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日本がスランプなのは嫉妬の国だから?

わたしは『みんな』って嫌いだから。
『みんな』が『みんな』でいるうちは、
友だちじゃない、絶対に

            重松清 きみの友だち より

はじめに謝罪

この記事何がいいのかわからないのですが、プレビュー数が多いです。おそらくタイトルがグッさり刺さるので良かったのだと思います。なので出落ち感が半端ないと思い、少し編集しました。そしてスランプの理由や経緯はあまり書いてませんが、一言で言えば「みんな仲良く嫉妬の集合無意識で沈む社会」ですかね。共同体意識って悪いものでもないですけどね、本来は。以下とある20代知り合いの居酒屋での愚痴だと思って聞いてやってください。

本文

この国が息苦しいとかボソボソ言われるのは(成長が他国よりしてないとか、賃金低いとかいう経済系は頭のいいひとに任せますが、ベースは、、、)、それは東大の宮台さんとかがいうように過度に他人に「嫉妬する」国民であり「みんな」が大切な国だからだ。

この国は「みんな一緒」を激しく求める。みんなが貧しくて一人が豊かであれば、嫉妬し引き摺り下ろそうと必死になり、みんなが豊かで、一人が貧しいとよってたかっていじめる。全ての判断が「みんな」という基準であり、自分の中の善意とか神さまとかを判断の軸にしていない人が多い気もする。

うまく行けば、「みんなで豊かに!」というように戦後から一気に経済大国へ躍り出たのだけれど、そんなことも昔の昔。今は「みんなで墓場に!」精神で、政治家の老人たちが我こそは安楽を求めて、他人を道具扱いし議会で居眠りをする。派遣業が腐るほど湧いているのも根幹は変わらない。弱いものがさらに弱いものを叩く嫉妬の文化。。。。嫉妬の減点方式 。

それが行われるのは、日本は島国で限りがあるということ、アジア系の人間ということ、言語が高度な構造であることと関わりがあると思われるけど。

とにかく、ベクトルがどちらに向こうが「みんな」が正義であり、いつだって「みんなじゃない」人は嫉妬などでで潰される。「みんな」じゃない奴は袋叩きにあっていいと思ってる。それは容姿や能力に自信のない人が優先的に行う選択でもある。確かにそれは日本じゃなくてもどんな国でも起こっていることなのだろうけど、なんだろうか、この国の集団意識には少し不気味な何かを感じる。特攻隊を美徳とするようなそんな「みんなのために」がまかり通る心。全てを否定するわけじゃないけど「みんな」を優先したふりをすると、最終的に困り、また次の標的にされるのは「みんな」のなかの「わたし」や「あなた」であると思う。「みんな」に隠れるなら「みんな」にやられる覚悟はあるのかな、、、。

対策?

対策としては、もうそれはみんなによるネガティブな集合無意識の減点方式をやめ、個人個人の判断での加点方式にするしか概念的な解決策はないのかもしれない。ポジティブにリスクを取ることが、有限な人生で今は求められているのかもしれない。シンプルにみんなで嫉妬するより、自分の成長に喜びを感じること!が大切かもね。そういう意味ではRPGゲームが好きな日本人には勝算が必ずあるのです!

私はこういうのも学びたいと思う⇩


追伸

もっと論理的に書くべきだろうけど、感情優先でぶちまけてその時は書いたから意味がわからん文章になってあり、申し訳ございません。ただ何か伝わればと思いこのような文書になりました。ポジティブにいこう!とかが言いたいのではなく集合的な風潮を作り上げ、集合場というものを作りすぎず、個人的な場をベースに基礎を築けという曖昧なことを言いたいのだと思います。(書いててよくわからなくなってきた、、、)
もはや居酒屋の席でのぐち、、、😭。後半に連れて文章のやる気がなくなっているのは、もはや意見したところでいいねも少ないし本格的に海外へ出稼ぎなのでは?と憂えているからです。

揚げ足取りの意地悪はやーやー🥺ということです。野球でいう最後は全力ストレートを投げるべきなのです。


それでは。さようなら。


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