戦争を知らない子供たち

その昔、反戦歌というのがあった。60年代後半のフォークソングである。

私はギターを始めた時、フォーククルセダーズの曲ばかりやってたから、自分の世代の10年ほど前のこれらの曲たちには結構詳しい。

なぜ、当時、反戦フォークは受け入れられたのか?

もちろん様々な理由があると思うが、1つ気づいたのは、B層に受け入れられやすい歌詞だったからではないか?ということ。

当時はB層なんて言葉があるはずもなく、作り手がそういうマーケティング戦略を持っていたわけでも全くないのだが、作られた曲の歌詞を見ると、図らずもそういう効果がはっきりと読み取れるのだ。

どの曲にも言えるのだが、そこに歌われている「平和」と「戦争」のイメージが、極端に素朴で、かつ情緒的なのである。

例えば、大ヒットした「戦争を知らない子供たち」(これが反戦歌かどうかには異論もあろうが、その文脈に属することは確かだろう)。

青空が好きで花びらが好きでいつでも笑顔の素敵な人なら、誰でも一緒に歩いて行こうよ。きれいな夕日の輝く小道を。僕らの名前を覚えてほしい。戦争を知らない子供たちさ。

あるいは「遠い世界に」。


僕らの住んでるこの町にも、明るい太陽顔を見せても、心の中はいつも悲しい。力を合わせて生きることさえ、今ではみんな忘れてしまった。だけど僕たち若者がいる。


今の若者がこの歌詞を見たら「童謡?」と思うだろう。平和のイメージは、どこまでも「美しい自然」であり「美しいふるさと」であり、「花」であり「太陽」だったのだ。まるでグリム童話の世界である。そこには、もちろん世界のパワーバランスや経済問題や民族問題、宗教問題のかけらもない。現代でも、平和主義者や左翼のことを「お花畑」と揶揄する人たちのイメージの原型はこの辺にあるのだろう。

そこでは「平和」は常に美しく、か弱く、悪い「戦争」に力尽くで蹂躙されるかわいそうな存在でしかない。そこには血みどろで暴力的に平和を守るなどという想定はないし、正義のための戦争とは何か?正義とは何か?という根本的な問いかけもない。極めて分かりやすい勧善懲悪でお涙頂戴型の平和観であり、世界観である。しかし、それ故に圧倒的に支持されたのだ。

さすがに、当時中学3年生だった私でさえ、そのことに疑問を感じないわけではなかった。それでもフォークルが大好きだったので、北山修の本を何冊も買って読んだ。そして、やがて、その疑問は確信に変わって行き、反戦フォークを嫌いにはならなかったが、その歌詞世界に没入することはできなくなった。

もちろん、当時でも、岡林信康は「私たちの望むものは与えられることではなく、奪い取ることなのだ」と革命を扇動していたし、高田渡は「男の中の男はみんな、自衛隊に入って花と散る」とシニカルに歌った。しかし、それらはポビュラーとはなり得ず、やはり主流は、お花畑的で情緒的でオシャレなカレッジ反戦ソングだったのだ。

それにしても、どうして平和はいつもか弱い花やお日様であり、戦争はそれをなぎ倒す嵐のイメージだったのだろう?このグリム童話的な比喩は独り北山修だけではなかった。

そう言えば「フラワームーブメント」なんてのがあったな。


心に残るあの人の面影しのび今日も泣く

娘よ祈れ神様に 暗い嵐の終わるまで

白い花はふるさとの恋人の花

嵐の去ったその後に花はしおれて枯れていた

娘のくれた白い花 愛した人はもういない

白い花はふるさとの悲しみの花

               (花のかおりに)


この神様って、絶対神社の神様じゃないよな。北山修の歌詞はいつも翻訳調で国籍不明。

ただ、結婚を誓い合った恋人が徴兵されて戦死してしまうというこのパターンは、今でもテレビドラマではよく使われるよな。


ざわわ ざわわ ざわわ 広いさとうきび畑は

ざわわ ざわわ ざわわ 風が通り抜けるだけ

昔海の向こうからいくさがやって来た 夏のひざしの中で

                     (さとうきび畑)


名曲とは思うけど、やっぱり戦争は海の向こうから「やって来る」台風みたいなやつなのだ。

おそらくこれらの歌の原型はPPMで有名になった「Where have all the flowers gone?(花はどこへ行った)」だと思う。ボブ・ディランの「風に吹かれて」も有名になったが、日本人に好まれたのはこっちのテイスト。やっぱり理屈っぽいのは苦手なのだ。


野に咲く花はどこへ行く 野に咲く花は清らか

野に咲く花は少女の胸に そっとやさしくいだかれる

戦い終わりどこへ行く 戦い終わり静かに

戦い終わり土に眠る 安らかなる眠りにつく

               (「花はどこへ行った」)


この歌詞にしても、原詩はここまで受動的ではないし、戦争を運命論的にも捉えていない。


花はみんなどこに行ったの?長い時間が過ぎ去って

花はみんなどこに行ったの?遠い昔に

花はみんなどこに行ったの?少女たちがみんな摘んだよ

いつになったら分かるのだろう?いつになったら分かるのだろう?

墓はみんなどこに行ったの?長い時間が過ぎ去って

墓はみんなどこに行ったの?遠い昔に

墓はみんなどこに行ったの?花になってしまったよ

いつになったら分かるのだろう?いつになったら分かるのだろう?

              (Where have all the flowers gone?)


やっぱり日本人には「戦争と平和」についても「主語」がないのだ。

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