服を変えただけでもメイクアップとは?
なぜ男性と女性では生物学的に寿命の時間が不平等なのだろうか?
私なりの結論。女性はお化粧する時間がある。
男性には化粧する時間やゆとりや美意識があまりにない。
以上。
ところがです。最近書道のために作務衣を着るような習慣ができました。
実に涼しくて軽くて気持ちがよいんです。
で、メイクアップ、メイキャップアーチスト、Make upって
ちょっとMをFに変えただけで
Fake upになるし、反対にBroken Downって言葉なかった?
My Broken HeartのBrokenだよね。
Don’t Let me DownのDownだよね。
そしたらもしかしたらだけれど、メイクアップって言葉って別に
女性のお化粧だけに考える言葉じゃないよね。
そもそもお化粧って着てる服だって影響があるし、いわば見た目だよね。
自分の見た目を、外見を装うと気持ちって上がるんですね。
もちろん上がりすぎもよくないかもしれません。
(躁的な上がり方は一番困ります。)
ただ誰かを傷つけずに自分の気持ちのみが上がってるなら
無害でいいのかもしれませんね。
(了)
以下余談です。
若いそうたいはまだビジュアル系などという言葉があった際に
ルージュを唇に引いてどうにか自分の女性性を確かめようとしてもがいた時期が確かにありました。
つまりです。自分の中にある「女性」的な要素を持ち、
植物性恋愛できればもうそれで自分が強く求めすぎるような
異性への関心、煩悩、肉欲から解脱できるとさえ信じていた次第です。
つまり自らに内在する両性具有を信じさらに体現できればハッピーお気楽極楽ブラボーかと。
で、結果はどうなったかって?
エヴァンゲリヲンのとある最後のアスカの言葉よろしく。
「気持ち悪い」と気になる女性から排除されて嫌悪されて終わり。
なぜか?
それはルージュを引いた後の唇の跡のついたガラスのグラスを放置するような男のずぼらさ、だらしなさ、不潔感、愚かさなどなど男が嫌いになる要素のてんこ盛りだったからでした。
うわべだけ女性のメイクに近づこうったって、産毛を剃ってるわけでもなく。眉を落としたわけでもない。
ルージュ一本うまく引けたからといって何も私の外見的な「男性性」に
よいプラスな影響が出る保証などないのです。
なにが言いたいか?
男性だっておしゃれを楽しむことできもちが上がるということ。
そしておしゃれとはお洒落であるように
洗練されたお遊びであればよろしいのかと。
そしておしゃれは我慢ともいいますよね。
今日とあるお店で和装のまま飲んだらめちゃくちゃ暑くて
冷房が効いてるのに全く楽しめませんでした。
誰だ?和装が涼しいって決めつけたの!!!
暑かったよ。和装。
冬場はどうやって和装するかは今後の課題ですねぇ。
別に和装したら必ずいつもいつも和装しなきゃいけない
って決まりもないし。いつもは洋服、たまに、和服だって
全然かまわないよね?
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