胸躍るままにブルースを_03
一、太陽を振り返るな_02
やがて煙草を吸い終えた川畑と猿楽が、二重扉のうち一つ目の扉のロックを解除する音が微かに聞えた。
ボンゾーがフィナーレに向かって更にボリュームを上げる。僕は追いかけて弾いているフレーズをよりシンプルに絞ってゆく。
そして息を合わせテンポをどんどん落としてゆき、最後の一発をせーので思い切り鳴らして演奏終えた。三連付を用いてジャズらしいセッションを繰り広げたが、最後はいつもやり慣れているロックらしい一本締めだった。
「仁君、キーボード本当に上手くなったよね、次はそんなちょっとお洒落な曲もバンドでやってみる?」
バンドを結成した二年前より更に三年前から僕を知っている川畑は、最近の僕のキーボードの演奏能力の上達ぶりを得意気に褒める。
それを表面では恥ずかしげに笑って受け止めるが、心の中では、計五年間も成長をしないミュージシャンなんて在り得るのだろうかと指摘したい気持ちでいっぱいだった。
その指摘を口にすれば、崩壊ギリギリで均衡を保っているこのバンドの平和に皹が入るのだろう。
「いや、確かに今のセッションはお洒落で格好良いけど、アレをバンドで演奏する必要はないでしょう。それじゃジャズバンドになるから」
ベーシストの猿楽が冷静に川畑の案を否定する。
猿楽は、キーボディストに転身した僕がシンプルな和音しか鳴らせず悩んでいるところ、「ボブ・ディランの『ライク・ア・ローリングストーン』の有名なオルガンのフレーズを弾いた人も、本職はギタリストなんだよ!あんな簡単な和音でも弾き方によっては曲の重要なフレーズになっちゃうんだ、手先じゃなくて、どうロックンロールさせるかだよ!」と背中を押してくれた。
僕はあの言葉に励まされて、結果今もキーボードを弾いている。
毎日必死にロックンロールしているつもりだ。しかし、ロックンロールってなんだろう。
「うるさいな~、一つの案だよ案~。それっぽいテイストを入れてみたらって話じゃんか~」
「入れてみたところでお前、ジャズっぽいカッティングなんて絶対弾けないだろうが」
漫才の様なやりとりを繰り広げる身長百八十センチを越える二人は高校生からの付き合いで、コンビで在籍するバンドとしてはコーポラビッツは三つ目だ。彼らの共通の友達同士で結成した前のバンドは、コーポラビッツの始動と同じタイミングで解散した。
ちなみに僕と川畑も出会ってからずっと音楽活動を共にしていたが、僕らのバンドは結成しては悉く継続しなかった。
僕らはお互いにメインの活動を別に持ち、そちらに重きを置いた。
しかし、川畑と猿楽が在籍していたバンドが結成から十年を迎え、それでも何も芽が出ない事に焦りを感じた川畑は、僕との活動の方への注力を優先するようになってゆき、やがて互いの音楽仲間であった猿楽とボンゾーを誘い、僕らの活動は本格化していった。
そして、手練れの四人が揃った半年後に僕らは美優と出会い、コーポラビッツとなった。
ステージに立つ時、身長百八十三センチのギタリスト川畑が客席から見て右側、身長百八十四センチのベーシスト猿楽が左側に立ち、その真ん中に女の子としては身長が高いほうの身長百八十六センチでスレンダーな美優、その後方に高台に組まれたドラムセットにボンゾーが座るシルエットは華と迫力があり、狭いライブハウスのステージに立つ僕らはまるで要塞、もしくは大きな戦艦だった。
ちなみにキーボディストの僕は猿楽の隣なのかステージ裏なのか分からないところで弾いている。ライブ後によく観客から「あ、五人いたんだ」と言われることも頷ける程の場所で弾いている。
お喋りをしながら皆でセッティングを見直し、先週猿楽が持ってきた新曲の構成と、フレーズ作りに勤しんだ。その後ライブのセットリストを一度通して演奏したところで退室を知らせるランプが点灯した。
「いや今日のボン君、本当凄かったよね~。何発もボディーをくらった気分だよ~」
足元のエフェクターケースを整理しながら川畑が笑う。
「いや、今日は皆も気合入ってていい感じでしたよ、ライブ、すごく楽しみです」
褒められた本人はいたって冷静だった。ドラマーのボンゾーはスタジオにスティックケースしか持ってこないので、皆が片付けをしながら喋る中、ドラムセットの椅子に座ったままこうしてお喋りに参加することが多い。
以前は専用のシンバルなどを背に抱えて、二足歩行の亀みたいな格好でスタジオ入りしていたのだが、「どんなドラムセットでも自分の音を出す」という彼らしいストイックな哲学が確立されてからは、スティックケースと、その中に数セットのドラムスティックだけになった。
片付けを終え、スタジオのスタッフが開けっ放しにした重い防音の扉をくぐる時、ボンゾーが僕に近寄ってきた。
「仁さん、ライブの日、出番前にちょっと時間もらえませんか?」
「かまわないよ、出番前なの?、後じゃなく?」
「前がいいんです。仁さんと話して、気持ちを作ってから叩きたいんです」
長い髪の上からキャップを目深に被る彼の表情はよく分からなかったが、聞き慣れた彼の声のトーンからすると、何か決意を固め、これから重要な戦いに赴く様な腹の据わった様子だった。
帰り道で寄ったファミレスでは、「ミーティング」と称した世間話で大いに盛り上がり、ライブに向けての緊張感どころか、ライブをやるのかさえ忘れる程皆リラックスした。
こうして僕らは週末に自己満足の為だけのライブを行い、打ち上げをして、次の日はメンバーみんなでランチに行って、カラオケでお菓子を食べながら反省会を行う。
そんな日々をかれこれ二年も過ごしている甲斐あって、僕らの集客力や、特定のメンバーの実力は不動のものとなっている。
活動を始めた最初の内は、こんな時間も大切に思えた。
他愛も無い会話が他人同士である僕らを結び、語る夢がミュージシャンとして在るそれぞれの自信になった。
こんな風にいつまでも同じ夢を語れるようにと願ったが、それから二年の月日を経て、変わらないことがこんなにも哀しいものなのかと思い知る。
ヒットチャートを直走るバンドの噂で「曲は売れているけど、メンバーの仲が悪いバンド」なんてよく聞くが、「まったく売れないけど、仲だけは良いバンド」にいる僕らからしたら、その仲の悪ささえ憧れの様に感じた。
フォークを付けようとした毎週食べている三百八十円のトマトスパゲッティーが、ミュージシャンとしての余命を迎えた自分の喀血かと思えた。
麻里と暮らすアパートに戻ったのは二十三時。玄関の戸を開けると、麻里が風呂上りの火照った顔に化粧水をこれでもかという程吹きかけていた。
「おかえり、お疲れ様。」
「ただいま。」
「・・・、今日何かあったの?」
化粧水をふんだんに浴びたずぶ濡れの顔が僕を見つめる。
余談だが、僕はこれまで付き合った女の子5人全員に「クールぶってるクセに本当にわかりやすい」と言われたことがある。ちなみに次に多く言われた言葉は「優しくしないで」だ。
僕はなかなか脱げないコンバースの靴紐に夢中になっていて、すぐに答えられないでいた。
「美優ちゃんと何かあったのかしら?」
大げさにニヤニヤして、ありもしない質問で追求してくる。
「いや・・・、これからこうやってスタジオから遅く帰ってくることも無くなると思うよ。」
僕はやっとのことでコンバースを脱いだが、足掻き続けた靴の中にくるぶしソックスを吸い込まれてしまった。吸い込まれたくるぶしソックスを救出しよとしゃがんだ途端、背負っていたキーボードケースのお尻が玄関の床に当たり、その反動でキーボードケースの頭が僕の後頭部になかなかの勢いでヒットした。ちょうどペダルがしまってある箇所が当たったのだろうか、異常に痛い。
「えぇ?どういうこと~?」
僕がコンバースに吸い込まれたくるぶしソックスを巡ってキーボードと大喧嘩している様子を見て、麻里が肩を震わして笑っている。
「ボンゾーがバンドを辞めるみたいだよ」
無事救出したくるぶしソックスを右手に持ち、僕は半べそになりながら麻里に向き直った。
―「何度も同じこと言ってないで、質問に答えろよ!」
無機質な小さなデスクと白いテーブルライトしかない六畳半に、怒りとやり切れなさが混じった怒号が響く。
「参ったな、ラチが明かないよコレじゃぁ・・・」
刑事の目の前に座る警官は、虚ろ目で少し俯き気味に座っていた。
「報道陣にこれ以上曖昧な回答を続けたら、こっち側にも探りが入るんだよ。警官の方から銃を渡したなんて事実が公になったら大問題だぞ?何があったのかだけ話してくれりゃ良いんだよ、頼むよ」
真剣な目で問いかけるも、目の前の警官は相変わらず虚ろ目で座っている。
昨夜から続く何時間も続くこのやりとりに疲れ、刑事が肩を落とした時、目の前の警官が微かに笑いながら喋りだした。
「 彼はすべてを知っていた、僕の嘘も、みんなの嘘も。彼はすべてを知っていた、僕の・・・」
小さなクモのような言葉が、部屋の静寂をコソコソと歩き回る。
刑事はパイプ椅子の背もたれに寄りかかって「ギィーッ」という音を部屋に響かせて、取調べが始まってから何度も聞いている警官のその言葉を遮ろうとした。
「気味悪ィ・・・」―
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