目の元で無くしている。難しいのは、そういった余地を排除する事が適切と言える学習者も存在するという事だ。例えば学習障害を抱えている場合は、デジタル教材ならではの仕組みや表現が理解を進めてくれる場合がある。こういう風に意図されているなら良い。怖いのは意図せずにリリースされた、キャッチーな教材だ。その教科のその単元は理解できても、知らないうちに、自分で考える練習を奪われ、それができなくなっている可能性は十分にある。
こう考えると、ある程度不親切に、シンプルにデザインされたものの方が、私たちの能力を保つには良いのかも知れない。そんな考え方が私にはあるので、無印良品ブランドが好きなのかも知れない。「フォーカスする練習を意識的にできる暮らし by無印良品」結構な事ではないか。

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