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日本人だけど、日本人じゃない【ハーフやミックスあるあるの話】

大学の先輩たちと集まってひさしぶりにお酒の席に参加した。はじめましての人の方が圧倒的に多かったんだけど、お酒もすすみ、とても楽しい時間を過ごした。

私の通っていた大学は国際的だったこともあり、集まりには圧倒的にハーフなどが多かった。もしくは日本の血は混じっていないけれど物心つく前から日本で育ったような人とか。

そういう人が集まると、いつもハーフやミックスあるあるの話になる。定番のアイスブレイクの話は、毎日のように「日本語とっても上手ですね」と声をかけられたり、お店に入ると自動的に英語メニューが出てくるよね、みたいな内容。基本は英語メニューでも別にいいんだけれど、焼肉屋さんに行ったりするときに英語だと、メニューの内容が少なかったり、逆に部位の名前がわかんなくて困るよね、みたいな話で「あるあるー!」と盛り上がる。

ハーフやミックスの子たちのあるある話(苦悩や大変なこと)は共通語が多い。

そもそも、自分のアイデンティティや文化・言語的な立ち位置は完全に純ジャパ(純粋なジャパニーズ)なのに、ほとんど毎日のように自分のネイティブ言語について褒められ、「何人ですか?」と尋ねられ、そのたびに受け答えをしないといけない、というのは地味にストレスだったりする。もはや30年近くほぼ毎日対応しているので、ストレスというよりは「めんどい」程度になってはくるけれど。自分が日本人であることの正当性を日々、証明しつづけないといけないのは、なかなかに面倒だったり、疲れたりするのだ。

個人的におもしろかったハーフあるあるなエピソードがある(エピソードはわたしのもの)。

留学に行くときに、日本から一時的に住民票を抜く手続きをしに区役所に行った。順番を待ち、窓口について住民票を抜きたいと説明すると「外国籍の方は窓口が違うんです」と別の窓口にとおされそうになった。「あ、国籍もちゃんと日本人なんです」と言い、手短に自分のナショナリティのバックグラウンドを説明する。「それは失礼しました!」と区役所のおじちゃんは焦った顔で頭を下げた。

一年後、留学から帰国してふたたび住民票を登録するために区役所に行ったときのこと。順番を待ち、窓口について住民票を復活させたいと説明すると「外国籍の方は窓口が違うんです」と別の窓口にとおされそうになった。「あ、国籍もちゃんと日本人なんです」と言い、手短に自分のナショナリティのバックグラウンドを説明する。「それは失礼しました!」と区役所のおじちゃんは焦った顔で頭を下げた。そのタイミングで二人で顔を見合わせて、「1年前にもこの会話しましたよね?」とつぶやき合い、「あのときの人でしたか!」と二人で顔を見合わせて爆笑した。いい思い出だ。そしておっちゃんもとてもいい人だった。

そういうことが、毎日のようにある。ハーフ顔で苗字か名前がカタカナだったらわかりやすいけれど、フルネームが漢字で、顔だけ純外人だと、薬局や病院、区役所、ご飯屋さんで順番待ちで呼ばれたときなどにちょっと焦った顔をされて、何度も念押しで本当に本人なのかを確認されたりする。最近はさすがにハーフ人口も一定になっているので、「...〇〇様...ですか?」と尋ねられたときに「あ、〇〇です」と返事をすればスッと通してくれることが増えた。けれど、それでも「なにがどうなってんだ?????」みたいな反応をする人は、昔に比べたらかなり減ったとはいえ、たまにいたりする。そういうときは、やっぱり手短に自分のナショナリティのバックグラウンドを説明してあげないといけない。

そういう、別に困りごとってほどでもないんだけど、ちょっとした手間が増えるようなことを、ハーフの子達はみんな経験している。とはいえ、ハーフと言えど、明らかに見た目でハーフと分かるような日本人色が濃いめに残っているタイプのハーフはそこまで困ることはない。問題になるのは、わたしや、大学の飲み会の席に集まっていた「ワタシ、日本語、ワカリマセン」みたいな顔をしているハーフなのだ。


そんな集まりの席だから、もう少し込み入ったナショナリティやアイデンティティの話にもなっていった。そもそも、今の世界の国籍やナショナリティに関する法律は、正直時代遅れというか。人口の国際化が押し進められてきた今の時代には追いつかなくなっているのが現状だ。大学時代にとった国際人口移動論という講義がとてもおもしろかった。

そもそも国籍やナショナリティに関する法律は、国際法的なすべての国に共通のものがない。それぞれの国が独自のルールで作っている。大きく分けると出生地主義か血統主義だ。代表的なところでいうとアメリカは出生地主義。アメリカで生まれた子供は自動的にアメリカ国籍をもらえる(さすがに最近は変わったのかな?)。一方の我が国、日本は生粋の血統主義。つまり、自分の両親の最低でもどちらかが日本国籍者でないと、日本で生まれていたとしても日本国籍はもらえない。(これ書いててふと疑問に思ったんだけれど、例えば日本国籍に帰化した旦那さんと、外国人席のままの奥さんが子どもを産んだ場合、子どもは日本国籍をもらえるのかな?この場合の “血統” って、国籍の問題なのか、本当に “血” の問題なのか、どっちなんだろう?)

また、ダブルナショナリティを認めているかどうかも国によって異なる。ダブルナショナリティとは、簡単にいうと複数の国籍(パスポート)を持てるかどうか、ということ。ちなみに日本は一応NG。でも正直かなりグレーだとは思う。ヨーロッパなど、そもそも色んな血が混じってるのがデフォの国々ではダブルどころか何個でもナショナリティを並行してもってOKになっている。わたしが出会ったなかでパスポート保指数の最高は5つだった。両親それぞれがダブルナショナリティかつそれぞれの国がダブルナショナリティを認めていて、さらに、生まれたのは両親のどの国でもない第三の出生地主義の国、というビンゴ並みの引きの良さで成せる技である。

で、ひと昔前は自分のナショナリティ=自分の国籍でくくれていたものが、ハーフが増えた現在は、そこでくくることができない。昨日の先輩のひとりは純ジャパだったが生まれ育ちはドイツだったので、個人的に自認しているアイデンティティはドイツだった。そういうのは良くある。わたしの親友は純ロシア人だが物心つく前に日本に引っ越してきて、そこから日本で30年以上育ったので、アイデンティティは日本寄りである。とはいえ、こういう人たちが100%特定の国のアイデンティティを辞任できているかというと、そうでもない。つまり、わたしのロシア人の親友の場合、育ての親である両親はロシア人だし、彼女は見た目もあきらかに外国人なので、自分のことを「日本人です」とは自認できない。でもじゃあ「ロシア人です」とは絶対に自認できない。だって、ロシア語も話さないし、なんならロシアに住んだことがない。ちなみに、わたしのアイデンティティ自認も彼女にちかい。唯一のちがいは、わたしは国籍と血統の半分が、ちゃんと生まれ育った国(=日本)と一致しているということだ。そういう意味では、わたしは自分のことを「ほぼ100%日本人」と自認することができるし、それを言って認めてもらえるチャンスは高い。

他にもこのあたりのテーマについては語ろうとしたら本当に色々あるんだけれど、さすがに指が疲れてきたので、今日はこの辺りにしておこうか。

とりあえず、街中でめっちゃ外人さんがバリバリに関西弁しゃべってると、違和感を覚えると同時に二度見してしまう。でも瞬間後に「そうか、わたしも他の人からはこんなふうに見えてるんだな」って思い出して、「そりゃー、日本語上手だね!」って言われちゃうよねーって自分でツッコミ入れちゃうんですよね〜って話たら、純ジャパの先輩たちに「お前は日本語しゃべってるの違和感だわ!!」ってツッコミ入れられて、めちゃくちゃ場が盛り上がった。

ネタがないときの手持ちネタになるので、便利なもんだ。

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ねう | 考え、綴る人
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