いろんな幸せの形
そろそろ決着をつけたい気持ちがある。
子供がほしいという願望。
私には、大事な大事な愛おしい一人息子がいる。優しい夫もいる。
幸せ。そう、十分幸せ。
だけど。
ほんとは…もっと子供がほしい。
不妊体質なうえに、病気になり、すでに高齢妊娠年齢。正直厳しい。わかっている。
ある人から見れば、欲張り。一人いればいいじゃない。
ある人から見れば、そんなにいいものではないかもしれない。何にこだわっている。
わかっている。
それでも、諦めきれない気持ちを胸に何年も抱え続けている私。
最近思うのは、理想に近づけば幸せが手に入るような気がしていただけなのかもしれない。
幸せって一体なんだろう。
そんなことを考えていた気持ちの記録。
理想像に縛られる私
いつからだろう。
大家族をもつことが夢だった。
大きな一軒家と犬と子供は3-4人、
花が咲き乱れる庭で、週末は森でキャンプ♪
笑っちゃうくらいキラキラした夢。
我が両親は、私が中学生の頃に離婚しドロドロだったので、"幸せな家庭を築く"ことに憧れがあったのかもしれない。
とにかく、お母さんになって、大家族の中心でニコニコ笑っているのが夢だった。
ついでに言ってしまえば、自分に似た娘がほしかった。
一緒に温泉につかったり、ショッピングしたり、ディズニーランドに行ってキャーキャーしたり、恋愛相談にのってみたり…
そんなことをしてみたかった。
20年近く抱き続けてきたこの理想像。手放すことはなかなか容易ではない。
加えて、私は、運と努力により、今までほしいものはわりと手にしてきた。
それもあり、いつか叶うかもしれないとやっぱり思ってしまう気持ちを捨てきれず、現実との狭間で苦しくなってしまっていた。
幸せになりたい
なぜその理想像から離れられないのか。
たぶん私はそのキラキラした家庭を築けばわかりやすく幸せになれるような気がしていたんだと思う。
冷静に考えれば、子供が多ければそれだけ幸せになれるわけではない。
私は自分で決めつけた幸せの理想像にしばられ、がんじがらめになっていた。
大事なことは、幸せになりたいってことだったのに、本来の目的を見失ってしまっていた気がする。
何が本当の幸せか
幸せになりたい。そう思うけれど…。
そもそも幸せって実態がつかみにくい。
形は一つではないし、見ようとしなければ見えてこないときも多いんだと思う。
夢が叶えば、「達成感」でわかりやすく幸せな気持ちになるだろう。
しかし、叶えた先にうまくいかないことも当然ある。
理想はあくまで理想であり、そこに細々した生活の単調さや大変さは含まれていないように思う。
結局は、夢って理想化しすぎて、それに憧れてしまう面が多いんだ。
大事なことは、夢のその先の毎日に幸せを見出し続けられるかどうかだ。
幸せの形は、無数にあるんだと思う。
そして、何を幸せと捉えるかは自分次第。
理想に固執し続けるのではなく、今の自分なりの幸せを探してゆけばいいのかな。
そうやって日々考えながら生きていれば、幸せは感じられるし、増やしてゆけるんじゃないかな。
そう思えたとき、やっと少し解放された気がした。
一番もったいないのは、理想を追いすぎて今そこにある幸せに気がつかないことだ。
最後に
幸せってとらえどころがなくて難しい。
自分や環境が変わるにつれて、幸せも形を変えていくもの。だから、自分に問いかけ続けないと簡単に見失ってしまう。
ただ単純に長年の理想を追うことはもうやめようと思う。
そして、これからは今の自分をしっかりみつめ、自分なりの幸せを探してゆきたいなと、そう思う。