ハワイ移住が決まった時の話
2014年4月7日、嫁と僕は1週間のサンディエゴ旅行の最後にパシフィック ビーチ ピアにやって来た。
月曜日だというのに、ビーチを見下ろす白い桟橋は観光客で賑わっていた。
僕はレンタル釣具屋で借りた釣り竿で大物を狙ったもののまったく釣果はなく、渋い顔をしながら釣り竿を返したところだった。
嫁は、僕の言い訳に大笑いしている。
明日のニューヨークへのフライトを前に、嫁とピアのベンチに座ってサンディエゴ遠征の反省会をした。
先月会社をクビになった僕は、嫁の出張についてサンディエゴにやって来た。
うまくいっていなかったニューヨークでの就職活動をいったん休止して、カリフォルニアでの就職と移住の可能性を探りに来たのだ。
就職活動の感触は上々だった。
前日面接した企業からは無事に最終面接のオファーをもらい、ヘッドハンターからレファレンスの提出を依頼されたところだった。
明日のフライトをキャンセルしてこのままサンディエゴに残り、最終面接を受けるべきかどうかを、嫁と話し合った。
「昨日面接した会社はどうだったの?」
チョコレートアイスクリームを食べながら嫁が聞いた。
「うーん、正直面白そうな仕事ではないけど、贅沢を言っていられる状況じゃないしね。サンディエゴはどう思う? ここに住みたい?」
ラムレーズンのアイスを舐めながら僕が聞き返した。
「サンディエゴはニューヨークと比べて暖かいけど、海の水は冷たかったよね。ハワイの海は良かったなあ…」
半年前の新婚旅行は、ハワイ島だった。
「この際、ハワイで仕事探してみようか?」
僕は、冗談半分で言ってみた。
「いいんじゃない? ハワイ住んでみたい!」
当時僕と嫁の大好きな番組は、毎週日曜日の8時から放送されていた「ハワイ ライフ」という番組だった。
ハワイに移住したばかりのカップルが、現地で新居を購入するという内容のリアリティ番組だ。
楽園に住む夢をかなえた人たちが、ハワイ生活を楽しみながら、不動産を見て回る羨ましい内容だ。
新婚旅行でハワイのすばらしさを知った僕たちは、毎週「ハワイ ライフ」を欠かさず見ながら、いつかハワイに住む夢を語っていた。
「ハワイ ライフ」に登場する人たちは、先生、消防士、会計士、アーティストなど、いわゆる普通の人たちだ。
この人たちにできて、自分たちにできないはずはないと思ってはいたものの、きっかけを掴めずにいた。
「どうせ失業中だし、確かにいいタイミングかも… 今ニューヨークやカリフォルニアで仕事を見つけても、仕事のせいで数年は身動きが取れなくなる。子供が生まれたらもっと身動きが取れなくなりそう。子供が大きくなるのを待ってたら、このまま引退しちゃいそうだ」
僕はアイスクリームをゴミ箱に放り込むと、その場でiPhoneを取り出してホノルルのヘッドハンターを検索して電話をかけた。
電話に出たアランという人事コンサルタントは、とつぜん市外局番から電話をかけてきた僕に、ハワイの人材市場について詳しく教えてくれた。
彼の話によると、ハワイのヘッドハンターはハワイに住んでいない人材を一切紹介しないし、企業も州外の人間に仕事のオファーを出すことは滅多にないということがわかった。
ダメもとで、オファーをもらってから引っ越すかどうか考えるといった、半分冷やかしの応募が絶えないのだそうだ。
ヘッドハンターや企業にとっては、州外から人材をとることのコストが馬鹿にならないのだろう。
ハワイで仕事を見つけるには、ハワイに行くことが最低条件だ。
アランは、ハワイまで来てくれたら協力するよ、と言ってくれた。
僕はまたかけなおすから、と伝えて電話を切った。
「ハワイに住んでないと、面接してもらえないって」
嫁に事情を説明した。
「わかった。3ヶ月あったら仕事見つかるよね。行っておいで。」
ホテルに戻ると、嫁が5分ほどでホノルル行きの片道チケットを予約してしまった。
出発は次の日の早朝だ。
嫁が本気なのが半信半疑だった僕は、逆に面食らってしまった。
「マジか?」
大急ぎでワイキキのホステルインターナショナルを1週間予約した。
バックパッカーが泊まる8人相部屋の安宿だ。
バタバタと荷造りを済ませ、初めて自分が明日向かうホノルルについて調べてみた。
最後にホノルルへ行ったのは高校生の時だった。
アラモアナショッピングセンターとワイキキビーチの印象しかない。
ビジネスはあるのだから、会計士の仕事がないはずはない。
ただ、ロサンゼルスやニューヨークのような大企業はないかもしれない。
ウィキペディアによると、ハワイ州の州都ホノルルの人口は37万人だ。
人口100万人ちょっとの仙台市の、3分の1くらいの規模しかない。
オアフ島の人口を全部足しても90万人ちょっとだ。
主な産業は、観光、軍事、農業。
アメリカ市民じゃないから軍事はないし、公認会計士だから農業もない。
となると、あとはホテルや旅行会社の財務とかだろうか?
ちゃんと仕事があるのか心配になってきた。
とはいえ、乗りかかった舟だ。
どうせ僕は失業中、そもそも失うものは無い。
失敗したらニューヨークで就職活動を再開すればいいだけだ。
翌朝、僕は手荷物のスーツケース一つでホノルルに降り立った。
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