なくて七癖
「なくて七癖」…って言葉(ことわざ?)を
最近まで「あって七癖」と思っていた私。
ちゃんと調べたら、この言葉にはさらに続きがあって「なくて七癖、あって四十八癖」だったと知り、また驚き。にしても四十八って多すぎじゃない(笑)??
まあとにかく、人には多かれ少なかれ癖がある、という意味であることには変わりはないのだけど。
なぜこの言葉を思い出したかというと、最近、久しぶりにディズニー音楽を聴いていて、まず『モアナと伝説の海』のこの曲で号泣し
(心の内側からの叫びを無視できず、もう海に向かうしかないモアナの気持ち、止められない衝動がものすごく伝わってきて、猛烈に泣ける…。英語の原曲もいいけど、和訳も本当に素晴らしい。こういうの作られる方々みなさん天才だよね、ほんとに…)
続いて『アナと雪の女王』のこれも、映画館でしょっぱなから号泣してことを思い出してまた泣き、、、
(エルサが自分を解放していく様子に、映画館でもずっと泣いてた…)
で、ついでに、て感じでこれも聴いていたら、、、
へえー!こんな歌詞だったんだ、、、と。
問題もあるって…(笑)!!
ここにはないけど、ほかにも「いつも少し臭い」とか…ひどい言われようw
あらあら、クリストフ、そんなふうに言われちゃってたの…!と驚いたものの、「でも誰よりも優しい」というフレーズもあって、クリストフの素敵さが伝わってくる。
クリストフが言われてる「問題」って、少し臭いことなのかなあ、、あと、山で立小便すること(歌詞にある)とか?
でも「誰よりも優しい」なんて、すべてを帳消しにしてしまうぐらいの魅力だよなあ…なんて思うんだけど、、、
けど、、、
けど、、、
何を隠そう、私は完璧主義で、とっても人に厳しい。ところがある。夫曰く「タナアゲーター」(自分のことを棚に上げて人を批判する奴)なのである。いやはや、なんと的確なネーミングだろうか。。
そんな私なので、こんな素敵なクリストフに対してだって、結婚したら「臭い!もう耐え切れない!」とか言ってしまうかもしれない。
家族とか近しい人に対しては、やっぱり細かいところが見えてしまうから、うわー、こういうとこ、ほんと嫌い、みたいになってしまうことって私は結構ある。(みんなもあるのかな?)
そう思う部分は、癖、というより、短所、欠点に対して、というほうが適切かもしれないけど、でも相手に何か害?や迷惑を与えるほどの欠点ではなくても嫌だ、と思ってしまうこともある。
それはやっぱり、単なる癖に対しても私はひどく嫌悪感を感じてしまうことがある、ということだな。
そこで、七癖、、について考えてみたのだけど、たとえば夫のコト。
夫は癖はそこまで強いものはなくて、生理的に嫌だ!みたいなのはそんなにないけれど、嫌なところや欠点はもちろんある。けどそれは、別に放っておいても私に害はない、というものもある。
たとえば、仕事から帰ってきて夕食を一人で食べるとき(最近はそこまで帰りは遅くないのだけど、私と娘は先に済ませているので、彼は一人で、ということが多い)、漫画を読みながら食べる。しかもなんか、すごい姿勢で食べるときがある。テーブル挟んで向かいの椅子に足を乗せて、ふんぞり返るくらいの感じで。
傍目に見て、行儀悪いなあとかもそうだけど、そんな食べ方で食べ物の味わかんのか?とか、私の作ったものをそんなふうに食べるなよ!とか、消化によくないでしょうよ、、とか、いろいろお節介に思う。
しかしこれが彼なりのリラックス方法らしくて、食事中に娘が話しかけに行ったりすると、一応答えはするけれど、さらにしつこくいろいろ絡もうとすると「(仕事から帰ってきて一息ついてるところなんだから)リラックスさせて」と言って、自分の時間に入るため、また漫画を読みながらの食事に戻る。
まあ、こんなふうに私が感じるのは、彼の普段からのコミュニケーションの仕方とか(みんなと食べるときも、そこまで食事中の歓談を楽しむタイプではない)、食べ方の癖とか(基本的に早食い)、私をもっと大事に扱ってほしいとか、この表面に出てる現象だけではないところの不満から生じるものなんだろうなと、いま書いてて思うけれど。
でも、クリストフと同じく、すごく優しい人なんです。何かあったときには、一番に家族を大事にしてくれるのはわかっている。表面的には私に対して優しい言葉をかけるタイプではないけれど、すごく許してくれていて、大事に、幸せにしてくれているのもわかる。
以前、それがわからずに夫にいろいろ要求していた頃、「俺はスーパーマンじゃない」と、よく言われた。私がお願いしたのは、そんなに大変なことじゃなくて、ごくごく簡単なことのつもりだった。
たとえば、本当にコミュニケーションが下手な人なので、ただ私の話を聞くときに、自分の話を挟まずに、まずはじめに相づちを打ってほしい、それだけをお願いしたつもりだった。
でも、それは彼にとってはすごく大変なことだったらしい。家の中でまでそういうことに気を張りながら会話していたらリラックスできない、本当に疲れてしまう、と。(まあ、彼自身、外で気を遣って生きてるんでしょうね…)
「じゃあ私が我慢しなきゃいけないってこと?私だって話しててそんな反応されるのはストレスだし、そんなんじゃ話したくなくなるよ!」みたいな攻防を繰り返しながら、そりゃ、自分だってすごく辛いこと、大変なことを要求されたら嫌だよね、それ以外のところでちゃんと私のことを受け止めてくれていて、興味がないわけでも否定しているわけでもないのであれば、目に見える形なんてどうでもいいのかも…(いや私自身はどうでもよくはないけど、目をつぶることはできる)と私は腑に落ちると同時に、彼の方も、自然と少しずつ、私が望む形で話を聞けるようになってきた。
ま、それはさておき、以上のように私は他人、特に家族のいろんなところが気になってしまって(いわゆる神経質)、しかも自分のことはかなりテキトーなくせに(いつも携帯がない、鍵がない、と言って出かける前に騒いでいるのを夫は呆れて見ている)、人のことは許せない!みたいになってしまうタチなのだけれど、この歌で「なくて七癖…」を思い出し、多少の癖ぐらい許せる人、というか気にならない人になりたいなあ。。。と思ったのでした。
そして最後に…
他の人のいろんなところが許せない、と感じるのは、実は自分のいろんな欠点やできていないことを自分が許せてなかったりするから、というのも、よくわかる。だいぶ許せるようになってきたけれど、でも、それこそ長年の癖で、まだまだある。
でも、そんな完璧主義の自分も、実は正直嫌いじゃない。
けどまあ、自分の弱さや欠点を普通に認められて、自分で自分を非難するようなことをやらなくなったら、もっともっと自分のままでいい、と思えるようになったら、周りのことももっと許せるようになるだろうと思う。それこそ「ありのままで」のように。
(あ、、、ついでに思い出してしまった、、、15年前ぐらいに…仕事先の人にマヤ暦に詳しい方がいて、「あなたは人を許せるようになったら人生変わる」と言われたんだっけ、、、)
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