見出し画像

参道

 いつものウォーキングコースだった。山の中腹に真言密教の寺院がある。寺社仏閣は好きなのでよく行くのだが、自分の中では大きく二つに分類している。宗派や歴史はあまり関係ない。一つは観光色が強く史跡感が強い寺院で、もう一つは仏教の修行場としての空気感があり、特定の願いを持った参詣者が多く訪れる寺院だ。前者は枯れた感じがし、後者は少し生々しい。
 この寺院は典型的な後者だ。中興の祖による修法を今も続けていて、本尊の歓喜天は毎日夜中の2時に密教の秘法である浴油をすることで有名だ。もともと異質な雰囲気を醸し出している寺院だが、その参道はさらに異質だ。
 高低差300mくらいの山道の一本道に石畳の階段が延々と続く。参道の両脇には桜の古木が朽ち果てて並んでいる。山道といいながら、参道の両側はすべて人工の建物だ。昭和の初めまでは商店や旅館で埋め尽くされていたようだが、いまは民家が軒を並べている。昔の建屋をそのまま使っているところもあり、まるで坂道につくられた昭和テーマパークのようだ。
 歓喜天の浴油に合わせて祈祷をお願いする参詣者も多く、月一回の「ついたち参り」には午前0時を目指し多くの参詣者が来るので市も立つ。今でこそ寺院の山門のそばまで道路が通り、麓からの参道は寂れてしまったのだが、往時の雰囲気はたっぷり残っている。
 いつもは明るい時間の参道を歩いているのだが、今日は「ついたち参り」という事もあり、夜に歩いてみることにした。駅前の参道口から歩き始めた。郊外の駅前らしいまばらな商店街を抜け、参道に続く道を歩いていく。
 そこから結界が張られているような石の鳥居をくぐり、石段を登り始める。昔は旅館だったと想像が出来るつくりの門や漆喰の壁の古い住宅が点在する道だ。昼間に歩いても人とすれ違うことは少ないが、夜となると尚更だ。レトロな街灯がぽつりぽつりと続き、濃淡のある灯りの丸い輪が等間隔につながっている。
 足元を注意しながら石段を上っていくと街灯の光の中に突然足先が現れた。ぎょっとしたが下を見て歩いていたので上から下りてきた人に気づかなかったのだ。白い運動靴の女性の足元だった。足元に続き紺のスカートが見えた。すれ違いの為に端による。女性は白いブラウスを着ていたが、日傘をさしていて顔が見えなかった。すれ違ってから、夜の日傘の疑問に気づき振り返ったが、もう姿は街灯の光の外で見えなくなっていた。
 緩い坂道が続き所々大きな段差を越えるために急な石段がある。段差を越えるたびに闇が濃くなるような気がする。どこからか金木犀の匂いが漂い、闇を異世界に近づける。山頂までの距離を標す丁石を数えながら歩いていくと、半分を過ぎたぐらいで稲荷神社がある。参道は基本的に小さい尾根沿いを上っている。なので参道沿いの建物は奥行きが無く、向こうは崖になっているところが多い。稲荷神社も参道から数メートル入ったところに祠があるが背面は崖になっている。昼間に通ると猫のたまり場になっているのだが、今は参道に沿って立つ鳥居の向こうは暗闇で何も見えない。立ち止まって形だけ手を合わせる。暗闇の中で目が光った気がしたが、稲荷神社のキツネなのか住み着いているネコなのかわからない。
 しばらく歩いて大きな段差と古い石の鳥居をくぐると、少しにぎやかなところに出た。石段を登りきるとそこは少し開けた広場になっていて、もう寺院の入口だ。神仏混合の名残の大鳥居を背景に屋台の灯りが、両側に白熱灯独特の薄オレンジの暖色空間を浮かび上がらせている。湯気や何か食べ物の匂いも漂ってくる。人の姿は見えないが、ザワザワと居酒屋のなかの喧噪のような音が遠く聞こえてくる。
 この広場は縁日や大きな行事のときに使われるスペースで石畳が引かれ、昼間は駐車場になっているが、今は車が一台もない。誰もいない広場の真ん中に立つと、暗闇の中で暖色の灯りが遠く並んで私を取り囲んでいる。足元も暗いのでそれは浮かんでいるようにも見える。相変わらず喧噪のような音が聞こえてくるがそれに混じって声明が聞こえる様な気がする。もしかしたら歓喜天の浴油祈祷の声かもしれない。近寄って屋台を覗きたい気持ちもあるのだが、なぜか異世界の入口のような感じがして足が動かない。
 立ちすくんでいると風の音が聞こえてきた。最初は頭の上から聞こえてきたのだが、だんだん近づいてくる。風はつむじ風となってわたしのまわりを回りだす。風の音が強くなり、聞こえていた喧噪の音はとぎれとぎれになる。風で屋台が飛ばされるのではと思い出した時、暖色の灯りが揺らぎ始めた。そして一つの灯りが風で飛ばされるように倒れた。屋台の灯りには奥行きが無く、舞台の書割の様に板に書かれた風景のような平面だった。板がこちら側に倒れると真っ黒な板の裏が見えた。並んでいた灯りは、一つが倒れると次々と風に飛ばされながら倒れた。奥行きのある屋台の灯りは倒れると平面な板の絵になった。すべての灯りをなぎ倒すとつむじ風は収まった。
 広場はいつもの風景に戻っていた。灯りが無くなり、湯気や匂いも消え、倒れたはずの板も無くなっていた。喧噪の音は無くなり浴油祈祷の声明が遠く聞こえる。石畳の広場は寄進者の名前が書かれた玉垣で囲まれている。空には大きな満月が上っていて、その玉垣を鈍く光らせていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?