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あさんぽの旅、谷中まで

2022.10.08

8年くらい愛用している相棒の#Tokyobike の自転車、昨年から年1の定期メンテいけてなかったのと、2、3日前に前輪のタイヤがくたびれてタイヤゴムのヒビについに穴が空いてしまったようなのとで、谷中にあるTokyobikeのお店まで。

友人との、ゆるりと続いているオンラインあさんぽしながら向かう。
そこで、修理を重ねていくと新調できるよね、という金額になる、という話に。

そのときにそのモノが持ち主と重ねてきた『時』という点に想いを馳せた。
時は、お金では買えない。
その時を紡ぐなかで、少しずつ持ち主との思い出を重ねていったりする。
そのモノとの出会いから始まり、「いつこういうときに使った」「いつこういうことがあった」
それ自体の出来事は些細かもしれないが、その出来事に絡んで他のいろんなそのときの情景が浮かび上がってくる。「だれとこんなことしたとき」「どこでなにしてとき」「このことがあって、あのことにつながった」とか。

そのモノが、常にそれらを喚起させるわけじゃないけど、いくつかの状況がたまたま重なったときに、思い出のあるページがふわっと開いて、そのいつかの思い出に少し想いを馳せる。

そういった一種の、自分にしか持ちえない形でのアルバムみたいな記憶装置みたいな、もはやモノだけではないモノを超越したモノになっている。

だから、労力や費用が嵩んでもお手入れしたり修理したりしながら長く愛用したくなるものが生まれてくるんだなぁ。そういう愛用するものたちが少しずつ増えて、それらに囲まれながら生きていく人生とは、そうでないのと比べて彩りに満ちていて豊かだなぁ、と思ったのだ。


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