理解されたい人と理解したい人
僕はある時中学時代の友だちから、こんな悩みを相談された。
【自分を理解してくれる人がいない】
自分を理解してくれる人がいないからどうしたら良いのか。という悩み相談だった。
すごく難しい悩みだが、どこにでも転がってる悩みでもある。
僕も学生時代この事ですごく悩んでいた時期がある。
これから僕の書くことは決して答えではない。だが、ひとつの考え方だと思って見てほしい。
まず僕が思ったのは、【人を理解することも、人から理解してもらうことも不可能】だということだ。
どんなに親しい人(家族、友だち、恋人)だとしても、結局は他人なのだから本当にその人の事を理解する事は難しいと僕は思う。
理解して欲しい程度にもよるとは思うが、大抵自分の求める理解度を示してくれる事は少ないのではないかと思うからだ。
理解できないから親子喧嘩もするし、恋人の関係は終わるし、友だちも無限に増えるわけではない。
人との関係に終わりがあるのは、時期や年齢など様々な理由があるが、その中に精神的理由があるとするならそれは、理解できない面を認められないからではないかと思う。
でも、寄り添い合う事はできると思う。
どんなに理解ができなくても、理解したいと思う事が人と人とを繋げる大切な想いなんだと思う。
僕は過去不登校になった経験がある。不登校だった頃、僕は「誰も僕の気持ちなんて理解してくれない」「僕の辛さなんて誰にもわからない」そう思っていた。それと同時に、学校に行く事を勧めてくる人や悩みを聞こうとする人の事も僕は理解できなかった。
でも、ある時母が「不登校の子ども達を支援してくれる学校があるから、見学だけでも行ってみたら?」と言ってくれた。
僕は、母の言葉にのり見学に行った。先生達も優しく、生徒も無理に距離を詰めてこない良い学校だと思ったが、心のどこかに不安があった。でも行きたいという気持ちも強かった。
と母に話すと、母は「どうする?行ってみる?」と僕に言った。
母は決して僕よりも先に決断しなかった。
「よかったね!行ってみようよ!」と僕の気持ちを上げて学校に行かせようとするのではなく、あくまでも僕の意思で入学の決断をさせてくれた。
今思えば、母はずっと不登校の息子の言動、考え、気持ち全てを理解してなかったと思う。
だが、必死で理解しようとしてくれていた。僕にずっと寄り添ってくれていた。
だから僕も、母を理解したい。寄り添って母という人物の事を知ってずっと家族でいたいと思っている。
初めに書いたように、人を理解する事はやっぱり不可能なんだと思う。
でも、この人を理解したい。この人に理解して欲しい。
と思い続ける事が大切なんだと思う。
理解したいからそのために知恵を絞るし、理解したいから相手を知ろうとする。
そうやって相手を思い、寄り添っていく事で自然と相手から答えは返ってくると思う。
もし、相手から最悪な答えが返ってきたり、答えが返ってくるまですごく長い時間がかかったとしても、僕は落ち込まないし気にしない事にしてる。
だって、僕には悩みを相談してくれる友だちがいて、大切な家族がいて、信頼できる先輩たちがいる。
たった一人の人が僕に嫌な答えを出しただけなんだ。これからも僕は沢山の人に出会い、お互いを理解し合いたい人と必ず出会える。
僕が母の思いに気づき、いつまでも大切に思っている事実が何よりの証拠で、僕の考え方の自信だからだ。