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胸躍るままにブルースを_01

0. プロローグ

 何か愛するものに身を捧げようと決意するということは、神様への誓いなのか、それとも悪魔に取り憑かれるということなのだろうか?

 「あんまり良いとは思わないわ・・・」

麻里はイヤホンを外すのとほぼ同時に吐き捨てた。

 「歌がメロディに合っていないわ。それに後ろの音は騒がしいし、全部がミスマッチな感じがするの・・・」

麻里の表情は少し申し訳なさそうに、その上残念そうに曇っている。

 僕が所属するロックバンドの新しい曲を聴いてほしいと頼んだ僕自身は、麻里の申し訳なさそうな気遣いに応えられないことが申し訳なく思うくらい、冷静に彼女の言葉を聞いていた。

だって誰にだって好き嫌いはあるし、この曲が渾身の作品ではない。そんな言い訳だらけで現実を直視しようとしない惨めな自慰の言葉が、胸中をいっぱいに満たしていた。

コンビニエンスストアに行こうと誘って、わざわざ音楽プレイヤーを持ち出し、買ったばかりの缶の酒を飲みながらコンビニエンスストアの駐車場でその話を切り出したのも、僕の情けない自尊心の企みの故だ。

いつまでも蝉がうるさい七月中旬の午後七時は、まだ夕焼けが名残惜しそうに空をオレンジに染めていた。


 今回は僕が得意とする疾走感のあるポップな楽曲のデモ音源を視聴してもらったのだが、聴いてもらった時間を察すると、エンディングまで聴くより前に「合っていない」と言いたくなったのだろう。いや、聴いていられなくなったという表現の方が正しいかもしれない。

 「仁がこの曲を唄うのならきっと合ってるのでしょうけど、美優ちゃんの歌声にはちょっと合わないと思うわ」

 作曲者は僕なのだから、それは彼女が言う通り僕にとっては唄いやすいメロディであって、曲調に合う歌になるのは確かだ。ただ、今僕がいるバンドのボーカルは僕ではなく美優だ。

 麻里は決して音楽経験者ではないのだが、音楽を聴く耳を持っている。テレビで流れるアイドルの歌を「公共の電波を使ったカラオケ」と笑うし、実力があるのに若者のカリスマとして女子高生の日記みたいな曲ばかりを歌う近頃の歌姫に対し「恋愛ソングばっかり唄わされてもったいない」とムっとした表情をしていたりする。

 ストイックに音楽に向き合いたい僕が、わざわざ同棲なんていう自分の活動範囲を狭める日常を選んだ決め手は、そういった彼女の音楽への理解に価値を見出したからだ。それが無ければ同棲なんて娯楽は創作活動にとって邪魔でしかない。

 僕が作った曲に対し評価を依頼し始めた最初の頃は、とても言いずらそうに「私の個人的な感想としては・・・」というニュアンスの前置きの言葉を何パターンも駆使して僕に感想を聞かせてくれていたが、今は一緒に暮らし始めて三年の歳月がそうさせたのか、遠慮なく率直な想いを伝えてきてくれる。そして、そんな彼女の批評を素直に受け止めようとしない僕の歪んだ人格が形成されたのも、付き合い始めて四年半になる歳月がそうさせたのかもしれない。もしくは、初めて曲を書き始めた十五歳からの十一年という時間が、僕に余計な荷物を背負わせたのかもしれない。

 あと数分で夕飯時だというのに、周囲の山から響き渡る蝉の鳴き声が未だにやたらとうるさい。

 月並みだが、初めて「ロック」を聴いたあの時、世界の見え方が変わった気がした。

 それまでは混沌としていて、単純でなくて、四方八方気を遣う必要があると思っていたこの世界は、コンポのスピーカから放たれたエレキギターとドラムとベースによる一瞬の一撃で『どうでもいいクソッタレの世界』に姿を変えてしまった。

 プロを目指すと言って専門学校を中退したあの時も、困り果てた周囲を横目に、僕だけにしか見えない希望に驀進している気がした。

 だけど二十代の半分を終えた今、手にした知識や実力とは引き換えに、夢を追いかけ続ける情熱の炎が灯火になってゆく変容が、哀しい程に顕著だった。

「うん、そうだよね、やっぱり」

 ゆっくりと暗み始める夕空を見ながら、僕はあたかも彼女のその言葉を待っていたかのように笑って呟いた、本当はもっと違う言葉を期待していたことを包み隠すように。どんな言葉で応えればこの話題が終わるのかを知っている僕は、そんな僕の心情を彼女が全部理解している事を承知の上で、専門用語とこれまでの経験を絡めてそれらしい言い訳を垂れ流す。

 ようやく薄暗くなってきたコンビニエンスストアの駐車場には、ライトを点けた車が入ってくる。その光に照らされた彼女の顔に潤んだ瞳が見えたが、僕はすっかり温くなった缶ビールを飲んで見て見ぬふりをした。

 コンビニから、テーマソングとして使われているザ・タイマーズの『デイ・ドリーム・ビリーバー』が微かに聴こえていた。


―「十月九日、本日の最新ニュースです」

 モデルの様な女子アナウンサー二人(一人はスラッとして胸元が必要以上に膨らんでいる、もう片方は小柄に見えるが、猫のように吊り上った大きな目がなんとも愛くるしい)が、まるで漫才コンビのように並んで立ち、片方ずつ原稿を読み始める。

 「注意され逆上か?」

 「昨夜 千葉県成田市三里塚の十字路で、警察官が銃を奪われた事件。犯人は未だ逃走中です。現場周辺は小学校もある住宅地で、今朝も緊張感が漂っています」

 昨夜から何度も放送されている目撃者である中年の男性の証言映像に切り替わる。

 「コンビニから出てきたら、十字路の角でギター持って座る男と警官が見えまして。ただ、注意しているというより男の歌を聴いているようなカンジでしたね。実際に歌とギターの音も聴こえていましたし・・・」

 「銃を奪われた警官は”気が付いたら銃を奪われていた“、”あまり覚えていない“と証言しており、逃走中の犯人の追跡と共に、真相の追求を急いでいます」

 映像は小柄でドロボウ猫顔の女子アナウンサーに切り替わる。

 「地域住民の皆さんは、くれぐれもご注意ください。(原稿をパラリ)・・・次は主婦に悲報、またも野菜の価格が・・・」

テレビの電源を切った。

 レコードプレーヤーに置きっぱなしになっているレコードに針を置き、再生する。ノイズ混じりの古い音は、音楽というよりまるで当時の雑踏の音を記録したかのようだ。その中で、黒人男性の語りのような歌と、アコースティックギターとは思えない程丸みのあるソフトな音色が、どんどんと空白を埋めてゆく。―



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