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それぞれの “ 3.12 “ 知らなかった。ごめんなさい。
"知らなかった。ごめんなさい、、
事故にあってから気がついた私たちもいけないのかなぁ。。。"
約束通り、私たちは13日の夜に2回目のインタビューの時間を設けた。
3.11から11年
あの日の感情を思い出せなくなってる。
それぞれの “ 3.12 “
+++++
原発についてお話を聞かせてください。
単純に原発立地県だから、働いている人たちもいる、お世話になってる人もいる。色々、思うところがある。母のように強くは言えないが。
仕事がなくなって困る人もいる。
この後に及んでまだ使うのかなぁ。
悪いものだと思う?
作った人が悪い。と思います。最初に作った人。。。
今生きている私たちは働かなくてはいけない。
最初からこんな事故になるなんて思って働く人はいない。
1f 2f (福島第一原発 第二原発)
動かなくたって東京電気ついたじゃないですか。
あれは、人はみんな協力して計画停電して
水力だって火力だってあるし。電気は作れる。そのことを証明したんだと思います。
地元を奪われた身としては
やっぱり経験した人じゃないと気持ち辛さがわからない。。
住み慣れた街に帰れない、育った街に帰れない、
その気持ちは、どうやったら、経験してない人に伝わるんですかね?
+
インタビューアーが感情に揺れるわけにいかない。
言葉は重い。届けなくてはいけない。僕ら以外の誰かに。
自分ごとに置き換えて想像をしてみる。
東京や海外での生活を経て自分が戻ってきた街。今でも母校に通う。
サッカーをする沼津第五中学校。20代から70代の人が集う。
時々あえて潤滑油の様に笑い話を挟んだ。
もう、呼吸ができている。こはるちゃんが自分の文章に信頼を寄せてくれていることがわかる。
個人的なパーソナルな話から
“惨事や戦争で家を奪われた悲しさを想像できる?”
不意にウクライナーロシアの紛争について話が膨らんだ。
急に奪われるんですものね。どうしたらいいの?っていうその気持ち。。
だから、11年の中で考えた。原発はいらないとは思う。
育った街に当たり前にあった。
事故にあってから気がついた私たちもいけないのかなぁ。。。
エネルギー館にも遊びに行ってた。そんな危険なものだと思わなかった。
知らなかったな。ごめんなさい。失ってから人は気付くんでしょうね。
ごめんねとかありがとうとか、素直な言葉って言うこと大事ですよね。
私って、性格に素直じゃないところがあるじゃないですか、、
へそ曲がりって言われてきた
でもだって星人 お兄ちゃんばっかり トトロのメイちゃんみたいな性格だった。
だから、ウクライナの戦争とか見てても
急に身近にいた旦那さんが
戦争に行かされたりして。。
だから、急に目の前で死んじゃったりとか、
死んじゃってから”ありがとう”とか”ごめんなさい”って言うことができないじゃないですか。
だから日頃から言うことって大事じゃないですか。
ウクライナでは自分の生まれた故郷を守ろうと
自爆して橋を壊した人いるじゃないですか。
ロシア兵もたくさん亡くなるわけじゃないですか。
上に従うことしかできない。
おかしいと思ったらおかしいと言っていいと私は思うんですよね。