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選択

夏の暑さが過ぎ去り、秋の訪れを感じる。
心地よい気候。

人生には、選択する場面がたくさんある。
自分で選択ができるということは、自立とも大きく関わってくると思う。

今までの私は、自分で選択をしてこなかった。
習い事、進路、仕事、すべて親の顔色を伺って選択をしてきた。
親からみた私は「選択ができる子」だろう。
でも自分ではそう思っていない。

2つの道があり、どちらかを選ばなければいけないときには、親の喜ぶであろう道を選択してきた。
これには、幼少期に感じていた父からの無言の圧力が、大きく影響している。
父にとっての正解を選ぶと喜んでくれる、不正解を選ぼうとするとムッとした表情や態度を感じる。
この繰り返し。

そうすると、無意識に父の喜ぶ選択=私の進む道として脳が錯覚する。
恐ろしいことに、今までその違和感に気が付かなかった。
気付けないくらい、親の言っていることは正しいと思っていた。

誰しも親を信じたいもの。
嫌われたくないし、大切にしたい存在。
ただ、親だからといって信じすぎてしまうと、本来の自分らしさを見失ってしまうのかもしれない。

離婚を機に、自分の家族、思考、価値観、たくさんのことと向き合った。
特に家族と向き合うことは、きつかった。

うちの家族はいたって普通で、どちらかと言えば仲の良い家族だと周りから言われていた。
だからこそ、違和感に気付かなかった。気付けなかった。

この1年間で何度もぶつかって、壊れかけて、バラバラになりそうなこともあったけど、必要な時間だったんだと思う。
以前のように、ただの仲の良い家族ではなくて、一線は引いているけど、お互い前進するために相手を信じることを家族全員が学んでいるのではないかな。

私と親に必要だったのは、物理的な境界線ではなくて、心理的な境界線だった。

心の叫びを声に出して伝えたら、私がおかしくなったんじゃないかと疑われた。
それは逆で、本来の私を取り戻しているんだよ。

ぶつかっても、修復できると思っている。
時間はかかるかもしれないけど、根拠なき自信がある。
自分を信じられるようになると、不思議と相手も信じられるようになるんだろうな。


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