宗教の価値【続】
前編はこちら。
宗教が取り組む問題
死の問題には二つあると言いました。
一つは、すべての人が100%確実に死ぬということ。
もう一つは、死んだ後どうなるのかわからないということです。
一つの目を解決できるのは、永遠の命です。
残念ながらこれを解決した宗教は今のところありませんし、まともな宗教ならこの方向には行きません。
まともな宗教が取り組んでいるのは、主に死んだ後にどうなるのかわからないという問題のほうです。
僕は宗教について考える時、その宗教が死後の世界についてどのような回答を用意しているのか、というのが最も本質的な問いだと思います。
僕が触れたキリスト教
僕がカリフォルニアの留学生だった頃、いつも一緒につるんでいたのは韓国人留学生のブランドンでした。
ブランドンの両親は熱心なキリスト教徒で、日曜日には一緒に教会へ行きました。
キリスト教に興味があったというのもありますが、どちらかというと目当てはお昼に無料で提供される韓国料理でした。
教会のパク神父は、韓国語がわからない僕のために日英の聖書を用意してくれて、日本語が喋れる神父さんも呼んで熱心に教えてくれました。
僕も初めてちゃんと宗教に触れる機会だったので、どんどん質問をしました。
色々とわからないことをつっこんで聞いていくと、初めは神父さんから論理的な答えが返ってくるんですが、あるところまで行くといつも同じ結論に達します。
「信じれば救われる」
「信じればわかる」
これはキリスト教を頭でわかろうとすると、必ず行きつく結論ですね。
キリスト教は、先ずは信者が信じるというコミットメントありきの宗教です。
キリスト教は、神様が救ってくれる他力の宗教だと学校で習いました。
救いは神から平等に与えられるもの。
ただし、信じている人限定です。
神を信じられるかどうかが僕の努力しだいだとすると、それはもう平等ではないでしょう。
これは大きな矛盾だな、と思いました。
キリスト教の世界観では、死後の世界は天国と地獄の二択です。
キリスト教の神様を信じる目的は抜苦与楽ですが、最終目標は死んだ後に天国に行くことです。
僕は、いくら話を聞いても、聖書を読んでも、キリスト教を頭で理解することはできないということがわかりました。
頭で理解できない以上、盲目的に神様を信じるしかありません。
自分が本当に神様を信じ切れたのかどうか、結果発表は死んだ時です。
僕は理解できないことを、死ぬまで積極的に信じられるほど、強い人間ではないんです。
僕が触れた仏教
僕は次に、仏教の浄土真宗の教えに触れました。
仏教の世界観では、人間は死んだ後に別の生物に生まれ変わります。
いわゆる輪廻転生という世界観です。
生まれ変わるなら、死んでもオッケーじゃね?
と思いますよね。
まぁ、そうなんですけど、ほぼ確実に蟻とかミジンコとか人間よりだいぶグレードの低い生物に生まれ変わるというのが、輪廻転生のあるあるです。
仏教の世界観では、死んでもまた生まれ変わって生きつづける魔のサイクルが元凶で、その状態から抜け出ることが最終目標とされています。
この最終目標に近づくことを悟りを開くと言っています。
悟りには52段あって、地球上で52段目の悟りを開いたと自他ともに認めらているのはお釈迦様だけです。
お釈迦様は仏教の始祖ですが、全知全能の神ではありません。
お釈迦様は地球上でただ一人、自力で悟りを開いて宇宙の真理を理解した人です。
宇宙の真理を理解した人を、仏陀と呼びます。
仏教は、人類で唯一最高の悟りを開いたお釈迦様が、自分が理解した宇宙の真理を人間の言葉であーでもないこーでもないと解説した内容の集大成なのです。
仏教の世界観では、宇宙のいたるところに仏陀がいることになっています。
お釈迦様は、地域限定のローカル仏陀なんですね。
生きている時は、「会いに行ける仏陀」的な存在だったのでしょう。
お釈迦様は人間としては天才だったようですが、仏陀としてはわりと平凡だったようです。
仏陀の目標は、すべての生き物に悟りを開かせてることです。
でもお釈迦様は、死ぬまでに他の地球人を自分と同じ悟りの境地に導くことはできなかったわけです。
僕が仏教に触れて凄いなと思ったのは、その世界観が科学の発展と矛盾しないことです。
ユダヤ教やキリスト教の教義は、そのまま読むと地動説や進化論なんかと矛盾しますよね。
神様が6日間で世界を作って7日目に休んだ、というあれです。
僕が知る限り、仏教の世界観と科学の世界は矛盾しませんでした。
仏教の世界観は、原因があって結果があるという因果律を基礎としているところも、科学との相性が良い所です。
仏教には、大きく分けて幸せになる方法が2つ用意されています。
一つは、お釈迦様のように厳しい修行をして仏の悟りを自力で開く方法。
これはわかりやすいけど、絶望的に難しいです。
どのくらい難しいのかというと、今まで仏教に100%人生をささげてきた全てのお坊さんが仏の悟りを開けていないくらい難しいです。
人類史上仏の悟りを開いたのはお釈迦様ただ一人です。
普通に考えて、僕には無理ゲーだとわかります。
もう一つは、阿弥陀仏陀というお釈迦様が尊敬するスーパー仏陀に助けてもらう方法です。
こちらはまだ希望がありますね。
浄土真宗はこちらです。
結論から言うと、僕は仏教とも距離を置いています。
仏教の世界観は、今でも凄いと思いますし、すごく魅力的です。
でも、やはり頭で理解できない部分が最後に残ってしまいます。
浄土真宗は他力の仏教なので、「とりあえず信じてください」とは言われませんでした。
でも最終的に結果に結びつくのかどうかは、最後まで進んでみなければわからない、という内容でした。
宗教を頭で理解しようとすると、やはりその辺が限界ですね。
宗教が元気になる時代
新型コロナが世界中に広がり、毎日死者の数がニュースで発表されています。
日本でも、今後身近な人に感染者や死者が出ることも増えるかもしれません。
新型コロナが今後どのような変化をもたらすかはわかりませんが、もし今の状況が長期化するのであれば、死はどんどん身近な存在になっていくはずです。
そういう状況では、宗教が果たすべき役割は大きくなっていきます。
死の問題に対して答えらしきものを用意しているのは、宗教だけだからです。
今後は、宗教へ関心を持つ人も増えるでしょうし、宗教からの勧誘も増えることでしょう。
僕は、宗教が全部良くないというつもりはまったくありません。
キリスト教も、仏教も、宗教としては素晴らしいと思います。
僕にはあわなかったというだけです。
世の中には宗教と呼ばれているものがたくさんあります。
中には変な宗教もたくさんあります。
宗教はあなたの苦しみを取り去り、幸せを与えるためのサービスです。
自分が宗教に消費されることがないようにだけは、気をつけたいものです。
もし何かの宗教に興味持つことがあったら、その宗教が死の問題にどんな回答を用意しているのか、確認してみてください。
「これを信じたら、私は死後どうなるんですか?」
死語の問題に真摯に取り組んでいるまともな宗教なら、誰に聞いても同じ答えが返ってくるはずです。
帰ってきた答えは、自分の時間とお金を費やす価値があるか。
よく考えてみてください。
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