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I want to go home

クラシカルピラティスを学び始めて、私の指導は劇的に変わった。
今まで見てきたビバリーヒルズのクライアントさんは手放すことを決め
自分でサンタモニカにオフィスを持ち始めた。

クライアントさんが悪かったわけではない。
でも、私の指導をもう一度、イチから変えたかった。
私の指導を知らない人から始めたかった。

今までの私は、ピラティスというマシンを使って
いろんな動き方を考案してはクライアントさんに提供をしてきた。

あたかも、遊園地に来てワクワクする子供のように
「今日はどんな動きをさせられるのかしら?」とクライアントさんは楽しみでいたと思う。実際に、私はマシンを使って色々と遊ぶ方法を手にした。
でも、それが体にどう影響を与えているかは皆目見当もついていなかった。

お腹に力が入る感じがするという以外は、あの頃の私は何も理解していなかった。
とにかくクライアントさんが楽しむこと、
そして、
腹筋を使った

二の腕を使った

お尻が上がるように頑張ったー

って感じがするものを提供することばかりを考えていた。

邪道な指導だったと思う。

そこから一転、
私の指導は、毎回同じことを繰り返す基本を丁寧にこなしていくことになった。
きっと私がそこで腹を括ればクライアントさんはついてきたと思う。
でも、そのスタジオでは、私の中での邪道となったものが喜ばれる雰囲気があった。

ここじゃ、だめだ。流されてしまう。
そう思って、私は、スタジオを移動することにした。

それでも、クラシカルピラティスのマシンを搭載しているスタジオではなかった。
あの感覚を掴めないまま、重たくて大きくて簡単に動くマシンの中で
私は、これでいいのだろうか?と自問自答をしながら
指導をして行った。

毎回同じことを教えれるほどの知識もなかった。
目新しいことに逃げ、面白そうなことで時間を潰した。

今の私は、過去の自分の指導をそうジャッジするが
それでも、私が当時教えたクライアントさんは涙を流すことが多かった。

「あなたのピラティスを受けると、自分のいろんなところを見つめる時間になる」
そう泣きながら、ずっと泣きながら動き続けさせた。

なぜ動かせ続けたんだろう。
わからない。
ただ、カラダに身を任せた方が、いい気がしていた。
私が動きを中断してうんうんと頷きながら聞くよりも。

それが増えていくうちに
私は、一つ気づいたことがあった。

私がエンターテイメントを提供するのではなくて、
クライアントさんたちが、
自分で自分のカラダを見つける時間と機会を提供しているに過ぎないのだ、と。

そして、あるスタジオのオーナー兼インストラクターを教える機会があった。
明らかに(この子はなんぼのもんじゃい)
と思っている節が態度から見て取れる。

確かにスタジオで指導していると泣いてるわけだからチェックをしようと思ったのかもしれない。

そして、動かし始める。
バレエをずっとしてきた彼女。クラスを教えている時の発言もとても明確だ。
でも、いざ指導を始め、彼女が動き出すと、できない動きがたくさん出てきた。
顔を歪める。痛みでではない。できない自分へのいろんな感情のように見えた。

それは慣れている。
私が経験して慣れている。
そこを体験しないと、インストラクターは成長しない。
そう思い、私は、ずっと彼女の顔の歪みを見ながら、淡々と進めた。

ティーザーという動きになった時、
彼女はひっくり返った亀のようになった。美しく長い手足が動けずにバタバタしている。彼女が今まで動いてきたようにはさせない。なぜならば、その動きの線は
無理やり美しく見せている姿であって、本物ではないから。

彼女は一度も起き上がることが出来ず、マシンから降りた。

そして立ち上がって数歩、歩いた後、彼女は床に泣き崩れた。

周りに多くのクライアントさんがいる。同時にレッスンを受けている。
その中で、彼女はティーザーすらできずに苦戦をしていた。
その姿を見られて、悔しかったのか、悲しかったのか。

と、思う人も多くないと思う。

ただ、彼女が立ち上がって泣いている目をタオルで覆いながら
私に言った言葉が


I want to go home 

Katie 

だった。

一瞬意味がわからなかった。

「家に帰りたい??」

そして私は、聞いた。
「どういう意味?」と。

すると、
「できなくて悔しかったの。恥ずかしさもあった。 
 でも、あなたの声がけに従っていった後、立ち上がった時、
 私のカラダに確かな強さと、確かな自分の中にいる感覚が蘇ってきた。
 ずっと探していたの、この感覚を。
 私が、私の中にいる感覚を。
 いつも誰かが求める振る舞いをしてきた。
 バレエの時は、バレエの先生が求める動きを。
 スタジオのオーナーであれば、オーナーとしての動きを。

 そうやって他人が求める動きをし続けたら、
 自分が何者かがわからなくなってしまったの。

 でも、今、まだあるわ。私の中に私がいる感覚。
 I am home…. I am… here …

  家に戻ってきた感覚。ここに戻りたいの。」

自分の家の中にいる安心感。
私が私として存在していいという安堵感。

私のたった一度のピラティスの指導で、
ここにたどり着いた彼女の感性の鋭さに感銘を受けながら、
私は、
「続ける?」
と聞いた。

彼女は
「もう十分。噂に聞くあなたの凄さもわかったし、
 私はこれ以上やってもきっと今日は何も得られない。だから、もう十分よ。」

と言って、自分のオフィスに姿を消していった。

彼女のレッスンを通じて、
「ピラティスは、その動きができたことがすごいんじゃない。
 きっと、その動きをやろうとすることで、
 自分を取り戻すものなのだ。

 だから、出来るできないの世界ではないのかもしれない。」

と思った日を覚えている。

だって、その日は燦々と輝く太陽の日差しの強いサンタモニカが
珍しく曇りだったから。


自分に感動しようーSoul Of Pilates 

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