【読書】瀬尾まいこ『そして、バトンは渡された』
リーディング・ワークショップをやるためには、授業者の圧倒的な読書量がものを言う。
圧倒的に足りていない!
休校期間、与えられたこの時間を「読み」と「書き」に使おう。
視点人物は高校3年生の森宮優子。彼女は「フクザツ」な家庭環境で育った。
これまで母親が1回、父親が2回代わり、「森宮」という名字は彼女にとって4つめの名字になる。
高3の優子は血の繋がらない3人目の父親「森宮さん」と二人で暮らしているが、どういう経緯でそうなったのかはなかなか明かされないので、それが知りたくて読者はページをめくる。
物語は森宮さんと暮らす「今」の生活を軸として、家庭環境が変わっていた経緯を回想する形で進んでいく。
親が何度も変わる人ってなかなかいない。
マイノリティ。
マイノリティはマジョリティからすると「未知」の存在だ。
未知にはラベルを貼っておいた方が安心できる。
「フクザツな家庭」というラベル。
でもラベルを貼ると見えなくなるものがあるよね。
僕自身は、ラベルを貼らない人間でありたいなぁ。
難しいけど。しんどいけど。
少なくとも、ラベルを貼ってしまっている自分に気づける自分でありたいなぁ。
この小説から僕が受け取ったメッセージ。それは、
大切な人は、今近くにいる人だ、ということ。
今近くにいてくれる人こそが、自分にとって本当に大切な人。
きっとかけがえのないものほどすぐそばにあるものさ
ってSOUL'd OUTも言ってた。「Starlight Destiny」の中で。
でも皮肉なことに、近くにいる人ほど、その人が大切であることに気づきにくい。
「有り難い」と感じにくい。
だって「有り易い」から。
「有り易い」ものを「有り難い」と感じられる心を持てれば、
人はわりと幸せに生きていける気がする。
勉強するということは、肉眼では見えないもの(他人の思考、過去の出来事、原子の世界、などなど)を認識すること。
一方で、この目に映るものこそが自分にとって大切なわけだから、
目には見えないものを学びつつ、目に見えるものを大切にする。
これでいこう。