カジュアル哲学者・息子(6)からの質問「出世ってなに?」
「しんちゃんのとうちゃんがゆってた、しゅっせ(出世)ってなに?」
souiです。明けましておめでとうございます。
今回は、クレヨンしんちゃんの録画を見終えた息子からの質問。
これに対して私が瞬間的に何を思い、どう答えたかというお話です。
子供とのコミュニケーションを日々自学している、どこかのパパさんの参考になる日が来れば嬉しいです。
親父はSiriではない
私はコミュニケーションをするうえで相手が「わからない」というのは、500%伝えた側の責任だと思っています。しかも相手は6歳の保育園児。
なので今きっと大切なのは
× 何を、どのように伝えるか
〇 何を、どのレベルまで理解してもらうか、そのうえでどのように伝えるか
なのではないかな、と直感。
私は
①言うこと全部が理解できなくていい。ざっくりイメージ出来ればいい。
②彼(息子)が抱いたイメージに紐づいた、”個人的な想い”を伝えたい。
という2つが頭をよぎりました。
さて、出世・・・って。
「偉くなること」・・で良いのかな。
偉くなるって、どういうことだろう。
誰かの上に立つこと、と言えば・・・・わからないか。
ちなみにweb広辞苑で調べると↓
しゅっ‐せ【出世】
①〔仏〕
㋐諸仏が衆生済度しゅじょうさいどのためこの世に出現すること。しゅっせい。
㋑世俗を捨てて仏道に入ること。また、その人。出世間。出家。僧侶。
㋒叡山で、公卿の子息が受戒・剃髪して僧となったもの。
㋓禅宗で、寺院の住持となること、高位の寺に転住すること、黄衣・紫衣を賜ること、和尚の位階を受けることなどをいう。
②この世に生まれ出ること。出生。
③(出世1㋒が特に昇進が早かったところからいう)世の中に出て立派な地位・身分となること。しゅっせい。「―して故郷に帰る」「立身―」
参考:広辞苑無料検索(https://sakura-paris.org/dict/)
ここでの回答は、③の意味ですね。
ただ、簡潔に「AとはBのことだ」と辞書のように意味を伝えるだけで良いのでしょうか。父親は辞書じゃないし、Siriでもアレクサでもない。
親子、いや父子のコミュニケーションは分かりやすくだけじゃなく、心に残るように話すこと、聞かせるということが必要だと思うのです。
(「超めんどくせぇ」と思うこともありますけれど。読書中とか特に。)
想いを乗せて、言葉を打ち込む
以上が質問をされた後に数秒間頭をよぎったこと。
そして以下が、私なりの彼(息子)へ伝えた内容で、( )内は狙いというか、伝える際の真意です。
s:「出世っていうのは、仕事をしている人が「よくやったね」と認められて、偉くなることだよ。」
(簡潔且つ易しい言葉で伝える。「人に認められること」が偉くなる方法の一つ、とイメージしてくれれば良い。)
s:「世の中には、出世したほうがいい人と絶対に出世してはいけない人がいると思ってるんだ、お父さんは。
(出世という言葉に対して抱く、父親個人の価値観の提示)
出世したほうがいいのは、周りの人のことをちゃんと考えられる人。どんな時でもにこやかで、優しい気持ちを持てるような人。
出世してはいけないのは、自分のことだけを考えて動く人や、周りの人に興味がない人。」
(本当はもっと細かく伝えたいけど、取捨選択してイメージだけを植え付ける)
子:「そんな人いるの??」
「いるよ。いろいろな人がいる。お父さんは子供のころ、『大人』っていうのはもっといろいろなことができて、いろいろなことが分かっていて、強いものだと思っていた。でも実際は、誤魔化しながら、いい加減に、ぎりぎりに生きてるんだとわかったよ。優しくて間違っている人もいるし、いい加減で正しい人もいる。本当に、いろいろな人がいるのが、〇〇(息子)が生きているこの星の、この世界だよ」
(世の中はままならない、ということをいつも伝えたい)
ゆっくり、穏やかに目を見て伝えてみました。
息子は「そうなんだ・・・」と言って、手元のおもちゃをいじり始めました。
”情報”や”正解”に触れる機会は、彼が生きていくこれから先、いくらでもある。
でも、個人的なイメージや世界観というのは、決して身近な情報ではないんじゃないかと。
何故なら世の中はみんな面倒くさがりだし、いつも正直者ではないから。
自分の”想い”や”ストーリー”を開示してもらえる回数は、きっと多くないと思うのです。
だからせめて父として、
・人はそれぞれ想いを持っている
・この世は優しさと危険が身近にある
・”変わっている”ものなんて無くて、違っていて変わっていて当たり前
そういうことを時限爆弾のように、息子の頭に少しずつ植え付けていきたいな、と思いながら接している日々です。
子供へ伝える言葉は、自分に伝えたい言葉かもしれない
今回の件に限らず、子供って日常生活のなかで、思いがけない”鋭さ”を見せることがあります。
まっすぐな質問は、自分の中のインプットの棚卸や高速な自問自答をさせます。そして出来上がった答えを言葉として伝えるときに、息子の向こう側に幼い時・若い時の自分を見ている気分になるんですよね。
”あの時の自分はこういう話を聞きたかったんじゃないだろうか”
”あの頃の自分が聞いて、果たして理解できたかな。腑に落ちるかな”
とか。
妙に哲学的な問いを投げかけられた時は、自分の中に鏡が一枚備え付けられたような気分になります。そしてその鏡を覗き込み、自分のこれまでを見つめ直すことができるような気がしてくるのです。(これは物凄く刺激的で楽しい瞬間です)
(ちなみにその後の会話)
子:「パパは出世しないの?」
s:「お父さんは周りに興味を抱けない人間だって自分でよくわかってきたから、マジでもういいの。」
(「㋑なの、お父さんは。㋑。”世俗を捨てた人”なの」と本当は言いたい)
これは教育上良いんだか悪いんだかわかりませんが、私のようにならずに彼らしく生きてくれれば、それでいい。