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神浦を一望できる公園
神浦城(こうのうらじょう)の成り立ち
神浦にはかつて城がありました。
朝廷が吉野の南朝と京都の北朝に分かれていた南北朝時代の永和年間(1375~1379年)に、領主となった大串小次郎俊長(おおくしこじろうとしなが)が山城を築いたといわれています。(参考サイト:外海地域センター「そとめぐり」)
大串小次郎は、のちに地名の「神浦」をとって姓を改め、「神浦氏」と称したそうです。
時は進んだ戦国時代、大村純忠と後藤貴明が争っていたとき、神浦氏は後藤氏に味方したため、大村氏に攻め滅ぼされ、神浦城は取り壊されたと伝わっています。(参考サイト:市民協働推進室「長崎伝習所」)
ちなみに、大村純忠はさまざまな事業を行い、歴史にその名を残しました。(参考サイト:大村市観光振興課)
・日本初のキリシタン大名
・南蛮貿易を始めた(ポルトガルとの通商)
・日本初のヨーロッパ公式訪問団である天正遣欧少年使節を派遣
城跡と墓地
中世の山城である神浦城跡は、現在、公園となっています。
今は店舗が少なくなってしまった商店街の中にあるバス停「神の浦」から徒歩約10分、坂道の頂点に「神浦城公園」はあります。
鬱蒼とした木々の中、けれど道はちゃんとしたアスファルト。ただ車はたまにしか通らず、山に入ると人影もないので、けっこう不安になります。
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公園内に入ると、その景色は圧巻の一言。
ここまで上り坂を歩いた疲れも忘れるくらい、すばらしい風景が広がります。
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公園内には一服できる東屋と、いくつかの城の名残りがあります。
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神浦にはもうひとつ、神浦氏関連の史跡があります。
神浦城跡より下方に建つ光照寺の境内にある、3つの墓碑です。第11代正通とその家族の墓だとされています。
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帰りは回り道がおすすめ
帰り道は折り返さずにそのまま進むと、神浦川沿いの神浦丸尾町に到達しました。
この辺りは開墾などで出た結晶片岩を使用した石積みが数多くあり、「丸尾石積群」と呼ばれています。
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ルートとしては、商店街のバス停から神浦城公園へ向かい、来た道から先へと進んで丸尾石積群を抜け、光照寺にある墓碑へというのがおすすめです。
短いまち歩きですが、出津(しつ)や大野を訪れた際に立ち寄ってみてはいかがでしょうか。