七夕について〜飾る、食べる〜
本日は七夕。
「しちせき」と読みますが、日本の棚機津女(たなばたつめ)の伝説と相まって、「たなばた」と今では呼ばれています。
七夕といえば、織女と牽牛。中国からきた星合と、乞巧奠という筆や裁縫などの技芸上達の行事が合わさって、奈良時代に日本に伝わったとされています。
五節句の一つで、陽数(奇数)が重なる日に邪気を払う行事でもあり、現在、天候不順の災害や、コロナなどの病災が訪れている日本にとっては、まさに効果を発揮する日だと言えます。
七月は、ちょうど一年の半分、夏越の祓えが終わり、梅雨の時季や初夏にかけて、精神も肉体もギアチェンジをしなければならない頃でありますが、それが大きな負担となって心身に変調を来してしまうことを予防しなければなりません。
そのために、邪気払いの飾り、料理、香などを身体の内外で摂取し、厄災を払います。今も昔も、身体がおかしくなる時は、季節が移り変わる時です。それぞれの家で「飾る」「食べる」「纏う」という行為をすることで、総じて意識的になり、注意喚起になります。
七夕ではいくつかのキーワードが登場します。
笹、竹、索餅(素麺)、梶の葉、織女、牽牛、朝顔、甘酒、などなど。
それぞれの要素を、歴史書や文芸、伝説、植物、酒などに照らし合わせ、さらにそれを自分の身の回りのもの(持っているもの、できるもの、知っているもの、など)に置き換えていくと、自分だけの物語が生まれます。そして、それを茶の湯という形式に当て嵌めると、世界で一つだけの茶事となるのです。
梶の葉
私は毎年、七夕の時季になると目を血走らせながら、とにかく梶の葉を探します。内弟子の頃は、毎年、宗家の屋根によじ登って採っていましたが、一般的にはなかなか植えられていません。
梶の葉は、とても美しい姿形をしていて、裏に細かな毛がびっしりと生えているのが特徴です。似たような葉は意外と多く生えているのですが、梶そのものが少なくて困っていました。しかし、去年、とある場所で発見することができ、以来、そこの葉を使っています(秘密)。
さて、何故、七夕に梶の葉を用いるのかと言いますと、先述した葉の裏にびっしりとある毛に理由のひとつがあります。この葉を、書道用の毛氈の上に置くと、毛と毛が絡まって動かなくなるのです。
「葉書」とは、元来、葉に書いていたもので、そのひとつがこの梶の葉なのです。七夕では邪気を払うと同時に、技芸の上達を願いますので(いつの間にかなんでも願って良いようになってしまった)、書の上達のために、葉の面に和歌を書くなどします。
遠州茶道宗家十二世小堀宗慶宗匠は、大きな梶の葉に和歌を書かれ、表装して床飾りにされていました。書いた歌は『新古今和歌集』の藤原俊成の歌「七夕の戸渡る舟の梶(かじ)の葉に幾秋書きつ露の玉章(たまづさ)」。
梶の葉は、実は他にもうひとつ理由があるのですが(その方が重要)、それはまた今度講座でお話ししたいと思います。
●索餅
七夕といえば索餅。昨日、NHKの「グレーテルのかまど」でもやってましたね。索餅は縄状の唐菓子です。昔の方法で作ると、硬くて塩っぽくて食べるのに非常に難儀しますが、七夕の時は、索餅がお供えされていました。
『年中行事抄』は中国の故事を引きつつ、七夕に索餅を食せば瘧病にかからないと述べる”とある。また同書には『宇多天皇御記』寛平2年(890)2月30日の条に“俗間で行われてきた「七月七日素麪」を宮廷行事に採り入れる旨が記されている”とあり、このことは『大日本史料 第1編之1』をみると確認できる。
引用 東京都江戸博物館資料
先日まとめましたこちらの記事にも「瘧」は登場しました。「おこり」「ぎゃく」と読み、マラリアのことです。
マラリアは蚊によって感染が拡大します。ちょうど7月は蚊が大量発生する頃。それがまだわからなかった時代は、索餅をもって、邪気を払おうとしたわけですね。
●切子灯籠
今年は故あって、岐阜で七夕を迎えております。
切子灯籠というものが家にありまして、本日、床の間に飾っております。岐阜では、7歳の七夕のときに、こちらを家族から贈られ、無病息災を祈るとのことです。
他にも、笹や、星合、牽牛、朝顔など、たくさんの要素があります。ひとつひとつを紐解くと、意外と慣れ親しんできたものと繋がるかもしれません。
●オンライン講座のお知らせ
七夕の節句について、オンライン講座を開催します。
上記の内容だけでなく、もっと七夕の節句や、茶湯について知りたい方がいましたら、どうぞお気軽にご参加ください。
日時:7月19日13時〜15時
参加費:3000円
参加方法:下記のアドレスまで、お名前を明記の上、ご連絡ください。参加費をお振込頂きましたら、zoomのURLをお送りいたします。
sotocha.office@gmail.com
武井 宗道
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?