死ぬ時って案外日常通りかも?
おこんばんわ。コツコツおじさんです。
かまどやのめんたい唐揚げ弁当って美味しいですよね。
ほっともっと も好きですが、この明太をご飯の上に敷かれるとどうも明太好きにはほって置けない魅力になってしまいます。しかも白身魚のフライも結構いいです。
はいということで、ご飯をもぐもぐ食べながらふと思ったことがあります。それは死ぬ前日って案外普通の日じゃないのかなあとかいうものです。なんでそう思ったかというと、昔の私のバイトの最終日の話になります。
私は個人経営のラーメン屋で4年アルバイトをしていたのですが、その出勤最終日を思い出してみるとあまりにも呆気なく終わった気がするからです。常連のお客さんとかがたくさんきてお祝いされるわけでも、学校の知り合いがきてくれるわけでもなく割とあっさりと淡々と終わった最終日に少しぴえんでした。
まあ人望のなさが出た瞬間ですね。宿曜占星術では「人嫌い」だそうなので、人望がないのかどうかわかりませんが、この時の思い出と今日明太弁当を食べてる時に
ふと、死ぬ前日とか、死ぬ直前までも意外と淡々と日常が流れていくのかなあーという結論に至りました。
自分にとっては記憶に残る日でも、誰かにとっては単なる日常のある日
アメーバも生命がなくなるその瞬間までは、必死に内蔵機関が動いているのを見たりしているとより色々なことに対するあっけなさを感じてしまいます。
だからどうとかはないのですが、ふと最終日とかっていつもと変わんないよなーという思いが湧き上がってきました報告です。
ではではおやすみなさい。