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不登校だった僕の思う、自分の居場所の見つけ方。

僕は中学生時代に不登校だった経験がある。
いじめを受け、心を閉ざし学校という社会に恐怖していた。でも、不登校を支援している、西濃学園という学校に出会い僕はまた学校に行くことができた。
あの時は辛かったが、不登校だった頃の経験があるからこそ今の自分がいることも事実だ。

僕は、母の勧めで不登校を支援する学校に行き、また学校という社会に参加することができた。この話を色々な場所ですると「よかったね!」「学校でしか学べないことがあるからね!」と肯定してくれる人がほとんどだが、果たして「学校に行くこと」だけが正解なのだろうか。
もちろん、学校という小さい社会で人間関係やある程度の理不尽さに触れ、人間として成長できる機会があることは確かだ。
でも、全ての人に学校という社会が適しているのだろうか。

多様性が認められ始めている今の世界で「学校に行く」ことだけは必ず全員に求められる。もちろん多様性の中にも、社会的ルールが基盤にありお互いを傷つけず、お互いがお互いを受容する上で成り立っていることは理解できる。
だからこそ、自分が受け入れることができ、自分を受け入れてくれる世界に自分の居場所を作る選択肢もあるのではないだろうか。

今や勉強は自分でもでき、学歴などいつでも取ることができる。
でも、自分が人間として生きる中で何より大切なのは、自分が生きたいと思える場所があることなのではないだろうか。

僕の場合は不登校を支援してくれる学校に通うことが正解だった。でも、全員がそうではない。
家で勉強し、地域のコミュニティーに参加し人間関係を築く人もいれば、ネットの中で人間関係を築いていく人もいるだろう。
その場に自分の生きる意味を見つけられるのであれば、それがその人なりの「正解」なのではないかと思う。
もちろん、社会的ルール(法律等)を犯さない範囲での話だが。

最後に

僕は今不登校支援のボランティア団体の会長をしている。小さい団体でまだ始まったばかりだが、この団体が一人でも多くの人の居場所になりたいと思っている。

僕はこの活動を通して、辛かったあの時に支えてくれた全ての人への恩返しをし僕自身の生きる意味を見出したい。
自分のこれまでの選択を正解だったと思えるように。

毎日を過ごす中で、小さな後悔はつきものだ。自分を卑下し、落ち込む。努力に結果がついてこないことに悩む。
でも、落ち込んだその先に結果が出れば、その苦労や失敗は全て自分の経験になり、力に変わる。結果を生み出すのはいつだって自分だ。
たくさん悩んで、たくさん後悔しながら、自分の生きたいと思える場所で毎日少しずつ進んでいこう。そうすればきっと、楽しい人生だったと思える時がきっとくるから。

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