古代中国語における音象徴と形声文字の解明
漢字の常識を覆した研究成果
形声文字とは:従来説
形声文字は「意符」と「音符」という記号で構造されている漢字です。従来説によると、各々の記号には 1 つの役割があり、つまり:
意符 = 文字の意味を示す記号
音符 = 文字の発音を示す記号
意符の詳細
頻度の高い意符は約 40 文字しかなく、形声文字の 90% を占めます。次のように仕分けると分かりやすいでしょう。
① 単独文字として持っている意味を意符としても同じ意味を表す
口・土・女・心/忄・木・水/氵・石・竹・米・糸・衣/衤・言・足・門・食・馬・魚・鳥
② 音符として表す意味には、違いが見られます。
人 → 「ひと」の場合もあれば、単なる動作の記号。または、置換文字を作るために採用。
刀 → 「かたな」より、「切る道具」
山 → 「やま」より「積みあがった状態」、「塊状の物体」
手/扌 → 「て」より、動作の記号
犬/犭 → 「いぬ」より、「動物」
王 → 「君主;おうさま」ではなく「玉」 = 「宝石」
示/礻 → 「祭壇」か「しめす」より、超自然現象
虫 → 「昆虫」だけでなく、「小動物」も
車 → 「くるま」より、「乗り物」
金 → 「きん」より、「金属」が圧倒的に多い
雨 → 「あめ」たけではなく、自然現象
③ 単独文字として、ほとんど使われていない。意符としての意味は:
囗 → 囲い
宀 → 屋根;建物
巾 → ぬの
广 → 建物
禾 → いね
艸; 艹 → くさ;植物
貝 → 価値のあるもの;かい
辵; 辶 → 動き
邑/⻏ → 村;集落
阜/阝 → 積もった土
隹 → とり
従来説の正確さを量る
音符について、従来説の正確さを 1 から 100 の段階で格付けすると、正確さは 5 と言えます。なぜかというと、95% の形声文字の場合、音符は発音だけでなく、意味も表します。音符が発音のみ表す形声文字は総体的に数少なく、オノマトペと外来語に由来する言葉です。例:
音符が発音のみ表す形声文字 ①:オノマトペに由来する言葉
鴨 意味を表す「鳥 とり」+ 「鴨」の発音を表す「甲」
「甲」の発音は「かも」の鳴き声を真似する
鵝 意味を表す「鳥 とり」+ 「鵝」の発音を表す「我」
「我」の発音は「がちょう」の鳴き声を真似する
吮 意味を表す「口 くち」+ 「吮」の発音を表す「允」
「允」の発音は「吸うこと」の音を真似する
咤 意味を表す「口 くち」+ 「咤」の発音を表す「宅」
「宅」の発音は「叫び声」の音を真似する
音符が発音のみ表す形声文字 ②:外来語に由来する言葉
袈 意味を表す「衣 ころも」+ 「袈」の発音を表す「加」
「加」の発音はサンスクリット語 “kasaya” の第一音節の音を真似する
裟 意味を表す「衣 ころも」+ 「裟」の発音を表す「沙」
「沙」の発音はサンスクリット語 “kasaya” の第二音節の音を真似する
音符は形声文字の発音だけではなく意味も表す
95% の形声文字において、音符は形声文字の発音だけではなく、意味も表します。音符の意味的な役割を一見で納得できる形声文字の例を挙げると:
故:音符「古」(ふるい) + 意符「攵」 (動作記号) 。意味 = ふるい。昔の、もともとの。過去に起こった・あったこと。
酌:音符「勺」(ひしゃく) + 意符「酉」 (さけ) 。意味 = 酒をつぐこと。
姥:音符「老」(ろうじん) + 意符「女」 (おんな) 。意味 = 老婆。
但し、音符の意味的な役割を一見で納得できる形声文字が極めて少ないのが事実です。
音符の意味的な役割を特定する方法:単独文字としての本来的な意味を探る
音符の意味的な役割を特定するのには、単独文字としての本来的な意味を探る必要があります。
「古」は、「口 = くち」と「硬くて、乾燥した食べ物」の意味を表す要素を組み合わせている文字です。硬くて乾燥した食べ物は大体「ふるい」食べ物です。時間が経つにつれて、「古」から「硬くて、乾燥した」という意味合いが消え、代わりに「古」が「ふるい」の意味を表すようになりました。
こういう背景があり、「古」が「固・苦・枯・罟・鈷」などの形声文字において、「ふるい」ではなく「かたい;乾燥した」の意味を表しています。
固:意符「囗」(囲い) → 物体についてかたまる。意味 = かたい。かたまる、かためる。
苦:意符「艹」(くさ、植物) → 乾燥した、にがい植物。意味 = にがい。くるしい。
枯:意符「木」(き、木材) → 乾燥した木または木材。意味 = かれる。からす。
罟:意符「罒」(あみ) → 乾燥した、かたい網。意味 = あみ。
鈷:意符「金」(きん、金属) → かたい鋳造金属 (の破片)。意味 = ひのし。
「古」のように、一つの音符が形声文字により違った意味的な影響を及ぼすことができます。他の例として、「甘」が「柑 」と「甜」の場合「あまい」の意味を表すけれども、「坩 拑 疳 紺 蚶 酣 鉗」だと意味が「ふくむ」となります。
完全に不一致の例を挙げると、「緖 都 煮 暑 署 箸」において「者」が「もの・ひと」ではなく「積み重ねる」、「汪 狂 旺 皇 枉 匡 尩」の「王」が「君主」ではなく「延びる」、「侶 梠 絽 閭」の「呂」が「背骨」ではなく「一列に揃える」を表します。
音符の本来的な意味特定作業を複雑にする要因
① 形声文字における音符の字形と文字の意味の関連性が不透明
音符が単独文字として表す意味と形声文字の音符として表す意味の間には、ほとんどの場合広い隔たりがあります。理由は:
・字形の変化 ①:音符における画数カット
(音符 → 該当する形声文字)
鳥 → 梟・島・裊;高 → 豪;在 → 存;頁 → 戛;弟 → 第;監 → 臨
・字形の変化 ②:音符の形が変化する
甲骨文字、金文など古い字形だと音符が特定できますが、現代の字形では特定できませ ん。 (音符 → 該当する形声文字)
侖 → 典;史 → 唐;艸 → 生
・字形の変化 ③:音符における文字の簡易化
(音符 → 該当する形声文字 → 表している意味を持つ起源の文字)
孚 → 艀 → 浮;垂 → 箠 → 捶;殿 → 癜 → 澱;豆 → 裋 → 豎
・字形の変化 ④:形声文字における文字の簡易化
(文字 → 起源の文字)
痒 → 癢;隻 → 雙;飧 → 餐
② 仮借義 (假借) により、形声文字が本来的な意味以外の意味を表す
(文字 → 文字本来の意味 → 借用した意味 → 起源の文字)
騙 → 馬に飛び乗る → あざむく;だます → 諞
羞 → 高級料理を提供する → はじる;恥ずかしく思う → 忸
従来説の長命に貢献した言語学的な見解
100 年以上前に、言語学者 Ferdinand de Saussure 氏が、「言葉の音とその意味の関係は基本的に恣意的なものである」と唱えました。最近まで、この見解が言語学の主流説でした。もし言葉とその意味には関連性がなければ、当然音符も形声文字に意味的な影響を与えることは論外となります。
従来説を覆す新見解
しかし、近年、 de Saussure 説を覆す新見解が主流説となっています。新主流説は、世界大半の言語において「音声と意味の間には統計的に確かな関連がある」と主張します。出典:
なお、「音声と意味の間には関連がある」という見解は、いわゆる音象徴の現象です。
20 世紀の第 4 半期に、Gilbert Roy 氏、Marjorie Chan 氏など言語学者が古代中国語における音象徴の存在を指摘し始めました。この線の研究をさらに定着させたのが Axel Schuessler 氏の “ABC Etymological Dictionary of Old Chinese” (2006 年) 。著書の中で、 Schuessler 氏が特定の音と特定の意味を結びつけています (p. 27) 。
Schuessler 氏が挙げた例が、実は、 Roy 氏が先立て発表した研究結果と重複する内容もあり、当方がすでに発表した内容とも重複しています。
上古音における音象徴の実例
当方が英語の資料によって発表してきた上古音における音象徴の研究成果をこの場で日本語にて発表します。上古音における音と意味の関連性は次の通りだと考えます。
声母
軟口蓋閉鎖音:「 枠」
有声歯茎側面接近音: 「連続」
両唇鼻音: 「潜伏状態」
歯茎鼻音: 「柔軟な」
両唇破裂音: 「広げる」
歯茎摩擦音: 「小さい;細い」
歯茎閉鎖音: 「まっすぐ」
介音
円唇母音 (二重母音を含め): 「湾曲状;円形状」
他母音における音象徴働きの有無:研究中
韻尾
軟口蓋閉鎖音:「終了」 (語尾)
軟口蓋鼻音:「伸びる;伸ばす」
両唇鼻音:「潜伏状態」
歯茎鼻音:「付着する;接近した
両唇破裂音:「押す」
接近音 -r:「連続」
歯茎閉鎖音:「削減」
まとめ
形声文字に関する従来説の「音符は文字の発音を表す以外役割がない」という主張は、数少ない例外を除き、誤った解釈です。研究成果として、「音符 = 単語の意味を含んだ発音を表す記号」だとなります。音符の意味的な影響を特定するのには、文字が本来的に表した意味を探る必要があります。なお、意符の定義も見直して、「文字の意味を二次的に表す記号」だと考えるのが妥当でしょう。
Lawrence J. Howell
Hikaru Morimoto