Machie is your best friend...~あなたは、1人で頑張らなくてもいいんだ~
サムに出会って、クラシカルピラティスを学んで何が一番変わったかというと
マシンの使い方だと思う。
今までは、マシンを星飛雄馬でいう養成ギブスのように扱っていた。
”スプリングの強さが強いほど、それに抵抗する力がつけばつくほど
私は強くなる。”
中学生の時に駅伝で速くなりたくて、足に重りをつけて生活をしていた時期があった。私の中での理論は、この重石を外した時、私の足は空を飛ぶ如く速くなっているに違いないと。
でも、そんなの一瞬しか体験できない。
足が軽くなったなあ、というだけで、
元々持っている才能が想像以上になった訳ではなかった。
元々持っている足の速さの才能は、元々のままだった。
さて、ピラティスの話に戻すと。
クライアントさんを見ていると、
上半身と下半身がバラバラの人が多い。
私もかつては、そんなカラダだった。
自分はどうなんだろう?と思った人は、でんぐり返しをしてみるといい。
体がバラバラの人は、でんぐり返しができない。
あれって、結構、高度な技なのだ。
そして、体がバラバラな人は、自分の中が統一・統合していない。
自分という人間が何を今感じて、何をしたい衝動に駆られているのかという
線をつなげられない。
誰かがポッと言ったことに、心を曇らせ、
誰かがサラッと言ったことに、心を躍らせ、
誰かがホロっと言ったことに、心を落ち込ませ、
誰かがハイと言ってくれるのを待っている。
あっちこっちに心が動き
海に浮かぶコルクのように天候に左右され、自然とどこかの海岸に漂着して
他のゴミと一緒に混じっている状態になる。
だから、自分が統合して、私ってこういう人間なんだっていうことは
この体がバラバラになっている人は、難しい。
私は出産後、こんな状態だった。
睡眠時間を削って、
赤ちゃんが泣くたびにおっぱいをあげ、
赤ちゃんがぐずるたびに、抱っこして
赤ちゃんが声を出すたびに目を覚まし確認をしてたら
体がバラバラになって、
ある日、人生はつのぎっくり腰で体が動けなくなった。
出産自体でもうバラバラになっている上での、
その後の体の酷使だったから、
容易に産後うつになること、夫婦間が悪くなることは
当然の流れだったと思う。
今でも覚えている
産後、サムのクラスを取った時、私は泣けてきて仕方がなかった。
自分が何者かわからなくて、
自分がどうしたいのかも、どう動きたいのかもわからなくて
それ以上に、自分がしたいことを優先することをしていいのかもわからなくて。
上半身と下半身がバラバラに存在してる感。
そんな時にマシンに乗ってもつながれない。自分の体の中がつながっていないのにそのとマシンとなんかつながれるわけがない。
それは人間関係でも同じこと。
自分と繋がっていないのに、他人と繋がれるわけがない。
よく、赤ちゃんと繋がれなくて泣いている女性がセッションに来ることもある。
赤ちゃんを可愛いと思えない。
ただ、サムのレッスンを受けながら、
ピラティスをしながら、こう感じた私がいた。
バラバラの私をマシンに助けてもらいながら、
つながりを取り戻していく方法であってもいい、と。
マシンは養成ギブスではない。
あなたのスプリングの重さに打ち勝つ!が目標ではない。
マシンは友達。
マシンと戦わなくてもいい。
マシンの前で、一人前でなくてもいい。
マシンに助けてもらっていい。
バラバラになった自分を、一つにしてもらえればいい。
そういう風にマシンを見ていたつもりだったけど
出産後、自分の古い考えに囚われて、
マシンも敵になっていた。
私が戦う相手になっていた。
私が乗り越える相手になっていた。
マシンは友達。
そして、外の世界にいる人に助けてもらいながら
本当の自分を見つけさせてもらうこともできる。
自分が完璧じゃないと
人に会ってはいけないわけじゃない。
世界はもっと優しくて
世界はもっと親切で
世界はもっと私を応援したいのだ。
マシンと一体化をしていく時、
心も外に助けてもらうことにオープンになっていくのがわかる。
体が動くように、心も動く。
そう。1人で頑張ってきた。
愛する旦那、両親、子供たち、友人、先生。
みんないるのに、頑張らないといけない気がしてた。
ピラティスを通じて、
頑張るのではなく、助けてもらいながら
自分の才能を引き出してもらうことを私は学んだ。
自分に感動を与えるSoul Of Pilates
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