・中国の【有男不玩】運動におけるソシャゲ業界に対する欲求の加速
P:先日こんな記事を見つけた。https://kultur.jp/younanbuwan-movement/#toc2 もちろんこれを鵜呑みにする訳では無いが、もしこれが事実であったならば事態は予想外の様相を呈してきている。
【有男不玩】(ユーナンブーワン)と中国語では言われているこの言葉は、いわゆる中国ソシャゲ界隈におけるでスラングの一つで、男性キャラクターがゲームに登場する場合、ユーザーとしてそれを遊ばないというポリシーの表明らしいのだ。
もはやゲーム内で男性キャラクターが存在するという理由だけで、ゲームをしないという層が権力を持つようになれば世界はホモソーシャルかつ女性キャラクターしかいないディストピアになってしまうことだろう。陰と陽の調和、男性と女性の調和なくして人類の存続はない。そう信じる自分からすればショッキング極まりない事態である。
上記の記事の要点をかいつまんで説明する。
①:様々なゲーム作品で、男性キャラクターが存在するという理由だけで不買運動が起きる。
②:男性の主人公がいるという理由でも炎上騒動が起きる。
③:結果として、男性キャラクターが存在しない作品がもてはやされる。
ひとりのシナリオライターとして、この事態は看過できないと思い筆を執ることにした次第である。
それと今回言及するソシャゲのタイトルは男性プレイヤーがほぼ過半数を占めているという仮定の下に書いている。もし誤りがあれば、随時指摘していただけると幸いである。
R:私は中国産ソシャゲを現在のところ、3つ継続してプレイしている。うち、男性キャラクターが全くいないのが星の翼。男性キャラクターが主人公だけというのがスノウブレイク。男性キャラクターも女性キャラクターも両方登場するというのがドールズフロントライン2になる。
こうしてみれば、それぞれ今回の記事の要点に配置されるべきタイトルといえなくもない。なぜなら各タイトルごとに男性キャラクターの扱いや登場の有無が異なるからだ。
しかし私個人は、どのゲームも特に問題なく楽しめている。男性キャラクターが登場するしないでゲームに対する姿勢が変わることはない。
であるならば、この件について文句を言っている連中はなぜ、そこまで男性キャラクターが登場することに嫌悪感を抱くのであろうか。
記事の中で、男性キャラクターが登場すること以上に求めていないコンテンツを供給されることに対する怒りがあるという執筆者の話があったが、その論調にはどうもピンとこない。
それが事実であるならば、別の不満点においても言及されるべきであり、男性キャラクター云々だけが槍玉に挙げられることはなかろう。それにゲームに文句があるのであれば、制作陣に対してアンケートなりで要望を伝えることもできるはずだ。
E:ゲーム世界における男性性排除風潮の中でも、私がとりわけ問題だと考えるのは上記の②で、これは本来自分たちの視点人物になりうる男性主人公の否定にある。
この事実は、物語を作る側である自分にとって見れば感情移入先であるはずの視点人物の否定であり、それはすなわち物語を語ることに対する否定であると考える。
もちろんプレイヤー自身が物語の世界に入って実名で好き勝手をするということは不可能である。
だからこそ自分が名前をつけた男性主人公が必要になるわけで、その自分の分身たる主人公が登場する女性キャラクターとキャッキャウフフすることさえ許さないというのは些か潔癖が過ぎるし、なんならそういった考えに至る思考は病的でさえあるとすら思える。
私は常々、なぜ女性キャラクターのみを好む男性プレイヤーがこうも攻撃的であるのか不思議でならなかった。様々な人生経験をしてきた今ならば、ある程度こうではないかという考察はできる。
P:結論を言えば、当該プレイヤー(その多くは男性であろう)は社会の中で魅力的な男性であるという認識をされてこなかった人々であろうと思う。
常に他のオスと比べられて身体的なり経済的なりの理由で劣っているというレッテル貼りをされて肩身を狭くして人生を生きてきたに違いない。だからこそ、ゲームの中くらい自分の思う通りにプレイさせてくれと思うのだろう。
そして鬱積した劣等感は不満に対する怒りとなり、攻撃的な言動が目立つようになる。同様の性質を持ちながら女性に対する憎しみを募らせる面々をインセルなどと呼称するが、本質的には同質であると判断して差し支えない。
なぜならその根底にあるのが、他のオスとの競合に敗北し、社会から敗者というレッテルを貼られた男性の歪んだ性意識であり、それが女性に対する好悪という対称的な形で現れているに過ぎないからである。
それゆえに主たる顧客である男性プレイヤーはどういうわけかゲームに登場する架空の男性と無意識有意識問わず競り合おうとし、タメを張っているように見受けられる。
しかしながら相手はある種の理想像として生み出された架空の存在である。そもそもリアルと空想では勝負のしようがないわけであるはずだが、そこで勝手に負けたと考えるマイナス思考が火に油を注ぐのである。
ようは自分に自信がないからカッコいい二次元キャラが登場すると情けないリアルの自分と比較して惨めな気持ちになるからであろう。
いかにも攻撃的な態度は自信のなさの裏返しであるというわけだ。そうでなければここまで極端に男性キャラを毛嫌いする理由はない。いかにも偏狭さと余裕の無さが同居したインセル(本来は女性を嫌う人々をこう呼ぶのだが)同様にやりそうなことである。
しかし恐ろしいことは、それらの主張を有するユーザーが市場の一角を独占して影響力を発揮し、それらをゲームメーカー側が無視できない状況になってしまっていることだろう。
私は男女の性別は世界の両端を担う存在として互いに等しく敬意を払われるべき存在であると信じている。ゆえに性差による優劣など信じてはいないわけだが、ポリコレとは正反対な方向への行き過ぎた価値観、過剰な主張に対する過剰な配慮の歴史は、ポリコレ同様断じて繰り返してはいけないと考える。
ポリコレ、インセル、有男不玩、すべての根源は同じなのだ。己の劣等感と真に向き合い、それを克服しなければ他人の不幸を蜜としてすするだけの堕落した人生が待っている。