「私」を包むしなやかな膜
シュタイナー医療との出会い
私は若いころから貧血や低血圧などを始めなんとなく不調感があったせいか、ずっと身体、食、健康全般の領域に興味がありました。
臨床心理の世界に入ってからも、身体の声を深く聴くことを取り入れたプロセス指向心理学という流派に興味を持ち専門にしてきました。そしてロンドンに来てからはありがたいご縁から、とうとう身体症状に直に取り組むホメオパシーという療法の世界にも入ることに。
私が卒業したのはシュタイナー医療を含む人智学、薬草学、中医学その他の伝統医療やセラピーの療法を織り込んで教えてくださるカレッジでしたが、その講義の中で特に「おおっ!」と感じたのは、「自己・魂がこの世で生き、成長していくという文脈の中で、身体の各部の機能がどのような意味を持つのか」という視点から身体をとらえなおし解説された部分でした。
これは生き方とか自己成長というテーマを扱うことの多い臨床心理との接点だ!と心が躍り、どちらかというとホメオパシーそのものよりもこの部分に特化して学んできた感があります。
そこで、何回かに分けて、「心理療法と代替医療の交差点」のような場所から、私なりに消化して理解したこと、それを元に考えついたこと、今の時代に大切なのでは、と思われることなどを書いていこうと思います。
身体は「自己」の乗り物
上記の考え方ではまず、身体は自我・自己、または魂の住処、乗り物と考えていきます。たとえば、貧血だったという話をしましたが、特に血液は自己
がおさまるべき場所、ととらえられています。そして血が足りなかったり薄いと、ふらふらと地に足がつかないような感じがするのは、まさにその乗り物から自己が浮き上がって出てしまっている状態だから、などと理解していきます。
私にはこの、「身体という乗り物に自己がおさまっていない・逆におさまりすぎて重くなる」などという見方や、「そのような身体の働きと各自の魂の成長のプロセスとの関係」というトピックが個人的にとても興味深く、また今のような変化の時代はこのようなことへの理解と取り組みかたを知っていることが特に大事になってきていると感じています。
「私」を包む「膜」を想定する
ワークショップなどで、自分をつつむ「膜」のイメージについてお話ししたり、アート・セラピーやイメージ瞑想などで取り組んでいただくことが多いのですが、けっこう面白がっていただけたり、考え方として役だったと言っていただけることが多いです。
この膜とは身体レベルで皮膚や免疫系自体と思っていただいてもよいのですが、それに加えて「自分」という存在を包むエネルギーの膜もある、というふうに想像していただくとより良い感じです。この膜の中に「私」がしっかりとおさまることによって、独自の個として活動したり、方向性を持ったり、人とのいい感じのやりとりが可能になったりします。
「殻」でも「器」でもよいのですが、膜というのは「包んで守るが、必要なものが出入りできる」という複雑で賢い構造を持っているので、私はこの言葉を使うのを好んでいます。
土地によって膜の性質が違う?
土地や文化によってこの膜の性質が対応していると感じることがあります。(あくまでも一般論と主観ですが。。)たとえば日本に一時滞在してイギリスに戻るとき、空港から地下鉄に乗ってすぐに「日本よりも『自己』の膜が強くて、膜の中身も目の詰まった感じの人が多いなー」と感じたりしましす。良い、悪いではなくエネルギー的に違いがある感じです。
中近東や南欧のほうに行ったときも全体的にどしっとしている印象を受けています。もちろん個人差はどこの国や文化にもあるのですが。
日本は全体に自己の膜がやわらかい感じの人が多いような印象。以前日本の場に慣れ親しんでからイギリスに戻った翌日、レジ前に並んでいたら、まるで私が透明人間であるかのように後ろの人に抜かれてしまったことが何回か続いて、「これはいかん」と慌てて下っ腹に力を入れて気を引き締めたことがありました。
理想的な膜とは?
このエネルギーの「膜」はもちろんこのように薄すぎたり破れていたりすると支障が大きく、膜の中身も希薄になったり生命力が漏れてしまったりします。かといってがっちりと強ければよいわけでもありません。膜の中身の密度がある程度まで高くなるのはいいですが、ともすると流れが滞り物理的にもエネルギー的にも重たくなったりします。
あくまでもしなやかだといい感じです。適度にしっかりしていて内と外の流れもなめらかなしなやかな膜を持つということは心身の健康や免疫力の高さにつながります。
ただし生まれ持った体質・気質にも関係しているので、「これ」という理想を目指すよりも、自分の膜の特質を活かしたり、必要に応じて特質に合わせたケアをする、ということになるかと思います。その方法については追って書いていく予定です。
「私の膜」から出ている状態とは
自分のエネルギーが自分の「膜から出ているとか半分はみ出している状態もある」というふうに想像していくとわかりやすいのは、たとえば下記のような場合です;
⭐︎ぼーっと(特に)先のことを考えている場合
⭐︎貧血や低血圧の症状があるとき
⭐︎麻酔手術中と後
⭐︎スマホなどネットにつながっているとき
⭐︎花粉症などアレルギー症状があるとき
⭐︎大きなショックや変化のとき
その他にもたくさんあるのですが、膜からはみ出しているのが決して
悪いばかりではありません。ぼーっとすることによって休めたり、良い
考えが浮かんだり、ネットで貴重な情報のやりとりができたりもします。
寝ているときなどはまさに膜から出ていたほうがよい状態で、逆に半分だけ
ひっかかっている、という状態が不眠やすっきりしない寝覚めにつながる
のですが、睡眠については大きなテーマなのでまた別の機会にお伝え
できればと思います。
「膜」の概念を心身のケアに使う
もともと膜が薄い、おさまりが弱いタイプの場合や大きく揺らされる出来事があった時などは、このように、「膜におさまっている/はみ出ている」といったイメージや、そのときのサインを知っていることで、「あっ今膜から出ているかも」「膜の修復が必要かも」みたい考えていけますし、それとともに対処が可能になります。
要は「しっかりおさまってから出る。出たらちゃんと戻る」。
実はこれからの時代に本当に理想的なのは「しっかりおさまりながらも
出る」だったりするのですが。
対処法は色々あり、体質や気質、そのときの状態によっても違いますが、まずは目をつぶって、「自分のまわりがほどよい感じで半透明の膜に包まれていて、必要なものは入り、必要でないものからは守られている」みたいにイメージしていくだけでも心が落ち着くことがあります。
インターネット時代と膜
今では多くの人が使っているネットでつながった機器やフェースブックなど
皆とつながれるしくみ。これらを使い続けるとどうして疲れてくるのでしょうか。ブルーライトや電磁波、姿勢や目の使いすぎなど物理的なこともあると思いますが、上記の学校では、そのような時には「実は自分の一部が乗り物から出て、他の人たちのエネルギーと交流している状態だから」と教えられました。
自分の指や神経系をネットの世界へのコードのようにつなげて、世界とつながっていく、情報をシェアする、自分の世界が人から閲覧される、他人のものを閲覧する。これはかなり個としての膜を薄くしないとできない行為です。
そのことで良いこともたくさんあったり、こうして私もみなさんにつながらせていただいているのですが、「開いたら閉じる」を忘れずにすることで、心身への負担を減らすことができます。
たとえば家にWi-Fiがあるときには夜は切る、パソコンや携帯、スマホは可能ならネットにつながる機能だけでも切る、など。イメージの中で、ちゃんと閉じた、という意識を持つだけでもかなり違います。
* * *
「どのような塩梅で膜から出入りするのか」「膜の中で守られているばかりで終わるのではなく、膜の中からいらないものを出したり、異物やちょっとした「毒」と対話する」なども、心身の土台づくりには大事なテーマで、こちらについても追って書いていければと思っています。
ここまでお読みくださりありがとうございました。
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