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【 "適当"の意味 】 指数関数的な成長を得るには「ちょうどええ」を見つけること 投資家のFIREへの旅路 ♯371

先日、自電車で移動していると、急に破裂音がすぐ近くから聞こえました。

自転車の後ろのタイヤが、破裂したのでした。

何かを踏んだとかではなく、ただただ内側から破裂し模様。

前日の夜に、タイヤの空気をパンパンに入れたことを思い出しました。

空気はパンパンに入っている方がいいだろうという安易な考えでした。

これで、学んだのは、" 遊び "の必要性です。


【 適当は "ちょうどええ" 】

適当とは、それぞれの状況によって、
変化しうる水準、ちょうど良さである

「 適当 」というと、何だか、精一杯やっていない、サボってる印象がありますが、これは「 適当 」の一つの意味です。


試験なんかでこんな問題がよくあります。

・問1
「 次のa,b,cの中から、"適当" なものを選び、文章を完成させなさい」

" 適当 "なものを選べと。
" 正しい "ものを選べとは書いてませんから、
適当であるということは、正しいということとは、若干ニュアンスが違うのでしょう。

正しいとは、絶対的にそうだと広く認識されることです。

適当とは、それぞれの状況によって、変化しうる正しさ、ちょうど良さと言えます。

この" 適当 "であることは、意識しないと実はバランスが難しいのです。

タイヤの空気圧同様に、精一杯、フルに空気を入れれば、破裂しました。
フルの状態が、「ちょうどいい」のではないのです。
空有気圧のは、「適当」なポイントがあるのです。
それを無視して、フルにするから、タイヤは破損、交換となりました。


【 100%×1回 でなく、 1%×100回 】

年に1回100kmをジョギングするよりも、
毎日1kmのジョギングを続けること

タイヤの空気圧の「ちょうどええ」ポイントは、数値化されていて、それを測定できます。

では、
人間の「努力」の「ちょうどええ」ポイントは、どこで、そう測ればいいんだ??

プログラミングを習得したい!
という目標があれば、一日中パソコンに向かい、コードを書かなければ、
その成果をあげることができない!!
周りのライバルにも置いていかれる!!

こういった心境になって、「精一杯」まさに、フルコミットするでしょう。

しかしながら、これは、タイヤの空気圧がパンパンな状態。
ちょっとした段差に差し掛かれば、「内側から破裂」します。

そして、歩みを止める、" きっかけ "をうむ。
" タイミング "を生むといってもいいでしょう。

継続のコツは、毎日やることです。

それが、止まってはいけないのです。

年に1回100kmをジョギングするよりも、
毎日1kmのジョギングを続ける方が良いのです。

そう考えると、
人間の「努力」の「ちょうどええ」ポイントは、
毎日「継続可能」な水準になります。

それは、人それぞれに違うのです、
つまり、状況によって変わるのです。
それが、まさに、「適当」であることなのです。




【 ちょうどええポイントは変化(成長)する 】

努力の水準は、正しいという判断基準でなく、
適当という判断基準で測る
そのためその水準は、成長に応じて、変化する

1日100kのジョギングをするのは、非常に辛いでしょう。
しかし、それは今日だけ耐えるという努力で、自分自身の力が上がっていないのです。

毎日やる場合には、このように自身の力が上がっていきます。

初日は、1kmのジョギングが適当
(1km×1日)

1週間後は、1.5knのジョギングが適当になる
(1km×7日=7km)

1ヶ月後には、5kmのジョギングが適当になる
(1km×7日+1.5km×20日=37km)

3ヶ月後には、10kmのジョギングが適当になる
(1km×7日+1.5km×20日+5km×70日=387km)

6ヶ月後には、15kmのジョギングが適当になる
(1km×7日+1.5km×20日+5km×70日+10km×90日=1287km)

このように、自分の力が上がりながら、その継続日数も上がっていくため、結果的に、その走行距離は、考えられない程の長いものになります。

この水準を「適当」ではなく、パンパンにフルにしたらどうでしょうか?

果たして、継続できるでしょうか?

極点な例で言えば、
初日から、20km走って、その翌日に、また走れるのか?
それは、気持ちの問題ではなく、身体の問題です。

デスクワークにおいても、脳、眼といった身体を使っています。

「適当」という「ちょうどええ」水準を設定することで、
継続による、ものすごい力を結果的に得るのです。



【 心と身体 】

人間も水も、常に低くきに流れる

毎日の継続の条件は、
ケガをしないこと、体調を崩さないことです。

そこでの中断は、「辞めるための体裁のいい理由」にもなります。

「やりたいけど、医者から止められてね。」
「続けたいけど、家族が心配しててね。」

こんな具合に、自分ではない他の責任にして、辞めていい状況を作るのです。
自分の怠惰ではなく、怪我のせい、体調のせい、他人のせいにすることで、
自分が「努力」を辞めることを肯定します。

それが、当然ですよね。
人間と水は、常に低いところ流れるものです。

しかし、このように体裁の良い、理由をつけて辞める人は、
「真面目」なのです。
精一杯」の努力をやらなければならないと思っています。

「適当」に、「ちょうどええ」水準では、努力と言えないと考えてしまっています。

その結果、タイヤのように破裂してしまうのです。

それでは、継続の力は得られません。


【 まとめ 】

適当:
それぞれの状況によって、変化しうる水準、ちょうど良さ

年に1回の100kmをジョギングするよりも、
毎日1kmのジョギングを続けることが最強

努力の水準は、正しいという判断基準でなく、
適当という判断基準で測る
そのためその水準は、成長に応じて、変化する


こんな感じですね!

つまり、私が言いたいことは、
夜は、ゲームをするよってことです。

私の現段階での「ちょうどええ」水準は、
6:00-18:00までは、運動と、仕事をやる
21時から好きなことをする

です。

タイヤのごとく破裂しないように、
続けることで、得られる「能力の福利の力」を着実に得ていきたいと思います。


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