パンデミックという雨宿り2020
雨の日はお家でゆっくり雨宿り
パンデミックスキップという言葉があることを知り合いのブログで知った僕は、2019年末からじわじわと始まり2020年に緊急事態宣言で日本中が自粛生活に突入したパンデミックな3年間に人々の暮らしは同じ一色の生活ではなくて、それぞれにいろんな思いを抱きながらそれぞれの色彩で暮らしていたんだと改めてこの3年間を振り返った。
この先の見えない暗闇の中で、自分の生命の危険や自分が媒介として拡散や伝染するかもしれない不安の中で、ひっそりと自宅で息を潜める人、極々近しい人々とだけ連絡や顔合わせをする人、自粛に耐えられず大騒ぎしテレビのニュースで素行を流されてしまった人。日本人の人の目を気にする習性と他人に迷惑をかけちゃいけないとの自己犠牲心と、自分だけは罹りたくないという自己防衛心が混沌と頭の中を駆け巡り、日々思い悩ませる憂鬱な時間がのろまでいつ終わるのかと重くのしかかっていた。
雨があがるのを待ち浴びた3年間
パンデミックな3年間をじっと息を潜めて暮らし、徐々に明けた自粛解除に3年前の暮らしを取り戻そうと、久しぶりの場所や久しぶりの空間を訪れてみると、3年前とは明らかに変わりちょっと昔の思い出の世界はもうそこには存在していなかった。閉めてしまったお店であったり、様変わりして人々や、パンデミックによって意識が変わった自分が見る世界はまるでこの3年間をタイムスリップしてしまったように、記憶の中とは違う世界と時間が流れていた。これがパンデミックスキップという現象なんだそうだ。そして3年前と同じ時間と価値観を取り戻そうとする人々と、180度価値観が変わり新しい暮らしと時間や場所を歩んでいる人々と、混沌とした「大切なもの」がどこにあるのか、それがなんなのか。そんなものを模索始めた人々が増えてきたような気がする。
雨の日には雨の日の楽しみを
雨降りの日だってお外で遊びたい。そんな風に考える人も少なくない。自粛生活が始まった最初の頃は、手が触れたもの、吐いた息から何メートル、両手を広げて何メートル、おトイレでの排泄でも拡散してしまう。そんなテレビのニュースで言われたことが頭の中にあるけれど、お外で落ち着いてゆっくり深呼吸がしたい、森の中で綺麗な空気を吸いたい。狭いお部屋で息が苦しくなった。
そんな人の迷惑になることは避けながらも、車に乗り込み、道中どこのお店にも寄らず、どこの誰にも会わず、車の窓は閉め切ったまま、公衆トイレに立ち寄るのも我慢し、お手製のおにぎりと水筒にお茶を入れて、誰もいそうもない郊外の裏山へ出かけた。道中路肩に車を停めて背伸びをしながら深呼吸をしてても、走っている車は以外にも多く僕の車からはかなり離れた場所に車を停めて同じように景色を眺めている光景があちこちで見かけられた。
そんな週末を繰り返しているうちに、この3年間がなければ決して訪れはしなかったであろう、ちょっと近所ででも車じゃないといけない、あんまり有名でもない、滅多に人も来ない、そんな公園や展望台、河原の散歩道や市内を見下ろせる小高い丘等々穴場な遊び場を再発見した最初の1年間だった。
雨降りの中で楽しめる新しい遊び
1年経ってもまだ自粛生活は終わらない。けれど今の僕らにはインターネットがある。僕が初めてインターネット上での活動を始めた頃はまだパソコンだけでちょっとオタクな人しかいないへき地のような場所だったが、スマホが普及してだれでもNETに繋がる今だからこそ、そこには色んな境遇や世界観の中で暮らしている人が行き交い交流を楽しんでいた。
これまでリアルな生活の中では接点がなくて出会わなかったであろう人々とスマホ1台で、込み入った深い話しや生活にも触れることができた。
いつまでも続く自粛生活の中では仕事も遊びも趣味も家の中なので正直時間はたっぷりある。終わりはいつなのかも見えない。そんな中では昔とった杵柄で、何十年ぶりにギターを手にする。頭は懐かしがっているが、手と喉は何もかも忘れていて、初心者の状態からの再出発だ。想像通りではあったがやぱり同じ境遇の同じ世代の同じおっさんたちは同じように活動をはじめ、中古楽器屋さんは大繁盛で同じようなSNSアカウントが雨後の筍のようにあちこちで立ち上がっていた。
パンデミックの中で起こったライフシフト
色んな出来事がこの3年間で起こった。いろんな人々にNET空間で出会った。いろんな価値観に出会って、色んな新しい物の見方に意識が変わった。テレビの中で語られること、新聞の上で語られること。あちらのSNSで語られること、こちらのSNSで語られること。NETニュースは賛否両論が飛び交い、それが本当でどれが嘘なのかも怪しくて、その上にAIが作り出した現実のような虚構や嘘が本当のように流れてくる。
そんな中でも自粛生活の中で手にした新しい価値観。自粛があけて仕事や生活で過ごす時間軸とはまた別の、第二の時間軸が並列して流れる。まるでパラレルワールドの様にまるでふたつの自分が同時に存在する感覚。建前と本音ではなくていくつかの可能性を秘めたいくつかの自分。僕は今日も仕事の業務を進行させるために頭を使い、業務をこなしながらも、意識はもう一つの世界にいる自分世界の今日を生きるテーマとコンセプトを模索する。
年齢とともに周りは成長し巣立ち、新しいステップを駆け上がりながら、そろそろ自分の人生を終わらせ方が頭をよぎる世代ではあるが、この新しい感覚をどのように続け、伝え、継承していくか。この気づきを感じている様子は、NET界隈を眺めていると確かに人々の中で淡々と生まれ始めている気がする。リアル社会だけでは到底出会えなかったような人々の日々の暮らしにそんな温もりを時間を追うごとに息吹いている様に感じている。
そんな2020の出来事を歌った斉藤和義さんの「2020DIARY」という曲を弾き語った僕の動画をご覧ください
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