大嶽 創太郎 (Sotaro Ohdake)

南アフリカに3年半ほど暮らしたフリーランスのジャーナリスト。 映画音楽スポーツ、 本名での寄稿は国内外政治トピックスや沖縄米軍基地問題など。 愛車は古いメルセデス。ヨーロッパ5カ国 2500kmの走破経験あり。

大嶽 創太郎 (Sotaro Ohdake)

南アフリカに3年半ほど暮らしたフリーランスのジャーナリスト。 映画音楽スポーツ、 本名での寄稿は国内外政治トピックスや沖縄米軍基地問題など。 愛車は古いメルセデス。ヨーロッパ5カ国 2500kmの走破経験あり。

最近の記事

福島を抱きしめに来た ウーマン村本氏インタビュー

++ ショーレースのチャンピオンでありながら 吉本興業の異端児として知られる村本氏。 社会風刺を自らのステージに多く仕込み、『笑い』に向き合う異質の存在は 私たち世代のビジネスマン、ファッションloverにも見習う点が多くある。 なぜ彼は、孤独でいられるのか? なぜ彼は誹謗やレッテルに耐え、他者=『多くのお笑い芸人たち』とは違い 荊(いばら)の道を歩むことが出来るのか ? 2022年3月12日ー 福島県南相馬市で行われた無料liveにてウーマンラシュアワーの

    • それぞれの3.12 福島を抱きしめに来た

      それぞれの3.12 福島を抱きしめに来た (※再掲載 作成日ー2022年 3月 11日) 一年前と違い関係性が構築できている。 そのためこの日のインタビューは、より核心に近づく。 木田さん一家の故郷、福島県双葉郡への取材から一年の時間が経過した。 それは僕もインタビューを引き受けてくれた木田家の一人娘 こはるちゃんも事前に心の準備をしていたが ただ、彼女の緊張は十二分に伝わっていた。電話のコール音 直前にチャットでメッセージを交換したのにも関わらず 長い着信

      • それぞれの “ 3.12 “ 知らなかった。ごめんなさい。

        "知らなかった。ごめんなさい、、 事故にあってから気がついた私たちもいけないのかなぁ。。。" 約束通り、私たちは13日の夜に2回目のインタビューの時間を設けた。 3.11から11年 あの日の感情を思い出せなくなってる。 それぞれの “ 3.12 “ +++++ 原発についてお話を聞かせてください。 単純に原発立地県だから、働いている人たちもいる、お世話になってる人もいる。色々、思うところがある。母のように強くは言えないが。 仕事がなくなって困る人もいる。 この後に及ん

        • それぞれの " 3, 12 "

          それぞれの " 3 12 " HPやここnoteでも公開中の福島同行取材。その一年後の声を聞きたく 03月11日の夜 福島双葉郡から現在は茨城県水戸市に原発避難した木田こはるさんにインタビューを依頼した。 現在、HPを新たに構築中で、その草案というか、書き落としですが、 一人でも多くの人に届けると約束をしたので 投稿先がHPかnoteかは大した問題ではなく、ここに綴ります。 +++ それぞれの " 3 12 " 木田さん一家の故郷福島県双葉郡

          一つ地球にいい事

          一つ地球にいい事 NEW!2021-05-31 14:17:51 The worlds top quality 100% natural and biodegradable Grey Sedge grass (Sedgy) straw. Est. 2019. Straws provided by Nature. 世界最高品質の100%天然で生分解性のグレイセッジグラス(セジー)ストロー。 EST(東部基準時。 2019.自然から提供されたストロー。 #YNIJAPAN

          2021 0311 / 14時46分は海に居たい花束を買って海に届けたい

          震災を経験した、あるご家族に同行させて頂き取材を許された。 以下、現地取材 =福島県双葉郡富岡町 「なんだろう。。震災を思い出すというより、震災の前の事を思い出す。 この家に帰るのが遅くて怒られたなとか。 外には自転車が置いてあって、小さい時、クリスマスプレゼントもらったこととか。 会えなくなった人がいっぱいいると気づく。」 現在でも放射線量は多く一家は自宅を手放し福島から茨城へと移住。 多くの人が町を去った。 小学校、中学校、高校と全て自分が通った学校は廃

          2021 0311 / 14時46分は海に居たい花束を買って海に届けたい

          wana be back 3.10. 戻りたい風景 vol 4

          女優木内みどりさんが繋いでくれたご縁で あるご家族と共に震災後10年を迎える福島を目指す事となった。 このご家族、木田家は福島県いわき市出身。 原発から避難して現在は茨城県中部の街、水戸市に暮らしている。 最初に避難したマンションではワンちゃんを飼うことが出来なかった。 人が生きるか死ぬかの時に、犬猫の面倒は見れないと市の職員にきっぱりと言われてしまってね。。 事故以前まではバスガイドをしていた奥様は一緒に来てくれたら嬉しいと 福島同行を快く引き受けてくれた。 原発事故

          wana be back 3.10. 戻りたい風景 vol 4

          wana be back 3.10. 戻りたい風景 vol 3

          2011 3 末日  渋谷のアジトに画面に行方不明の息子を探す老夫婦の姿が映しだされている。 瓦礫の中、大きな声で息子の名前を叫んでいる。 声は風にかき消され、本来返事を返す者はいない。お父さんもういいよと母親が手を握った。 「創太郎、お前、現地行ってこいよ。。」 バーオーナーの達也さんが促してくれた。 ここで行かなければ嘘になる。アジトの物資を届けた先発隊。福島出身の友人の帰郷。二度も現地に行くきっかけを逃していた。 日に焼けた肌。帰国して数ヶ月。バックパックの中には南ア

          wana be back 3.10. 戻りたい風景 vol 3

          wana be back 3.10. 戻りたい風景 vol2

          その男は同じ年で、出会った場所は高円寺だったか吉祥寺だったか。 書き始めて思い出したのはそれは桜が咲く井の頭公園の花見で パンク音楽が大好きなロッカー集団の一人だった。僕らはまだ19かハタチとかで未来にまだ沢山の余白があった。 田舎言葉を70パーセントoffにして、話す面倒見の良い男。 ほとんどのパンクすが楽器やら歌やらを武器にする中 彼は持ち前の調整力と問題解決能力でバンド運営の裏方を担っていた。 東北人に共通してもれなくシャイだし、静かに熱くて そうなの?ほんと?と目

          wana be back 3.10. 戻りたい風景 vol2

          wana be back 3.10. 戻りたい風景 vol 1

          + 2011年3月 東京 渋谷区円山町、クラブ街&風俗街のど真ん中 決して治安が良いとは言えない場所に当時の僕らのアジトはあった。 恵比寿から移転してきた実験的なBARはスパイス鍋や 週末日替わりでliveを行うミュージシャンの演奏が好評で 健全で業界人も集う秘密のアジトだった。 もちろん地震の直後から東京でもかつて感じたことがない緊張感があり 飲食店だった店内は仲間たちの緊急的な避難合宿スペースと変わったのだった。 皆等しく、余震に怯えていた。都内のマンション8回の部屋

          wana be back 3.10. 戻りたい風景 vol 1

          新生活で思い出す不思議体験  #3

          3月の静かな夜だった。文章の運びに気持ちが乗って来た時、私はふと視線と思考を奪われた。 誰も触っていない、テーブルの上のシルバーがカチンと音を立てたのだ。 ✴︎ 件の女の子が、新たな提案をしてくれた。 早稲田大学を案内するから一緒に来てみてはどうか?と云う。私は恥ずかしながら大学に行くことは出来なかった。高校在学中から街に出て働く事を覚えそのまま時間が経過していた。しかし20代後半になり文章を仕事にする様になってから改めて大学に行って経済や世界史、法学の知識を得たいと

          新生活で思い出す不思議体験  #3

          新生活で思い出す不思議体験 #2

          新生活をきっかけにある女の子に出会った。 早稲田大学に通う女の子だ。当時まだ20歳過ぎ位だったと思う。新生活の拠点にした中央区小伝馬町には沢山の本を置いた広いガレージの様なカフェがあった。秘密の隠れ家の様に一目で高価だと分かるとスピーカーからセンスの良い音楽が流れており珈琲も美味い。(残念ながら2016年には閉店してしまった)スタッフも余計な会話をしない。原稿を処理しなくてはいけない私にとっては心地の良い距離感の店だった。 その日、件の女の子は酔っ払っていた。普段は優秀な

          新生活で思い出す不思議体験 #2

          新生活で思い出す不思議体験 #1

          ー今回の投稿は私が経験した新生活と音楽にまつわる不思議を紹介したいー 海外生活経験が長く今でも時間とタイミング、チャンスがあれば海外に行きたいと考えている。極論、行きたくない国などないし、世界中を歩き旅し、この目で世界を見渡し現地の人と彼らが食べる食事を味わい共にお酒を飲み交わしたい。 17歳でメキシコアメリカをバックパックし24歳で香港、27歳の時にサッカーW杯を取材するために南アフリカに渡った。海外生活者にとっての不安は帰国した際の住居だ。時に友人宅、ガールフレンドの

          新生活で思い出す不思議体験 #1

          初投稿

          数年前からnoteの存在は知っていたが 新たな出会いや交流に期待していざ出航。 過去の取材記事整理やコラム的な空間にしたく思います。 宜しくお願いします。