「地域」のつながりは失われつつあるのか、形を変えながら残っていくのか
「ご近所づきあい」ないしは「自分が住んでいる地域の人とのつながり」について書きたいと思う。
といっても「ご近所づきあい」というと本当に隣近所だけを指すような感じがするし、「地域」というともっと広い感じがする。けれどひとまず、どっちもごちゃまぜで書いていきたい。
「田舎」は近所の結びつきが強い?
私が住んでいる地域は、地方だけれども、そこまで「田舎」でもないので(「田舎」ってどういう地域を指すんだ、という話もあるけど)、今では「ご近所づきあい」というのはごく最小限で、わりと個人主義的な暮らしぶりをしている家庭が多い地域だとは思う。
でも、私の住んでいるところから車で1時間ぐらいの、私の夫の祖父の家がある地域は結構な「田舎」なので(田舎指数とかあれば形容しやすいのになとふと思う)、近隣とのつながりが私の地域よりも密接だと感じる。
少し前まで祖父は一人暮らしをしていたので(80歳~90歳過ぎまで)、毎日のように近所の人が何かと世話焼きというか、顔を出しに祖父のところにやってきていた。
特に、いろんな人が祖父一人では食べきれないほどのおかずや野菜を持ってきてくれることが多く、私たちが様子を見に祖父の家へ訪れるたび、それらが冷蔵庫を埋め尽くしていて(ここだけの話)若干、困っていたところもあったぐらいだった。
祖父の人徳もあるだろうが、近所、というよりももっと密接な、親戚が近いところにたくさんいる、というのもあったかもしれない。なんせ、私自身の祖父母もそうだが、10人以上のきょうだいがいる家庭で育っている人たちだから、なんらかの親戚が近くにいて、顔を出し合うのが当たり前、というのが残っている地域なのかもしれない。
めんどくさいこともあるだろうな、と思いつつも、みんなに囲まれている祖父を見るたび、こういうのっていいなあ、と思ったものだった。
そうして長らく一人暮らしをしていたものの、少し前に体調を崩して自宅からだいぶ離れたところの老人病院に入ることになった祖父は、今でもたまに「ちょっと家に帰りたいな」と外出を希望する。そしてその外出(帰宅)日には、どこから聞きつけたのか、近所やら親戚やらが祖父の家に集まり、みんなが代わる代わる顔を出して、祖父を囲む。もともと仙人というか不思議なオーラのある祖父だが、そんな祖父を見て、やっぱりいいなあ、と思うのだった。
かつては、急な雨でも隣人が我が家の洗濯物を取り込んでくれる、というような時代があった
そういう私も、まだ子どものころは、もう少し近所づきあいというものがあった。
学校から帰ってきたとき、家の人が(両親は共働きだったのでたいてい祖母が留守番をしてくれていたのだが、その祖母も)出かけていなかったりすると、まだ鍵を持っていなかった頃の私は家に入れなかったので、お隣さんの家を訪ねて入れてもらったりしていた。おやつをもらったり、トイレをお借りしたりして、家の人が帰ってくるまで待たせてもらったものだった。
ご近所さんに近い年齢の子がいたわけでもなかったので、大人の人たちともすごく親しかったわけでもないし、なついていたというほどではなかったけれど、でも、子どもなりに何かあったら頼れる、という場所だったとは思う。
ほかにも印象的だったことがある。まだ当時の実家は、当時の多くの家庭がそうだったように、物干し台が外にあり、洗濯物は2階のベランダとかではなく、庭などの物干し台に干していた。そのため、干していた洗濯物が家の人の不在時に雨が降ってきて濡れてしまいそうなときには、近所の人が雨の当たらない場所へ移動させてくれていたりした。
今ではそういうことはうちの地域では見られない。
洗濯物を勝手に触られるなんて…
ましてや見られるだけでも気持ち悪い…
というのがたいていの家庭ではないだろうか。
まあ確かに、それはそうなんだろうけど、私も今だったらそう思うだろうけど、、そんなこと(プライバシーとか)気にしなくていいぐらいの、お互いが家族の一部のようなご近所関係って、、やっぱりちょっといいなあ、と思うところもある。
「ご近所」が自分の領域に踏み込んでくることが煩わしくなる…プライバシーの時代へ
一方、やっぱり近所のつながりがあったらあったで、煩わしいこともある、というのもよくわかる。大学に進学して地元を離れたとき、いろんな地域出身の友達ができて、そこには私が住んでいたところよりももっと密接な近隣関係の地域で育った子もいた。
その子によると、そういう地域では、お互いの家庭のことをお互い何でも知っているような感じで、それはそれでやっぱり煩わしい、という話だった。あの子はどこの高校に行ったとか、どこの大学に行ったとか。部活は何をやっていて、成績はどのぐらいだ、とか。ま、そりゃ煩わしいよね…。だから地元には絶対戻りたくない、みたいなことも言ってたかな。
私が進学した大学の地域は学園都市のようなところだったので、近所には学生しかいなくて、むしろお互いのアパートなどで夜通し遊んだり寝泊まりしたりでそれはそれは密接だったが、でも、アパートの隣の部屋の住人のことは、お互い学生でありながら、友達でない限り顔も知らないぐらいだった。
そして私は大学卒業後、就職先の初任地が首都圏だったので、大学のときよりもさらに見知らぬ人だらけの中で生活することになり、お互いのことを知らないし、お互いに関心すら持たない、という環境の、ある種の安心感に浸ることが多くあった。ここで暮らすのはしがらみもないしね、楽だよね、と、友人と話したりもした。
それは若かったから、ちょうどそういう年代だったから、心地よく感じるものだったのだろうか。それとも今でもそういう暮らしをしていたら、そういう感覚を持ったままでいるのだろうか。
ふたたび「地域」とつながる
そして年月が経ち、結婚して地元に戻ってきた私は、家庭を持ち、家を持ったこともあって、それなりに地域とのつながりも以前よりは持つことになった。
まず、私の住んでいる地域には自治会というものがある。そして子どもが小学校にあがると、育成会(子ども会)というものがある。もちろん入会するしないは任意ではあるのだけど、たいていの人が入るし、実際、入ったほうがメリットがある。
どんなメリットか?一言でいえば、やっぱりそのほうが暮らしやすい、ということなのだ。入会しないと村八分にされる、とかそういうことじゃなくて(そしてそういう地域じゃない)、実際、人とつながっている安心感があるのだ。
いやはや、若いころに都市で暮らしていたころに感じていた「誰ともつながっていない安心感」「個としていられる心地よさ」とは全く相反する「つながっている安心感」を、今は感じているとは。。
今も残る「回覧板」システム
繰り返すがうちの地域はそこまで田舎ではないので、いわゆる寄合?みたいなのはないし、自治会の活動としては一年のある一定の時期にあるお祭り、、ぐらいしかない。あとは任意の草刈りとか防災訓練とか、、(怠惰な私はほとんど参加していない…)あと、いまだに、町民運動会というのがある!
それから、これはうちの地域の大きな特徴なのかもしれないが、今現在の自治会の大きな役割の一つに、市の広報紙はじめ、行政などからの各種連絡文書を各家庭に回覧ないしは配布する、ということがある。町内は組、班、隣保、という単位に分かれていて、それぞれの長を年度単位で各家庭で持ち回り担当する。その組長さんなり班長さんの主な仕事が、月1回程度、その広報誌などを回覧板なり各戸投函なりで配る、というものなのだ。
広報誌に代表される、書面での連絡を近所で回覧していくという仕組みは、もうこのインターネット、スマホ社会では、ペーパーレス化などでいずれなくなっていくだろうとは思う。でも、まだそれらを使い慣れていない、普段使いしていない層がいるうちは、もうしばらくこの習慣は続くだろうし、かろうじて残っているこの仕組みを、私は正直、いいな、と思っている。
そして、私がさらに地域のつながりの恩恵を感じるようになったのは、やはり育成会に入ってからだ。うちの子は特にその傾向があるのだけど、お祭りとか運動会とかがやっぱり好きで、学校だけでなく、町内でもそういうのができるのが本当にうれしく楽しいようだ。そこで町内のほかの学年の子たちや大人たちとも知り合い、仲良くなり、地域で子どもを育ててもらっている。本当にありがたい。
地域とつながったほうが、生きやすい?
先日、次々年度の育成会の役員決めというのがあった。娘は次年度からはもう高学年になる。育成会の役員は高学年の保護者が担当するが、6年生の親が正役員を務め、5年生の親が補佐(副役員)、という形で入り、そのため今年度中に次年度5年生になる親の中から、次々年度の(子どもが6年生になったときの)正役員を決める、という形で毎年進めているようだった。
役員は6役あり、基本話し合いで決めましょう、ということにだったが、おそらくご多分にもれず、我が家も含めて会長だけはみんなやりたがらない様子があった。それを見て、現会長さんがこんな話をしてくれた。
「言ってしまうなら、そりゃ会長の仕事は、大変は大変です。
でも、会長をやって、僕はこの町で生きやすくなりました。」
この最後の言葉でみんな笑ってしまったのだけど(笑)、
それってほんとに実際だろうな、と思った。
「まず、自治会や町のいろんなところに顔が利くようになった。あとは、自分の子どもじゃない子たちからも”会長さん、髪切ったね!”なんて声をかけてもらえるようになった」
これまたみんなで笑ってしまった(笑)。
そうはいっても立候補者までは出なかったので、役員ができそうな家庭の中から抽選で会長を決めることにはなったのだけど、おかげさまで険悪ムードにはならず、朗らかなムードの中で役員決めを終えることができた。(そして我が家も会長ではないが、ほかの役員になった)
ありがたいことに、一緒に次々年度役員をやることになった面々は、これまでの育成会の活動の中で顔見知りになった家庭がほとんどだ。こうやってみんなで地域で子どもを育てていくんだな、と、まだ残っているうちの地域の仕組みに感謝だった。
すべての活動に意義や共感を見いだせているわけではないとしても、こうして地域の存在をありがたく感じられるだけでも、十分に自治会・育成会の価値がある。そして、いろいろな決め事や決め方などがあまり形骸化している感じがせず、柔軟に今の時代に沿う形で変化させていっている感じがするわが町内の自治会にも、あっぱれ、と思うのだった。これは本当にうちの町の特徴なのかもしれないし、これまでの自治会の方々のご努力の賜物なのかもしれない。
結論、というわけでもないのだけど、、おわりに。
まあ、いろんな人がいるのが当たり前の中で、すべての人と理想的な人間関係を築き、良好で友好的な近所・地域関係を持つというのは難しいのが現実だとは思う。
それならば、初めから関係を持たず、お互い関わらないほうが気楽でトラブルもない、という考えがあるのも当然だと思うし、事実、私も若いころはそれで本当に心地よかった。寂しいとすら、若いころは感じなかった。付き合いたい人とだけ付き合えればいい、て思っていたから。
けれど、それでもやっぱり子育てをするとしたら、地域とのつながりは多少なりともあったほうが暮らしやすい、というのは確かな気がする。地域にもよるとはいえ、やっぱり子どもは自分の足で動ける範囲でめいっぱい動けた方が、親も子も楽だし楽しいし、それならばその範囲は顔見知りで、お互いのことをわかっていて、安心できる場所であるに越したことはない。
あともう一つ思うのは、やっぱりお互いのことをちゃんと知っていたほうが、トラブルも起きにくいし、起こったとしても、解決する糸口を見つけやすいのではないかということだ。そんなことは、昔の人たちはよくわかっていたのかもしれない。まあ、それでも解決できないトラブルや、もめて犬猿の仲になるとかもきっとあったとは思うけれど…
じゃあ私はどうしたいのか、どんな形が理想で、それに向けて何をどうしたいのか、という主張が特別あるわけではないんだけど、ただ、これまで住んだところでの地域のつながりや、現在の住まいでのつながりを経て、こんな雑感を持っております、という記事でした。