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あなたは不恰好ではない

私の父は、学校の教師をしていました。
私は父が大好きです。そして尊敬をしています。

彼は、畳一畳ほどの畑を持っていました。
そして、退職してから、そこで農作業を始めました。

毎日、脚繁く畑に通い、野菜のお世話をしていました。

畑を耕し、種や苗を植え、そして、水を上げました。

育つ植物を大切に育てました。
大切にと言っても、手厚く扱うことはありませんでした。
雑草が生い茂る中、ぐんぐんと力をつけて育つ作物はとても力強さを感じました。

ある初夏の日。
嵐が来ました。
雨や風がひどく、父は一晩中寝れなかったと言いました。
彼が畑にいくと、そこにあったとうもろこしは薙ぎ倒されていました。

心を痛めて、その夕方は、悲しそうに’晩酌をしていました。
翌日、また父は畑に行きました。

私も仕事帰りに立ち寄りました。
驚かそうと思っていたところ、父はとうもろこしや、ナス、きゅうりに向かって
話しかけていました。

不思議な光景でした。
暖かく優しい光景でした。

私は、彼からそうやって育ててもらいました。

手厚いこともしなかったけど、
私の成長をいつも見守っていました。

不恰好な野菜たち。

殴られたような玉ねぎ
二つたんこぶがあるようなナス
ボーボーのセロリに
馬鹿でかいきゅうり
U字に曲がったインゲンなど

全部を父は大事に家に持って帰ってきました。

どんな不恰好な野菜も、一生懸命に植物が育てたのだから、十分だと。

その姿は私へも注がれました。


小学校の陸上記録会で、学校の代表として800m走を走りました。
一位争いをしていた私は、転んで、2位でゴールしました。
その時に父は「一生懸命走ってたから、十分だ」と言いました。

そして、初潮がきて、太った私は、中学の陸上記録会で、学校の代表としてまた800m走にでました。太った私は転びもせず、ビリから2位になりました。

その時も父は「一生懸命に走ったから、十分だ」と言いました。


それでも社会の中で、私はスーパーに並ぶ野菜のように
不恰好ではいけないと思って過ごしました。

そして、ピラティスも不恰好なピラティスはしないように
先生がいい、教科書に出ているモデルさんと同じようにかっこよくピラティスをすることを目指しました。

そして、私はかっこよくピラティスができました。
でも、体はガタガタに痛みを伴いました。
かっこいいピラティスをすればするほど、体は痛くなってきました。

でも、その時の私は、第一線でスタジオの顔のように働いていたので
まさか体が痛いなんて言えませんでした。
それよりも、難度の高い動きができるインストラクターとして頑張らないといけませんでした。

そして、途方に暮れている中、
私は父と同じことを言うピラティスの先生に出会いました。

不恰好でいい。
不恰好がいい。
あなたらしい格好のピラティスをすればいい。

そう言う先生でした。

あなたがあなたらしい、ピラティスをしなさい。
僕の真似のピラティスではなく。

不恰好だとジャッジしていた私は
不恰好の私を愛することにしました。

父がどんな私でも愛してくれたように。

そして、私は、クライアントさんのさまざまな形のピラティスを美しいと思って
今指導をしています。

インストラクターへの指導も同じです。

何年ピラティスをやってきたかも
どれだけの技ができるかも
私は、気にしません。

ピラティスを始める前のあなたより、
ピラティスをした後のあなたが、あなたらしくなっていれば
それで私は十分です。

どんなあなたも不恰好ではなく、愛される価値のある存在だから。


自分に感動をするSoul Of Pilates

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