嘘とはなにか
好きなカフェに来て、あれやこれやと考え、ミルクティーを飲んでいる時間が幸せ。
幸せのハードルは低いほうが幸福度が高いよ、と聞いたことがあるけど、それならきっと私の幸福度は高い。笑
NOTEセカンド投稿できてよかった!
ゆるーく型にはめずに書くと決めたので、気負わず投稿できてよいのかも。
この1年間「嘘とはなにか」について、すごく考えました。
考えてもなかなかしっくりくる答えに辿り着かなくて、性格的に腑に落ちないとずっとモヤモヤしてしまうんです。
昨日そのモヤモヤが再発して、もうとことん考えてやろっと、夜な夜なペンを持ち、嘘についてなんでも良いから書いてみようと3ページくらいかな、書きまくった。
そもそも、この嘘に苦しめられたきっかけは、離婚した原因にも関わってくるんだけど、それを書き始めると脱線しそうなので今回は割愛。
ざっくりいうと、結婚相手に大きな隠し事があり、結果として嘘をつかれた、と私が認識していること。
その嘘によって、私もきっと相手も苦しめられたと思うから、ずっと心のなかにある。
私は嘘をつくことにとても抵抗がある。綺麗事でもなんでもなくて、罪悪感に苦しめられるから。
昨日のノートを見返すとそんなところから書き始めている。
なぜ私は嘘をつくことに抵抗があるんだろう?
これは幼少期に親から受けた教育が大きく影響していると思う。
「嘘つきは泥棒の始まり」
「お天道様が見ているよ」
「嘘ついたら針千本飲ます」
”嘘=だめなこと”とは、親や学校などのいろんな場面で教えられてきた共通認識なのではないかな。
それを大人になった今でも、嘘をつきそうになったとき「あ〜お天道様が見ているのかぁ、ならやめよう」と、馬鹿正直に思っていたんだよな。笑
相手の嘘によって、死ぬほど苦しめられたこともあり、より一層嘘はいけないものと捉えるようになっていた。
でもこの考えは、少し間違っているのではないかと最近考えるようになってきた。
というのも、この考えが強くなるにつれ、私自身が苦しくなるから。
でも嘘をつくと罪悪感が芽生えてしまう。嘘は悪いことだから。
じゃあ仮についても良い嘘があるとしたら?
なんてことを考えてみた。
ここからは昨日私が考えたことをざっと書いてみる。
心の声とともに。笑
<実は嘘をつくことがすきなのではないか?>
公に嘘をついても良いと言われる場面を挙げてみると、エイプリルフールや人狼などのゲームがある。
私はどちらもノリノリで楽しんでしまう。
なぜなら罪悪感なく嘘をついても良いから。
てことは、罪悪感がなければ嘘をついても良いのかなぁ?
<嘘に種類があるとするなら?>
相手を喜ばす嘘とは
・本当はかわいいと思っていない相手に対して「かわいいね!」と言ってしまう
・髪型が変わったときに「似合っているよ」とそうでなくても言ってしまう
・欲しくないものをもらったときに「嬉しい!」と言ってしまう
この相手を喜ばす嘘は、日常的に誰もが経験したことがあるんじゃないかなぁ。
この嘘は悪いことなのか?
もし全てを正直に、素直に言ってしまった場合、大変なことになるのではないか?
反対に、自分を喜ばす嘘とはどんなものがあるのか。
うーーーん、自分を喜ばすという定義が難しい。
誰しもが経験があるだろう「行きたくない誘いを断る」場面。
私はこれが苦手。
断らずに行ったらどうなるのか?
・行ってみたら意外と楽しい
・気を遣って盛り上げて疲れた
・偽りの自分で楽しむ
・楽しくもなく行ったことを後悔する
体験談だけど、誘いを断れないことによって、結果的に自分自身を守れていないんだよね。
じゃあ嘘をついて行かなかったらどうなるのか?
・自分の時間を確保できてハッピー
・新しいことを始めるきっかけになるかも
・偽りの自分を演じなくて良い
結果的に自分自身を守れている気がする。
嘘をつかなくても断れるのかもしれないけど、正直に「あなたと会いたくないから行かない」と言える人はどのくらいいるのだろうか?
ここまで考えてもしっくりこない。
なんとなーく、ついても良い嘘はありそう。くらいだった。
<嘘による未来>
とある例を3つ出して考えてみた。
①ギャンブルがしたい
②仕事をさぼりたい
③誘いを断りたい
嘘をつく時の共通点としては、自分の欲が関係してくる。
そして、嘘には「破滅につながる嘘」と「希望につながる嘘」の2種類があるのではないかと考えてみた。
①ギャンブルがしたい
破滅的:依存症で借金まみれになり家庭崩壊
希望的:ストレス発散になり家庭円満
②仕事をサボりたい
破滅的:サボり癖がつき堕落し何事にもやる気がでない
希望的:体のSOSを受け取り大事に至らない
③誘いを断りたい
破滅的:断り続けた結果良い人間関係さえも築けない
希望的:会いたくない人に会わなくなることで悪縁が切れる
こう考えると、時には自分を守るための嘘も必要なんではないかと思えた。
嘘=悪として考えるのではなく、
破滅につながる嘘=つかない
希望につながる嘘=時についても良い
としても考えられる。
希望につながる嘘と判断をしたならば、そこに罪悪感を感じる必要はない。
大前提!!
人を傷つける嘘はいけないという考えは変わらないけど、”正直に素直に”が正しいわけでもない。
この考えが強すぎてしまうと、時に自分を守れないこともある。
以上。昨日書き出したノートを参考にまとめてみました!
完全に個人的な考えなので、正しい正しくないについては置いといて、現時点では”嘘による未来”がしっくりきている。
1年後、3年後、10年後は、まったく違う考えをしているかもしれないけど。
もしいつか自分の子どもに出会えたときに、
頭ごなしに嘘はだめなこと、と教えるのではなくて、どんな嘘がだめなんだろう?と一緒に考えたいな。
きっと答えはないだろうから。
一旦スッキリしております!笑