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音響会社時代
先輩と作った会社も回らなくなっていき、そこを辞めた私は次はどこで音響の仕事を見つけようか。と思っていた矢先、
自宅のマンション前の交差点で信号待ちをしていたある日。
ふと、何気なく横にある電柱に目をやった。
そこはやや小さめの張り紙がしてあり、書いてあった文字が
PA募集
連絡先:〇〇〇〇-〇〇〇
え?嘘。
この時代にこんな募集の仕方してる会社なんてある?
しかも自宅の前に??
嘘かもしれないけど…と、ダメもとで連絡してみよう。
と、連絡してみる。
繋がった。
どうやら募集は本当らしい。
で、面接する事務所の場所を口頭で言われたのだが、自分のマンションの同じ住所だった。
どうやら、目と鼻の先にあるらしい。
そうして、面接を終え、私は街の音響会社で働くことになった。
そして、その事務所はマンションの隣の建物であった。
そう言えば、たまに音響機材を出し入れする所を見かけたことがあった気がする。
入口は奥まったところにあって気付かなかったけど。
その会社の現場は、本当に多岐に渡っていて、街のイベントやお祭りからホールの管理、増員、コンサートやライブの音響など、色んな現場を経験させてもらった。
学校を出てないからか、現場仕事はしっかり経験ないからか、機材の呼び名に苦労した記憶がある。
先輩に機材を持ってくるよう頼まれる場面が多々あるのだが、それが何なのかが分からないので仕事にならないことが最初は多かった。
マイクやケーブルも種類が多く、その正式名称を知っていても、略した呼び方は現場でしか学べない。
この時代はそこからだった。
プロ現場は、3Kと言われるが所謂ここもそうだったと思う。
長時間、食べる時間もない時は無い。
寒い、暑い、汚れる、重い、これは基本。
先輩から罵声を浴びせられることは日常茶飯事。
けれど、やっぱり好きなの事だからか苦には感じなかった。
発表会、イベント、お祭り、ライブ、学園祭、芝居…ありとあらゆる現場があった。
職場の人達と泊まりの仕事もあったり、キャンプをすることもあった。
現場が終わってからのお酒は本当に美味しかった。
何年くらい働いたのだろう…3年?5年?
でも、この事務所が大きくなって社員登用のタイミングで私は選ばれなかった。
もちろん私の実力不足だったのもあるだろうが、恐らく既に私は若くなかったので婚期なども考慮されたのだと思う。
社員登用の道を閉ざされた私はフリーとして続けることに。現場数を増やす為別の事務所にも所属する事になる。
もうひとつの事務所では主にブライダルに特化している音響事務所であった。
所謂、結婚式披露宴での音響照明だ。
イベントの現場がない時はこちらの現場も入れて埋めて行った。
この時代、まだ何と音源はほぼほぼカセットテープだったのだ。
本番前に1曲ずつ録音されたカセットテープ20本くらいをチマチマ頭出しする作業が必要になる。(それはそれで全く苦に感じず。)
婚礼は進行に基本的なパターンがある為、覚えればすぐに実践できる。
もちろん、人生に一度の演出失敗は許されない。
ここで、音響や照明に演出という要素が入れれる事に大いに魅力を感じた。
結婚式場、ホテルの大宴会場などのかなり広めの会場を任されていた。
なので、音響に加え、照明の操作も同時にする。
MCのきっかけで暗転、音楽スタート、スポットON、2つのスポットを左手のみで操作しながら歩く新郎新婦を追いながら、右手のフェーダーで音楽で煽る。
ケーキ入刀やメインキャンドル点火の瞬間に、色付きスポットを付けると同時に曲のサビだしをする。
もう、気持ちがいい。しか言えない。
ゲストの余興などにも余念なく演出に協力したり、楽しく仕事をしていった。
これらの仕事をしばらく続けていってたが、また運命のイタズラに遭うことになる。
つづく。
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