胸躍るままにブルースを_04
二、アンチャイド・メロディ_01
土曜日の夜のライブまでの二日間は、バンドの事を忘れて麻里とゆっくり過ごした。
デスクに足を乗っけて週刊誌を読みながら電話で謝るアルバイトを木曜日に片付け、金曜日は休みを取って二人で大型のショッピングモールへ出かけた。アルバイトで生計を立てていると、せっかくの休日もなんだか罪を犯しているような気持ちになる。
中古で二十万円のマイカーは途中、高速道路で奇妙な轟音を上げ異様に揺れ始めた。無事に目的地に着いたのだが、車のトラブルによる惨めな気持ちのせいか、デートの前半麻里は不機嫌だった。そして時々寂しい表情を見せた。
平日のショッピングモールはとても空いていて、二人揃うと行動がゆっくりになってしまう僕らにはとてもありがたかった。土日、祝日のデートは周囲に対しての気疲れでとても満足になんて楽しめない。
「は~あ、秋服欲しいなぁ。でもこれ買ったら夏のクリアランス三着は買えちゃうよね。選び難い~」
麻里は新作コーナーから手に取ったキャメル色のロングスカートを持ったまま、「まだまだ夏本番!3着で2000円!クリアランスセール!」と書かれた大きなポップを睨み付けていた。
目の前の新作コーナーには「秋はもうすぐ。ゆるカワ暖色コーデ。」と書かれたポップに、今目の前を歩いていたら変人扱いされてもおかしくない暖かそうな格好をした、何かのアイドルグループにいそうな誰かみたいな顔をしたとりあえず可愛い女の子が、茶色い落ち葉を掃いている写真が添えてあった。日本は四季が美しいとよく言うが、美しいものも混在すると忽ち下品に感じる。
「でもこの新作をこの値段で買った数ヵ月後には、半額くらいまで値下げされる可能性があると思うと、気が引けよねやっぱり・・・」
こういうショッピングの時、僕はあんまり口を出さない。過去に、別の女の子のショッピング中に一度発言してみたことがあるのだが「それを言っちゃったら身も蓋も無いでしょう!」と叱られた。どうして皆分かっていながら余計な損失を許すのだろうか。
麻里は悩んだ末に、まだまだ続く夏本番に向けて夏服を買った。
僕らはデートと言えばこうしてショッピングに出かけることが多かった。いや、ショッピングに出かけるしかなかったという方が正解かもしれない。出会った当初から僕はバンド活動をしていたので、スタジオ使用費、移動の交通費、ライブの出演費、楽器のメンテナンス費にお金を注ぐ生活に余裕など勿論無く、ゆっくり旅行や遠出が出来ない二人にはショッピングデートやお金のかからない公園散策が限界だった。
僕はいつも麻里がキラキラ輝くトレンドを羨望する様子を見ては胸を痛めた。バンドに費やしているお金を考えれば、僕の方が圧倒的に多くお金を使っていたからだ。
以前は「いつか必ず麻里に好きなものを買ってやる!」と意気込んでいたが、最近では「いつまで?」と不安ばかりが胸を満たすようになり、お洒落に身を包み、楽しげにショッピングをしているカップルなどを見ては俯いて上手く喋れないでいた。金が全てじゃないなんて、綺麗には言えないわ。
その後僕らはいくつかのアパレルショップを訪ねては手ぶらで退散し、歩き疲れて会話も少なくなってきたのでショッピングモールの敷地内にあるカフェに入った。平日でも小さな行列が出来ていたのでテイクアウトにしようとしたが、気の利いた店員がちょうど席が空いていると教えてくれたので、好意に甘え、ジャズが流れる店内の置くのソファがあるテーブルに腰掛けた。
どこにでもあるチェーンのカフェだが、ブラウンの木彫が基調のお洒落な空間で珈琲の香りを嗅ぎながらゆったりと腰掛けていると、自分が充実した生活を送っている成功者のような錯覚を覚える。そして毎回「いつもこんな所で優雅に珈琲を飲めるようになりたい」と思うのだ。この珈琲一杯の価格で大盛の丼一杯とお新香が食べられると思うと、その贅沢さにゾっとする。ただ、こんな甘ったるい珈琲を飲む生活を繰り返したらどう考えても糖尿病まっしぐらなのだが。
店内は僕らと同じようにショッピングの中休みで甘い珈琲を飲む若者で犇めき合っていて、珈琲を受け取ってから席に座るまでの間にすっかりジャズは聴こえなくなっていた。
「ねぇ、ボン君がバンドを辞めるからって、仁も辞めるの?」
季節毎に変わるカフェの看板商品を一口飲み、唐突に麻里は僕に尋ねた。
「辞める辞めないの前にバンドは存続不可能だよ。コーポラビッツにとって、ボンゾーにどれだけの価値があるのか解るでしょ」
「そうだけど、もったいないじゃん。 二年もライブをやり続けてるんだよ?」
「可能性を見出せなくなったバンドは何十年やったって同じさ。誰も賞味期限切れのお菓子をすすんで食べようとはしないだろう?」
そもそも僕らに(賞味してもらえる期間)などあったのだろうか? 我ながら上手く答えたように感じたが、切ない自問が頭の中で反芻した。
「じゃぁ仁はバンドが無くなったらどうするの?」
「まともに仕事でもしようかな。ちゃんと稼いで、もっとマシな車でも買って、旅行とか行こうよ。音楽は趣味でやればいい」
アイス珈琲をぐびぐび飲みながら軽快に喋る僕とは裏腹に、麻里の表情は暗く、そして微かに赤く膨れてゆく気がした。
「絶対無理だよ、仁は音楽を趣味だと割り切ってまともに働きに出るなんて絶対出来ない。バンド、もうちょっと続けられるように努力してみなよ。美優ちゃんと川畑さんと猿楽さんを説得してみなよ」
目を見て説得してくる麻里の表情は真剣だった。
麻里はコーポラビッツのメンバーとはライブや打ち上げの席で何度か会っている。特に付き合いの長い川畑はコーポラビッツを結成する前からよく知っていて、三人で食事をしたことも何度もある。故に、僕と川畑の結成しては長続きしないバンド活動が、ようやく本格的に継続していることを本当に喜んでくれていて応援してくれていた。だけど麻里はコーポラビッツのライブに一度来て以来、何かと理由を付けては最近は来ていない。
どう見ても珈琲とは思えない奇妙な色の液体の上に乗っているホイップクリームをストローで突く麻里は、またしても何処か寂しい表情に変わっていた。
「逆境をチャンスに変えようよ、今度こそ真剣になってみればいいじゃない」
周囲の目からしても、今の僕らは真剣に見えないんだなぁと思いながら、僕は甘くて冷たい氷水をズズズッと音を立てて飲んだ。
他のテーブルではファッション雑誌から出てきたような男女が、どうしてお互い赤面しないのか不思議なくらいの距離で笑みを浮かべていたり、刈り上げたもみあげの上に固そうな七三分けの髪を載せた細身のスーツの少年が何かの作業に没頭していた。僕らが入店するまではおそらく大混雑だったのだろう、相席を許可して座ったと思われる二人の女の子が手元で何かをいじりながらお互い俯いている。
気まずさも無く自然と沈黙が生まれ、僕らはタイミングを計ることなく同時にカフェの大きな窓から外を眺めた。ショッピングモールの北館と南館を区切る遊歩道に隣接するこのカフェからは、まだまだ続く夏本番の日差しに照らされた子連れの家族や、ブランド名が書かれた大小さまざまなサイズの紙袋を持ったカップルが笑って歩いてゆくのが見える。
僕は再び向き直ると、無表情のまま外を眺め続ける麻里の前で汗をかいているグラスと、透き通った小さな氷が横たわる目の前のグラスの値段を数えた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?