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食べ物の好き嫌いが多いのは損してるのか。
私は食べ物の好き嫌いが多い。
そして、食べ方のこだわりも多少ある。
そのせいで、好き嫌いのない人や、グルメな人によく言われる言葉がある。
「損してるよ。」
食べられる物の総数を言ったら、人より少ないからそうなのかもしれない。
でも私自身、損してるなぁと感じたことはない。
これ、なかなか分かってもらえない。
辛いものが苦手な私は、お寿司はサビ抜きがいい。
これはわさびが嫌いという側面を持つが、私はわさびが入っていない方が美味しいと思っている。
茶碗蒸しにも、できれば刻んだ柚子の皮が入ってない方がいい。
唐揚げにレモンとか、柑橘系×おかずの組み合わせがそもそも苦手なだけで、柑橘系は全部好き。
自分が美味しいと思える食べ方があって、美味しいと思える食べ物は食べられているからなんの問題もないのに。
好きな食べ物が少ないことが損してるってことなのか。
食べ物の好き嫌いはただの対局なのに。
と、こんな屁理屈を四十過ぎてもゴタゴタ思っている。
歳をとって少し頑固になってきたせいか、誰かに食べ物の損得を決めつけられることにモヤるようになった。
言っても伝わらないから、思うしかないのだけど。
食べ物は好き嫌いなく食べなさい。
これは食育上よく聞くし、栄養バランスを考えるとたぶんその通り。
ただ、私には言えなかった。
食べたことないものを食べてみようとは言えても、美味しくないと言っているものを、残さず食べなさいとは言えない。
私にしてみたら拷問だもん。
ぴぃにも好き嫌いがあって、こだわりが多い。
パンにはジャムやマーガリンをつけたら美味しいよ、と言われても、
パンは何もつけずに食べたい。
納豆はご飯にかけて食べると美味しいよ、と言われても、
納豆とご飯は別々で食べたい。
焼き鳥のねぎまのネギは食べたくないけど、
ラーメンに入っているネギは大好き。
トマトは大好きだけど、
トマトジュースまで好きって訳じゃない。
熱々の味噌汁よりも、
冷めてからの方が食べやすいから味噌汁は冷めてから食べたい。
周りが言う、「こうした方が美味しいよ」に頑なに揺れない姿勢がある。
ぴぃはちゃんと自分なりの美味しいを見つけて食べられている。
美味しい美味しくないは人が決めるものなのか。
自分で決めちゃダメなのか。
そう思ってきちゃったから、ぴぃへの食育に励めない私がいた。
ただ、だからと言って食べさせないとかでもない。
ぴぃが美味しくないというピーマンやナスを、見えないぐらいの微塵切りにして忍ばせることはよくある。
それでよくないか?嫌いなものでも、いつの間にか食べられてれば。
ピーマンやナス、私はわりと大きくなってから美味しく食べられるようになったし。
それでよくないか?
好き嫌いの受け止め方、食べ物だけじゃなくて、人間関係でも置き換えられる気がする。
苦手な人が多いことが損してるとは思わない。
人の好き嫌いも自分で決めていいのでは。
あの人はいい人だから、好きになってあげてと言われて好きになれるもんでもないし。
と思ったら、食べ物だけじゃなくて、ぴぃの好きと嫌い、得意と苦手も改めてしっかり受け止めようと思った。