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映画「フリー・ガイ」がめちゃくちゃ面白かったはなし

 「“フレンドリーなあいさつ”!」

 今更ながら映画「フリー・ガイ」を観た。観終わったあと、なぜもっと早く観ておかなかったのだろうと後悔した。

 何が良いって「オタクは現実を見ろ」みたいな説教臭いオチにならなかったところ。現実世界とヴァーチャル世界を比べてどちらが良いか悪いかとか、どちらが大切かそうでないかとか、上か下かとか、そういう安易な結論にたどり着かなかったところ。むしろこうして現実世界とヴァーチャル世界を分けて考えること自体がもはやナンセンスなのかもしれないが。

 現実世界もヴァーチャル世界も、今までと同じように(もしくは今までより良い形で)続いていく。どちらも同じくらい捨てたもんじゃない、という終わり方。前述の「オタクは現実を見ろ」みたいな作品だと、ヴァーチャル世界はたいてい破壊されて終わる。そして二言目には「逃げる場所はなくなったから現実に帰れ」とくる。余計なお世話ってやつだ。

 主人公が「現実に不満があるからヴァーチャル世界にのめり込んでる」といったようなステレオタイプな人物像でなかったのも良い。現実世界に不満がなくとも、楽しいものは楽しい。あるものをあるものとして、偏見を混ぜずに作られた世界観は評価されるべきものだ。

 自分がヴァーチャル世界の作られたモノに過ぎないと気づいた主人公に対して、友人はこう言う。「リアルじゃないのがどうした?」「自分の存在がリアルでなくとも、困っている親友を助けようとしている今この瞬間はリアルだ」と。主人公にしても友人にしても、しょせんはゲーム内のモブキャラクターにすぎない。けれど誰かのことを心から想って、何かをしてあげたいと感じる気持ちは本物だ、と人間ではないキャラクターが言ってくれることにとても救いを感じた。しょせんは現実じゃないから偽善だとか、匿名だからことさらに自分をよく見せようとしているとか、そんな風に言う人だっているだろう。だが彼らはそんな打算などする必要のないモブキャラクターで、とても純粋な存在だ。そしてその姿を見て、人々もこうありたいと考える。それがとても嬉しかった。

 しょせんゲームだから、で片付けることは簡単だ。だからこそ、この作品のヴァーチャル世界でもモブキャラクターたちはただひたすら蹂躙されるだけの存在だった。だがそれは間違っていたと、周りの人間たちもモブキャラクターたち自身も気づくことが出来た。そして間違っていたことは、正してやり直すことが出来る。現実世界でもヴァーチャル世界でもそれは同じ。とても希望のある終わり方だ。

 とりあえず、ゲーム内のモブキャラクターには優しくするところから始めようと思う。

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