【読書感想文】平成うまれが語る、生きづらさの正体
『死にがいを求めて生きているの』という小説を読み終わった。
本の帯には、こんな文字が綴られていた。
この本は、平成の時代の闇を表現した作品である。平成の時代に生まれ、大人になった若者たちの心の闇や傷、"生きづらさ" を表現している。そのようなコメントをどこかで読んで、「気になる本」のリストに入れていた。この前書店にふらりと立ち寄ったときに目に入ってきて、本の太さが想像を上回っていたけれど、ほとんど躊躇することなく購入した。2日で読了。とてもおもしろくて、一気に読めた。終わり方については、すこし物足りなさを感じたのだけれど。それでも全体として、いろいろと感じさせてくれて、考えさせてくれる作品だった。
「平成」とは、徹底的に "競争" や "対立" が姿を消した時代だった。そして代わりに「ありのままのあなたでいい」「生きているだけでいい」「ナンバーワンじゃなくて、オンリーワン」が提唱される世の中になった。そんなふうに、小説のなかでは何度も言及される。そしてそれこそが、平成世代の若者が抱える "闇" であるのだ、と、行間から感じとることができた。
「平成」生まれの若者たちは、当時「ゆとり世代」として言及されていた。一般的に「ゆとり世代」とは1987年から2004年生まれの子どもたちのことを言うらしい。実際にゆとり教育が本格的に導入されたのは2002年かららしいから、1995年生まれ以降の世代を特に「スーパーゆとり世代」と呼ぶのだそうだ。
わたしは1993年生だ。おぼろげな記憶の片隅で、小学校のどこかのタイミングで土曜日の登校がなくなったのを覚えている。おそらく、わたしが小2か小3のタイミングだったんだろう。その後、一時期だけ土曜日登校が復活して、またなくなったような気がするが、どうだったのだろうか。
小学生の頃には、「競争」や「対立」が排除されていることを実感することはなかった。それは単純に、わかりやすい「競争」や「対立」がすでに無くなっていたからなのだと思う。『死にがいを求めて生きているの』の登場人物たちは、小学校生活のなかで、少しずつ「競争・対立」を生むと大人が決めたものが消えていくのをリアルタイムで体験していた。わかりやすいのが、成績上位者の一覧表を校内に掲示すること、組体操や棒倒しなどの運動会の花形競技がなくなっていくこと、だったらしい。わたしの小学校時代には、最初から成績上位者が掲示されるなんてことは無くなっていた。「本当にそんなことを全国の小学校でやっていたんだ。漫画のなかだけの話じゃなかったんだな」という思った。一方で、組体操はまだ実施されていた。騎馬戦はどうだったろうか。やったような気もするし、上級生たちはやっていたけれど、わたしたちの代ではなくなっていったような気もする。記憶はすこしあやふやだ。
とはいえ、平成世代が抱えている "闇" のようなものは、たしかに私の中に「わかる」と、確かな質感をもって、言うことができるように思う。
ゆとり世代の初期の人たち(1980年代後半生まれ)の人たちがどうだったのかは知らない。けれど、1990年代真ん中あたりの私たちには、漠然とした、人生全般に対する絶望感のようなものが、確かにあるような気がするのだ。
中学生の頃には、テレビのスクリーンに「ゆとり世代についてどう思いますか?」といった街頭インタビューに対し、「"ゆとり" はマジで使えない」などの意見を出す大人たちの姿がよく映し出されていた。根性がない。やる気がない。すぐに挫ける。持続力がない。すぐに弱音を吐く。すぐに逃げようとする。「これだから "ゆとり" は。」が、私たちリアルタイムの "ゆとり" 世代に対する大人たちの評価なのだと、無意識レベルに刷り込まれていった。私たち "ゆとり" は、日本政府が作り出した失敗作なのだ、と。社会に出る前から、失敗作かつ "使えない世代" と烙印を押された私たちは、どうしたのか。
大きくふたつに分かれたように思う。
大人に対しては舐めているというか、冷めた目で見ている。アイツらみたいには、なりたくない。それでも、じゃあどうしたらいいかなんてよくわかんないから、安定した生活のためにも、決められたレールの上を歩いていって、大学に進学し、就活をして、立派な企業に就職して、とりあえず社会人として働いていこう、というグループ。こちらが圧倒的多数。
そして「社会も大人もクズだ。こんな社会のルールに押し潰されたくなんてない。こっちは勝手に生きさせてもらいます」と、世界旅行に出てみたり、学生のうちにいろんな活動団体を立ち上げたり、海外で活躍しはじめるような人たちだった。
とても乱暴にまとめてしまうなら、小説の中に出てきていた南水智也が前者。堀北雄介が後者だと言えると思う。でも、それは「外から相対的に評価された姿」であって、実質的には多かれ少なかれみんなが「なんか知らないけれど、まわりをあっと唸せられるようなすごいことをやらないといけない」みたいな思いは持っていたように思う。だって、私たちゆとりは、何をやっても「これだから」と言われてしまうような、マイナスからのスタートだったから。その「すごいこと」を追い求めるため、大学生の頃にはみんながいろんなNGOやらNPOやらボランティアに参加していたような気がする。政治や社会についていろんなところでみんなが「この社会をどうにかしたい」と大義名分を掲げて、何かしら周りの人たちにあっと言われるような、そんなスゴイ自分を表現したい。FacebookやInstagramをはじめとしたSNSが流行った時期でもあったから、そのアピールしたい欲みたいなものには拍車がかかった。Facebookの友達はどのくらいいるのか。タイムラインにはリア充しているものをあげたい。もしくは周りからかっこいいと思ってもらえるような、意識高い系の活動をしている姿を見せたい。そんな競争心が、みんなの中には確かにあった。
当時、わたしはひょんなことから、とある旅人グループの人たちと一緒に過ごす時期があった。その旅人グループのリーダーは、今ではかなり有名なユーチューバーになっていて、当時は「0円で日本一周」とか「0円でアメリカ横断」みたいなことをやって、その動画をYouTubeにあげていた。そのグループ内には(特に後からそのグループに入ってきた後輩たちには)、「0円で日本一周」くらいしないと、一人前じゃない、みたいな思いがあった。別に当時のグループリーダーたちがそんなことを言っていたわけではない。でも、彼らに憧れていた後輩たちは、「ヒッチハイクだけで日本一周できなければ、ここにいる価値はない」みたいなことを勝手に感じていた。でも、それができてもスタートラインに立っただけ。もっとクールなことをやらないと、みんなに「すごい」とは思ってもらえない。そんな空気が、無意識レベルでたぶんあって、みんなはどんどん過激な旅へと出ていった。
その頃仲良くなった後輩の一人に、とある男の子がいた。名前も忘れてしまったんだけれど、背が高くて、やさしい顔をした子だった。京都の円山公園で、瞑想のやり方を教えてくれたりもした。彼は、当時そのグループで流行っていたパウロ・コエーリョの名作『アルケミスト』を読み、ひどく感銘を受けた。彼は『アルケミスト』の主人公の青年のように、サハラ砂漠を0円で横断することを決断し、グループ内で宣言した。Facebookなんかでも、その熱い思いのたけを書き綴っていた。でも、出発日が近づくにつれて、彼は怖くなっていったのだと思う(そりゃそうだ)。そしてついに、彼はうつになってしまった、のだと思う。Facebookに数ヶ月ぶりにアップされた彼の写真はとても痩せ細り、目の下が窪んでしまった顔が写っていた。そしてキャプションには、あれだけの熱意をもって、あれだけ自信ありげにサハラ砂漠横断を謳ったのだけれど、結局それを実践することができなかったことに対する恥と、自分は失敗者なのだ、という思いを読み取ることができた。別に、0円でどこかの国を横断しなければ、人として一人前になれないなんてこと、絶対ない。グループリーダーたちも、別にそんなことを強要してはいなかった。
それでも。それくらいしないと、「何者にもなれない」という感覚だけは、強く、私たちの中にはあったのだ。
それは、別にそのグループの中だけで起こった現象ではないと思う。旅人じゃなくても、就活グループや起業グループ、NPO活動グループなどでも起こっていたこと。私たちの大学生活は、いかにして「何者かになるか」だった。そして、それは社会というルールの中での「何者か」と、社会というルール外での「何者か」という違いこそあれど、根本的には「何かすごいことを成し遂げて、周りにあっと言われる人物にならなければ、自分に存在価値はない」という思いは共通していた。
そんな思いは、ほとんどの場合は、不完全燃焼のまま、社会人生活が始まった。そうして、社会という歯車の一部として身を粉にして働く中でも「何者かである自分」「ここにいていい自分」であろうとすることから、一人、また一人と、みんなは心をすり減らして、病んでいった。リアルな話、わたしのリア友の中だけでも、鬱になった人たちは5人いる。病院に行って、診断され、薬を処方された人の数だ。病院に行ってないから診断はされていないけれど、確実に鬱だろうなって、周りから見てもわかる人の数はもっと多い。多かれ少なかれ、ほとんどの人が、一度は心を病んでいる。
運よく「何者かの自分」になれた人たち(例えば先程の旅人グループの、今ではトップユーチューバーになった人など)は、幸せだったのだろうか。もちろん本人に聞いたわけじゃないから、わからない。でも、彼らの活動をネットなどで見ていると、「何者かにならないと」という意欲が天井を知らず、どこまでも加速して、炎上を起こしたりしている人が多かった。その後、何年も経ってからその人たちの活動を覗きにいってみると、今までよりも角が取れて、「何者かにならなくていいよ」みたいなことを発信していたりするから、結局、「何者かになれた」としても、それはいつまでも続けることができるリレーではなかったのかもしれないな、と思う。
そういう私は、どうなんだろうか。
私もずっと、「何者かにならなければ」と思って生きてきた。大学卒業後、就活することなく、放浪の旅に出たのも、そういう気持ちが少なからずあったからだと思う。でも、そうやって何かを探し続けて生きてきても、結局なにも見つからなかった。使命や天命、ライフワークを探そうとしていた時期もあった。それもある種、「何者かである自分」を見つけて、その姿で周りをあっと言わせられる存在でありたいという欲があるからなのだと思う。競争や比較が取り払われ、多様性を受け入れることを強制されている現代社会において、どれだけ多様性の中で輝くことができるか、でしか、私たちは自分の価値を推し測れないのかもしれない。
でも、そもそも自分の価値を推し量る必要ってあるのかな。そんなことを思ったりもする。でもそれは、「ありのままの私でいいよね」ってことではなくて。そんな綺麗事なんかじゃなくて。単純に、そうやっていつまでも何かを探し続けて走り回る人生に、疲れたのだ。歳を重ねて、もうそんな体力はあんまり残ってない(早いかw)。
買い物して、洗濯して、家事をして、料理を作って、仕事に行って。子どもと一緒に過ごし、成長を見守りながら、日々の子育てを完遂させる。たまに彼氏や友達とデートして楽しい時間を過ごして。それだけで、自分の生命の時間は、いっぱいいっぱいだ。それ以外に使える時間も、気力も、体力も、もう残っていない。半径3メートルくらいでいいや、って思う。
人によっては、「それってお母さんになって、子育てが生きがいになったからじゃない?」と感じるかもしれない。でも、私は子育てを生きがいにすることはしたくないと思う。生きている誰かを自分の生きがいにしてしまうことに対して、なんとなく怖さのような、足元がおぼつかないような感覚がある。人を自分の存在意義の生きがいにするということは、相手と自分を依存という糸で括り付けることだと思う。それはきっと、サハラ砂漠を0円で横断することを、自分の存在意義と紐付けた、当時の後輩と、形は違えど、同じことなのだ。
自分の存在意義を、どことも紐づけることなく。日々、目の前の1日を生きていく。その中で、「あ、虹が綺麗だったな」とか「子どもの寝顔が可愛かった」とか「給料日だった」とか。そういう小さないろんなことを愛でて、生きることを淡々と積み重ねていく。そんな感じで、いいんじゃないだろうか。というか、それこそが、いいんじゃないだろうか。
そんなことを、思ったりした。