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みんな大好き!ブックボックス

 今から15年ほど前まで、沖縄の主要な街にはブックボックスがあった。沖縄の人はみんなブックボックスが好きだったと思うし、書籍、文具、ファンシー、オーディオ、DVD、ゲームと老若男女の拠り所として10:00~2:00まで営業しており、活気に満ちていた。

 まぁ、正確には去年(令和2年)まで細々屋号を残していたのだが、あまり記録もなく、みんなの記憶から静かになくなる前に、伝聞や推測、ネットの情報からブックボックスの隆盛を記録したい。

 ブックボックスを語る上で、対を成すのが田園書房。恐らく沖縄ブックボックスのDNAはここに起因すると推測する。両者は別会社でありながら、佐喜眞盛秀氏という方が経営していたそうだ。晩年になっても広告やホームページを持たない両社の経営者は意外に知れていなかった。

 恐らく、佐喜眞氏はそのお名前から、宜野湾市の方でないかと思われる。田園書房は宜野湾市志真志のイメージが強いが、伝聞では普天間にも以前あって、暫くは市内二店舗体勢だったそうだ。また、R329沿いには、南風原店(恐らく現:ゴルフドゥ南風原店)もあったそうで、当初は書籍や文具を扱っていて、志真志の本丸は、晩年にこれらが発展する形で、琉球大、国際大、キリスト短大からの好アクセスと学術書、ファンシーの重要を見込み、佐喜眞氏が故郷に錦を飾る形で平成初期に沖縄のフラッグシップ書店に君臨したと思われる。

 その少し前、昭和の末期に文具、ファンシー以外に、オーディオやビデオのレンタルに新境地を見つけ、当時長野県に本拠を持つ平安堂が勢力を拡大させようとしていたJBB(ジャパンブックボックス)にフランチャイズか、ネーミングライセンスみたいな形で、田園書房とは別に沖縄にブックボックスができたと推測する。それは、入れ替わりの早いレンタルカセット(当時)?やビデオの安定供給や既に県外で仕上がっているブランドがあった方が集客に繋がる勝算があったのかな?と感じる。

 この流れで、ブックボックスは県内各地で一世を風靡した。しかし、昭和末期から平成初期に産声を上げた沖縄ブックボックスは、平成の時代と共に、進化成長、衰退、清算を辿った。(つづく)

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