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包丁が教えてくれるポストコロナの時代
こんばんは。
毎日コロナのニュースばかりで気が変になりそうですが、気の早いメディアはすでにコロナ後の世界、ポストコロナの未来予想を始めています。
新型コロナは確かに大変なパンデミックですが、終わらないパンデミックはありません。
5年、10年の期間で見れば、コロナは確実に過去のものとなっていくはずです。
コロナ後の世の中がどうなるのか?
興味は尽きません。
いろいろ言われていますが、おそらくほとんどの予想は外れます。
これは間違いない。
だって、ポストコロナがあーだこーだ言っている専門家の中に、コロナのパンデミックを予想できた人います?
誰も予想できなかったブラックスワンだから、世界中が大騒ぎしているわけですよ。
専門家や知識人の未来予想なんて、当たらないのが相場です。
エンターテイメントだと思って、話半分くらいに聞いています。
今朝は、書き始めたnoteのネタがデカすぎて途中で崩壊してしまい、いったんデスクを離れることにしました。
昨日のお昼から何も食べてないことを思い出し、とりあえず気分転換にポークカレーを作りました。
玉ねぎをみじん切りにしながらふと包丁を見ると、「石槌」と彫られています。
去年の11月に、カッパ橋道具街で買った2万円のステンレス製三徳包丁です。
切れ味もデザインも気に入っていて、この頃の料理はもっぱらこの包丁を使っています。
切れ味とデザインよりもっと気に入っているのは、日本刀の刀鍛冶の技術を受け継いだ職人が作っているということです。
カッパ橋の包丁屋さんで、中国人のおばさんが教えてくれました。
石槌金物製作所はホームページすらないので、本当かどうかはわかりません。
でも男はこういうロマンのある話に弱いのです。
日本刀の技術で作られた包丁だと思って玉ねぎを切っていると、まるでサムライになったような気分を味わえます。
切れ味のいい包丁で玉ねぎを切っても、涙は出ないのです。
日本の近代史で時代がガラッと変わった瞬間があるとすれば、それは間違いなく明治維新と太平洋戦争の終戦でしょう。
明治維新では、それまでの江戸時代的な価値観が根底から覆されました。
武士の命だったちょんまげはちょん切られ、武士の魂だった刀は取り上げられてしまいました。
刀鍛冶をしていた人たちも、仕事が無くなって大変な思いをしたことでしょう。
刀鍛冶職人は、その後料理包丁に活路を見出しました。
日本の料理包丁は、今では日本が世界に誇る文化です。
太平洋戦争の終戦も、日本の社会を一新しました。
それまで明治維新の延長線上にあった帝国主義が一掃されて、アメリカ的な価値観や生活様式が受け入れられていきました。
それまで大砲や戦車を作っていた技術者は、武器の製造を禁止されてバイクや車を作り始めました。
ゼロ戦を作っていた航空技術者も、戦闘機の製造を禁止されてスクーターを作り始めました。
これが後のスバル(富士重工)です。
わが家でも、2010年式アウトバックをゼロ戦の後継機と思って大事に乗っています。
コロナがこれからの社会に与える変化も、明治維新や太平洋戦争終戦と同じくらいのインパクトを持つんじゃないかと思っています。
どういう社会になるのかなんて、誰にもわかりません。
物知り顔をしてメディアに登場している専門家たちも、自分が予想した通りに世の中が変化するとは思っていないはずです。
本心では、言ったもん勝ちくらいに思っているのではないでしょうか。
ちょんまげを切ったばかりの江戸生まれの日本人も、終戦の焼け野原に立っていた明治大正生まれの日本人も、その後自分たちがどんな世界を生きることになるのかなんて知るよしもありません。
得体のしれない時代の変化を肌で感じながら、ただ目の前にある課題に取り組んで道を切り開いていっただけです。
新型コロナのパンデミックを経験している昭和平成生まれの僕たちが置かれている現状も、きっと似たようなものです。
ウイルスという、生き物なのか物質なのかもハッキリしない得体のしれない何かによって、時代が変わろうとしています。
外出自粛が、来月終わるのか、はたまた1年以上続くのか、それはまだわかりません。
でもだたひとつわかるのは、僕らが外出自粛を終えて外に出た時、僕らの知る世界はもう終わっているということです。
コロナ前の世界を懐かしんでも、コロナを呪っても、前の時代は帰ってきません。
コロナ後の世界は、変化を受け入れて順応した人だけが生き残ることができる、新しい世界のはずです。
10年前に「チーズはどこへ消えた」という本がベストセラーになりました。
読んだことがある人は多いと思いますが、話は覚えているでしょうか?
食べきれないほどのチーズを楽しんでいたネズミと小人は、ある日チーズが無くなっていることに気がつきます。
ネズミはすぐに新しいチーズを求めて行動を始めましたが、小人は「なぜチーズが無くなったのか、どこへ消えたのか」を真剣に考えこんでしまいます。
コロナが収束して家を出た時、僕らはすぐに新しいチーズを探しに出かけることをできるだろうか?
「石槌」の三徳包丁を眺めていたら、とつぜん涙があふれて止まらなくなった。
そういえば、買ってから一度も研いでなかった。
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