栗林大茶会を振り返って
栗林大茶会
一昨日、高松の栗林公園にて8日間にわたって開催された「栗林大茶会」が無事に終了いたしました。
今、東京の自分の庵に戻って、街が寝静まった夜半に、思い出をひとり反芻しています。
茶会が終わった翌朝、いつもの見慣れた道を通って公園に向かい、茶会の道具の整理や後片付けをしました。
そして、ある程度けりがついたところで、まだまだ膨大な業務が残るスタッフの皆様に最後のご挨拶をし、後ろ髪をひかれながら、栗林公園を後にしました。
高松空港へ向かう道中、窓から晴れ渡る空をぼんやりと眺めていると、寂しさがしんしんと募って、心に空いた穴がますます広がっていくようでした。
今回の大茶会は、10年来のご縁の巡り合わせもあって、茶の湯監修という大変重要な役割を引き受け、関わらせて頂きました。
開催主であるワンストーリー様は以前より記事などで多く拝見しておりましたが、まさか自分がそのイベントのひとつに与するとは思い寄らぬことでありました。
また、銀座ファロの加藤峰子氏による和菓子、ミクソロジーサロンなど複数店舗を経営される南雲宗宇三氏によるドリンク、万博のパビリオンも設計されている永山祐子氏による建築など、各分野の第一線でご活躍の皆様とご一緒できること非常に楽しく、開催当日まで紆余曲折ありましたが、今思えばすべてポジティブに解決されていったなと思います。また、現地からは二蝶の山本社長もご参加くださるということで、非常に身が引き締まる思いで臨みました。
初めての方が楽しめる茶会
個人的には、大茶会と大き名前はついておりますが、従来の形式にとらわれず、これまでとは一線を画す新しい形を目指したいと考えておりました。今回、企画の中心にいらっしゃった方々の多くが茶の湯未経験者であったことはとてもありがたく、それをより理解して頂ける環境にあったということも幸いなことでした。
そもそも最も茶の湯が盛んだった400年前、そのムーブメントを生み出したのは、茶の湯未経験の、立身出世を果たしたばかりの武将たちだったのですから、未経験者が多ければ多いほど茶は楽しくなるはずだと思っています。
経験者は口ばかり出すのではなく、自ら身体を一所懸命に動かして、自然と導いたり、補填したりする存在に成るべきではなかろうかと思います。
そのため、今回の大茶会は、初めて茶会に参加される方々が心から楽しめる場であることを重視していました。それは、参加者だけでなく、亭主となる方々も含めてです。
白い靴下や茶碗の回し方といった作法にこだわらず、茶席では茶や会話、その瞬間にしか生まれない偶然性を満喫して頂ければ、茶の湯の喜びをより身近に感じて頂けるのではなかろうかと。
そんな思いから、全5席のうち、お抹茶を提供した、いわゆる「茶席」は2席だけで、残りの3席では別の「茶」をお出ししました。各席の詳細については、今後レポートが公開され次第、こちらに追記いたしますのでどうぞお楽しみに。
どの席も、茶室、茶、菓子ともに本当に素晴らしいものとなりました。また、大寄せの合同茶会にありがちな、「どの席も全部練切じゃん……」のような主菓子地獄の絶望もなく、全体的なバランスが非常に良い内容でありました(合同茶会の主催者は、もう少し全体の道具や菓子とかのバランスを整えようよ、と云々)。
また、亭主の方々にも特別な「茶の湯」的な教示はほとんど行いませんでした。
彼らは普段、サービスのプロフェッショナルであり、眼前に居る客人に対して、茶室に籠る茶人以上の接遇を提供できることは明らかでした。
そしてさらに幸運だったことは、現地のオペレーションスタッフの皆様のサポートもお見事で、初めて集まったとは思えないほど素晴らしいチームワークがそこに生まれていました。
このような実力をお持ちの方々に、茶の湯は如何なる効果をもたらせるのかといえば、本当にささやかに、茶会の「型(フレーム/Frame)」から逸脱しないように、目を配るだけに思います。
何に対しても、どんな状況においても、「フラットなフレーム」であり続けることが、茶堂の役目と思います。
茶人ではなく、揺るぎない茶堂こそが、今後の茶の世界にはより重要な存在として認知されていくのではと考えております。
いざ本番当日
とまあ、いろいろ考えながらの準備期間でありましたが、試行錯誤を繰り返し、10月15日、いよいよ大茶会が初日を迎えました。
私は茶席の亭主だけでなく、開始前のオリエンテーションも担当しておりましたので、参加者の皆様の緊張した面持ちをよく見ておりました。
私たちはもしかしたらそれ以上に緊張していたかもしれませんが、茶会が進むにつれ、そのピンと張り詰められていた糸が、両者ともに次第にほころんでいく様子を見て、心から安堵しておりました。
常日頃から思っておりますが、私の理想の茶会は、終了後に参加者が疲弊しているのではなく、さらに元気になっている茶会です。
もともと抹茶は薬なのですから、来場される前より、元気になっていなければおかしいのです。
茶を介して、楽しい時間を過ごすことで、元気が湧いてくるのです。
それは客人だけではなく、亭主側もそうでありたいと思っています。
また、日を追うごとに現地スタッフの皆様との結束が深まっていったことも、貴重な経験となりました。
ある種の共同生活に近いものでしたから、最終日には帰ることが心底名残惜しく、「もう1週間あれば」という無謀な希望が湧き起こるほど、心地よい時間を過ごすことができました。
そんなこんなで、お越し頂きました皆様の温かなご配慮もあり、無事に8日間のお茶会を終えることができました。
深く深く、御礼申し上げます。
茶の湯って、茶会ってなんだろう
さて、改めて、茶の湯とは、茶会とはなんなのでしょう。
もし、誰もが作法や知識を知らなければ楽しめないものだとしたら、茶の湯なんてとっくの昔に化石化してなくなっていたのではないでしょうか。
それよりも茶席の中に、亭主と客人の当意即妙の、まさに啐啄の喜びがあったからこそ、今日まで展開してきたように思っています。
しかしながら、いつの間にかその「瞬間性」は、積み重ねられてきた「常識」という地層の中に埋もれてしまったように見えます。
私は、大江健三郎の『燃え上がる緑の木』という小説がとても好きです。
その中に、死生観について語られる場面があり、生命の一生のことを「一瞬よりかはいくらか長く続く間」という言葉で表現されております。
これこそまさに茶の湯だと思って、この言葉をいつも胸に刻んでいます。
茶の湯のひとときは、普段の「瞬間」より、ほんの少しだけ「長い」のです。
でもこの少しだけ長い「瞬間」を成立させるためには恐ろしく多くの要素が必要になります。
茶の世界ではそのために、長い時間をかけて稽古をしたり、さまざまな環境下の経験を求めたりするわけですが、それらが亭主と客人のやりとりによって、パズルのピースがピタッと嵌る瞬間、とてもシンプルな「もの」になります。
私はこれを「空間化」とよく言っています。
個と全体がうまく循環する、いささか長く過ごす空間のことです。
言うなれば、境をまぎらかして「一」になると言ったところでしょうか。
このときは時間の流れも、茶席の外の世界とはまた別のものとなります。
「一瞬よりかはいくらか長く続く間」。
これこそ茶の湯の醍醐味と言えます。
一見、この醍醐味を達成することは非常に難しく感じますが、それは普段我々が無意識のうちに呼吸をしたり、歩いたり、笑ったり、することと同じことでもあります。
これらは誰にとってもわかりやすい、非常にシンプルな表現、運動としてとらえられています。
ただ、それらはいつの間にかできるようになってしまったものも多く、容易に感じるところでありますが、本当の意味で解釈するためには、天文学的な数の要素を洗い出し、そして再構築しなければならないでしょう。
シンプルなものほど、その内側は複雑怪奇であると思います。
おそらく識閾下には、把握することは到底不可能なほどの、無数の要素が存在しているのでしょう。
茶の湯の場合は、それを亭主と客人という2者によって達成を目指しますので、より難儀なものとなります。
そのため、2者の通奏低音を合わせるために、細かな作法やルールなどが敷かれるようになりましたが、それはあくまでも空間化するためのものです。
亭主と客人の交流以上に、作法やルールが上位に立つなどと言うことはありません。
しかし、不思議なことで、いざ本番となって、「茶」という、現実にきちんと存在する飲み物を媒介にすると、意外と容易に「一瞬よりかはいくらか長く続く間」を達成してしまうことが多々あるのです。
現実に、現象として、誰もが理解できる形でそれは現れます。
おそらくそのときは、亭主と客人の心がいろいろなものを超えて合致した瞬間なのだと思います。
そのような意味で、今回は、本当に多くの人が関わって、一つの「茶」という現象を織り成したことは、誇るべきものであったと思います。
すれ違う参加者の表情を眺めているとーもしかしたら一方的な希望的観測にすぎないのかもしれませんがー、とてもそれを感じた次第です。
茶会は特に両者がピリピリしたままでは絶対に美味しいお茶は生まれませんから、互いに和やかになることが第一です。
茶会は終わってしまいましたが、飲んだ茶は今後も波紋のように心身に影響して、肉体の一部として残っていくのだと思います。
茶の湯は現実的な作用の中にあります。
次回は、また来年に開催予定とのこと。
そしてその際はまた高松へ行けたら何よりでございます。
皆様と一服を楽しめることを願って、筆を置きたいと思います。
改めまして、この度は、ご参加頂きました皆様、ご協力頂きました皆様、誠にありがとうございました。
いつもながら適当に書いていたら、長文駄文になってしまいました。
お目汚し、失礼いたしました。
また会いましょう!
2024年10月24日 深夜 武井 宗道