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べっきょのはなし

私が高校生の頃、両親が別居していた時期がある。

溜まりに溜まった母親の不満が爆発し
自宅から徒歩15分ほどのところにある
実家に帰った。

ある夜、別居することにしたと
母が私に打ち明けたとき
「ああ、やっぱりね。気持ちはわかる」
としか、思わなかった。

父はとにかく気分屋で自分勝手
封建的な考え方の人間だったので
私も疎ましく思っていた。

数日後、私と妹も母と一緒に家を出た。

父のいない生活は快適だった。

祖母、母、妹
女四人の生活。
(祖父はその数年前に他界していた)
母は教師で安定した収入もあったので
正直、生活の不安もなかった。
贅沢しなければ暮らせると思っていた。

祖母はとにかく丁寧に生活する人で
いつも美味しい手料理が並び
完璧に家事をこなし、倹約家。
娘と孫を愛してくれていたので
生活は快適そのもの。
文句を言う方が罰が当たると言うものだった。

そして、父の機嫌をうかがう必要がないというのはなんと素晴らしいことか。

友達にも「うちの両親、離婚するかも」と話し、担任の先生にも「別居したので、住所変わります」と伝えた。

気が早いわっ!!

先生は驚いたようで(数学の教師だった)
数日たった頃、放課後に私を呼び出し
大丈夫か、寂しい思いをしてないか等と優しく気遣ってくれた。

寂しい?
とんでもない。
私は寂しさなどこれっぽっちも感じていなかった。友達もいれば、家族もいる。
不在なのは父親だけだ。
あの気むずかしく、突然怒鳴りだす迷惑な男

寂しいのは一人で暮らすことになった父親の方ではないか?

一度、登校途中に駅へ向かう父親と出くわした。
幸い、私は私鉄の駅へ
父はJRの駅へ向かっていたので
すれ違っただけだったが
あれはかなり気まずかった。
あの時、父は何を思っただろうか?

たぶん、一生聞くことはないのだけど…

結論から言えば、両親は離婚せず現在に至る。

別居期間中、仲人をした親戚が父を連れて祖母の家に来ては、深刻そうに離婚について話し合っていた。また、あるときは両親だけで会って話し合っていたようだ。
後から思えば、大人たちは離婚回避に向けて動いていた。

親戚につれられ、祖母の家にやって来た父は気まずそうだった。
そりゃそうだ。
日頃、威張っていたのにね
プライドもズタズタだわ…
私は本気で、ざまあみろ!と思っていた。
今さら、後悔しても遅いぞ
こっちはアンタ抜きで平和な毎日さ!

私は学校生活や友達との付き合いで忙しく、ほとんど家にいなかったけれど、それでもあの祖母の家での平和な暮らしは今でもありありと祖母の手料理の味と共に思い出すことができる。

しかし。
しかしである。
平和な生活はある日、終焉を迎えた。

後半に続く…

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