2025年

価値のない世界に絶望する人々

 というのが25年に関する話題を引き起こしてる原動力だと一応自分も思ってるんですが、「25年問題は集団的無意識によるものである」と言ったら多くの人が鼻で笑うと思います。実際のところ、殆どの人はこの価値のない状況について、単に自暴自棄や放棄や破棄を望んでいて、そういう人たちが状況の悪化に連鎖的に反応したところ、あ、やっぱり!!みたいになってんだろうな、と自分も思ってはいたんです。実際、大部分はそうだと認めた上で、自分も彼らとは違うけど何かあるような印象は受けてるんです。

25

 という数字は「変化」を意味するのだそうです。ええ、ただのオカルトですけどね。ただ、自分はそこだけをよりどころにしているわけではありません。問題視してる人たちの言葉を真に受けているだけでもありません。ある将来、日本は変わり果てています。「存在している」というところがポイントですが、これ日本??というぐらい変質しています。というより、世界そのものが今では想像できないほど変貌しています。現状目立っているいくつかの国は存在しておらず、日本も国と呼ぶのはちょっと無理があるかもしれないというレベルになってます。

変化の理由

 自分は変化の理由を知りません。そこに至るかどうか、それもわかりませんが、仮にそうだとするなら、あの世界に至るには、そこに至る激変の原因がなければなりません。令和を風の時代と呼ぶ人がいましたが、自分は「水の時代」だと思っています。令和に入って至る所で歪みや軋みが顕在化し、様々な問題が露呈し、さながら全方位を襲う津波の中で誰もが溺れているといった風情です。そして、ぼくが令和元年に直感した予感は「令和は動かないものを全て押し流す」というものです。

勝ち組

 これを読んで嘲笑ってる人は、恐らく勝ち組なのでしょう。言い換えれば、それも根拠の1つなのです。なぜなら、「勝ち組は変化に対して積極的に動いている」ということです。言い方を変えると、「泳いでいる人は溺れない」のです。溺れるのは変化に対して動かず、泳がない人です。自分で言っといてなんですが、ネットの詐欺広告みたいですね。大丈夫です。何も売りません。お約束します。

動かないもの

 人もそうですが、物件とか国なんかも多分そうです。あらゆる動かないものを波が遅い、押し流します。飽くまで主観的憶測だと断言しておきますが、もし自分の予感が正しいならば、物件買うのはやめたほうがいいです。

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