喪失と再生
昨日、映画館で『ドライブ・マイ・カー』を視聴してきた。というのもこの映画は日本時間の一昨日、ロサンゼルスで開催された第94回米アカデミー賞で「国際長編映画賞」に輝いた作品だ。日本映画としては2009年の『おくりびと』以来13年ぶりに同賞を受賞した。受賞翌日とあってやはり観客は多かった。僕自身、「突然観たい」と思ったのではなく、前々から観てみたいという欲望はあったものの、なかなか映画館に行くことができずにいた。しかし昨日の僕は違って気づいたら映画館の座席に座っていた。
179分。長いとは感じなかった。夫婦関係、親子関係、障がい者、LGBTQ、不倫など様々なテーマが物語の中に凝縮されていた。予備知識がなくても映画を最後まで楽しむことができた。
視聴終了直後に感じたのは「観た時の年齢や経験値で感じ方や解釈の仕方が異なるんだろうな」というものだった。大学生の僕はまだ経験値も浅く、年齢も19歳である。昨日の映画館は大学生もいたが、年配の方々が多い印象だった。解釈自体に苦は感じなかったけれど、実際に自分が社会人になって再度視聴した時、おじいちゃんになって視聴した時では、それぞれ同じ映画であっても感想が変わってくるのかなと思った。
あらすじとしてはnoteでも多くの方が投稿されているが、俳優であり、演出家である家福悠介が妻(=音)の死から立ち直れないまま、思い出の詰まった車(=赤色のサーブ900)を運転して国際演劇祭が行われる仕事先の広島へと向かう。そこで仕事先と滞在する家を往復する際のドライバー担当・渡利みさきと出会う。寡黙で正直なみさきの存在に家福は心をほぐし、やがてみさきは家福の妻が抱えていた秘め事と対峙する時の支えとなっていく。
観ていて印象的だったのは広島で行われる国際演劇祭(=家福演出の舞台)だ。特殊すぎるだろっ!と思ったのは多国籍の演者が集まっていること。観客たちは舞台の後ろに設置されたスクリーンで字幕を観ながら内容を理解していくことになるが、舞台上では日本語、英語、韓国語、中国語、韓国手話が使用されるというなかなか複雑な場面だった。なかでも稽古中は、家福の指示により、演者が感情を込めずにセリフを読む手法を取り、自分のセリフが終われば、手をグーにして机をトンとたたく。それで物語の流れをつかみ、記憶していく感じだった。「言葉」だけではなく「心」で通じ合えるコミュニケーションというものの魅力を発見できるものだった。
ラストシーンについても家福とみさきの心の中に共通して存在していた「大切なものの喪失」と「過去からの再生」という類似した境遇を通して、お互いが自分自身を見つめ直し、過去を受け入れることができた心情の変化を物語っていたのだと思った。
また何年後かにもう一度視聴したい。