#3 夫婦世界一周旅行は、一冊の本から始まった。
350点満点中、あと2点。
その2点さえ取っていれば大学に受かっていたのだ。
それだけじゃない。本命の監督コースは受からないだろうと思って、志望コースを撮影コースに変えていた。
あろうことか、この年だけは合格最低点数が撮影コースの方が高かった。
つまり、僕は素直に監督コースを受けていれば、浪人しなくて済んだのだ。
運命のいたずらを感じずにはいられない。
なぜなら、これが夫婦世界一周のきっかけだったからだ。
・・・
どう考えても家で受験勉強をできる気がしなかった僕は、高校とつながりのあった長野県上高地の山小屋で住み込みバイトを出来ないか考えた。
夏の短期バイトは高校三年の時に経験していた。
頭も冷やせて、同時にお金も稼げる。
誘惑の少ない森の中なら英単語も頭に入るだろうと思っていた。
せめてストレートで大学に行った人とは違う体験をしたかった。
ところが、山小屋に電話してみると夏の繁忙期以外は短期間の求人を取っていないという。
がっかりして他のリゾートバイトの求人を探していると、数日後山小屋から電話がかかってきた。
「スキーで骨折しちゃってバイト出来なくなった人が出たから、ピンチヒッターで数ヶ月だけバイトできるかしら?」
願ったり叶ったりだった。
あれよあれよといううちに山小屋バイトが決まり、4月の山開きから6月までの山小屋バイトが始まった。
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山小屋の1日は朝早く、夜も早い。
7時半には消灯して、屋根裏の小さな半個室で長い夜を過ごすことになる。
家から持っていける荷物はそう多くなかった。
母から映画の勉強用に持たされた洋画100選のDVDセットと、行きがけに数冊の本が僕の娯楽用品だった。
中学3年生の時に突如読書に目覚め、本を読むことは好きだった。
当時本屋で特集されていた奥田英朗・重松清・石田衣良・島本理生・西加奈子あたりを経由したのち、吉本ばななにたどり着いた。
読みやすいのに、もっとも文章をメモしたくなる作家だったからだ。
本屋でちょうど前に出されている新刊を買った。
新刊の名前は「サウスポイント」といった。
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上高地の標高は1500m。季節は下界と2ヶ月ずれているという。
5月の上高地にはまだ冬の気配が残っていた。
それでも、日中になると屋根裏の部屋はひどく暑くなった。
そんな中で読んだサウスポイントに、僕は文字通り熱に浮かされてしまった。
サウスポイントはハワイ島の最南端にあるサウスポイントを舞台にした、男女の恋の話だ。
壮大というよりもしっとりと話が続いていき、ああいい本だったなと終わりそうな普通の本に見えた。
でも僕は、本を読み終えた時にそわそわが止まらなかった。
なんだろう、この感じ。
体全体が何かを伝えている気がした。
立ち上がることも出来ない狭くて暑い屋根裏で、僕は目を閉じサウスポイントという場所に思いを馳せた。
サウスポイントの絶壁で青い海を眺める自分を想像した。
そして、浪人が考えてはいけないような酔狂なことを思いついた。
バイト代全部つぎ込んで、ここに行ってみようか、と。
人生初の海外旅行だった。
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サウスポイントまで行こうにも、どこにも行き方が書いてない。
頼りにしていた地球の歩き方さえ「路面が悪いのでレンタカーでは行けません」という答えになっていない案内しかなかった。
オアフ島に着いてから、サウスポイントに行くことの難しさを痛感していた。
ハワイが複数の島で形成されていることを知らなかった。
それでも、もうオアフ島にいるのだ。あとには退けない。
ユースホステルの共有パソコンで、サウスポイントの最寄りにあるサウスポイントホステルという宿に電話をした。
電話をして出てきた人は、日本人の奥さんだった。
不思議な縁もあることだ。縁に任せて行けるところまで行こうと心に決めた。
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サウスポイントホステルは、もともとハワイ島で有名な柑橘タンジェリンの収穫労働者が暮らす宿舎だった。
様々な問題があって、今はほとんど使われていないという宿舎は、サウスポイントにつながる一本道の道端にあった。
周りにはスーパーもコンビニも自販機もない。
車のない僕には身動きが取れない場所だった。
暗くなる頃に宿に着くと、先客がいた。
30代のドイツ人夫婦だった。
なんの仕事を聞くと今はしていないんだと言って、続けた。
「僕たちは2年間夫婦で世界一周をしているんだよ」
もう夜は遅かった。
興味はあったけれど、英語に慣れていない僕は話を続けられず、また明日聞こうと寝ることにした。
翌日になると、そのドイツ人夫婦は宿を出た後だった。
広い宿舎で一人になった僕は、宿に置いてあった賞味期限切れのカップヌードルをすすりながら昨日のドイツ人夫婦のことを考えていた。
世界一周をしている人に会うのははじめてだった。
てっきりものすごい旅人のような人たちがやっているのかと思っていた。
夫婦で仕事をやめて旅行に行く気持ちとはどんなものなのだろうか。
とても楽しそうだった。あの人たちは次にどこに行くのだろうか。
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サウスポイントは、風と風車が印象的な場所だった。
でもここに行き着くまでのめまぐるしい展開に比べたら、そこまでの感動は訪れなかった。
何かが足りない気がした。
僕をヒッチハイクでサウスポイントまで連れてきてくれた家族は、暗くなる前に帰ると言う。
吉本ばななのサウスポイントに出てくるクライマックスは、サウスポイントの夕日なのだ。
でも足が無ければ帰ることもできない。
ピックアップの荷台で揺られながら三菱製の錆びた風車を眺めていた。
足りないものが分かった気がした。
僕はこの感動を誰かと共有したかったのだ。
ドイツ人夫婦のことを思い出した。
まだ見ぬ誰かと、ここにもう一度来ることを想像した。
不思議と、不可能ではない気がした。
・・・
はじめてサウスポイントに訪れてから9年たって、僕と妻は夫婦世界一周旅行をした。
そして、サウスポイントの夕日を一緒に見た。
僕たちにとってもっとも印象に残る地点になった。
ペットとの死を乗り越え、9年ぶりに日本人の奥さんに出会い、夫婦としての理念を形成した地点になった。
僕にとって世界一周の目的は、世界一周ではなく、ここを夫婦と一緒に見ることだったのだと気づいた。
人生をつなぐ糸というのは、本当にあるのだなと思う。
大学に落ちたこと、山小屋でバイトをしたこと、母親から吉本ばななを教えてもらったこと、浪人したから妻と出会えたこと。
その都度、運命を変えた大きな分岐点があった。
でも共通していたのは、その分岐点で進んだ道はすべて「やったこと」だった。
バイトをしなければ、本を買わなければ、ハワイに行かなければ、ドイツ人夫婦と話さなければ、ヒッチハイクしなければ、結婚しなければ、お金を貯めなければ、仕事を辞めなければ。
選択肢は運命のいたずらがもたらしてくれる。
やるかやらないかだけが、自分に託される。
僕はサウスポイントを読んだあの日、自分の人生を変える大きな道が目の前に現れた。
その道の先がどこに続いているか教えてくれる人はどこにもいない。
でも、その先には不思議な世界が広がっているのだ。
僕たちの世界一周の記事をまとめています
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