カッコいい大人への憧れが止まらなくなる劇場版忍たま乱太郎ドクタケ忍者隊最強の軍師感想
評価:4.7
ネタバレあり
アラフォーの年期の入った腐女子ではあるものの、ジャンルとして忍たまにいたことはない。
また初恋はTRIGUNのヴァッシュ・ザ・スタンピードということにしている。
つまり土井先生ではない。
なので「忍たま乱太郎」に対して強い思い入れがあるということもなく、
「子供の頃たまに見てた」くらいの距離感だった。
なので土井先生をメインに据えた新しい劇場版をやるときいても、
去年(厳密にはおととし)ゲゲゲの鬼太郎の劇場版(ゲゲゲの謎)がオタク女子たちに激ハヤりしたことを受けて柳の下のドジョウを狙っているのだろうと斜に構えていた。
オタク女だからって、こんな見え透いたマーケティングにつられたりしないんだからね!と。
が、公開が始まって感想が流れてくると、
どうも面白いらしい……
公開前から話題にはなっていたので、
その期待を裏切らなかったというだけでも、
大したものだなと意外に思った。
え〜なら見に行くぅ?
ということで、重い腰を上げて観に行ってきた。
時間の都合上、
平日月曜の朝8時台とかいう狂った時間帯の上映回に行ったが、
公開初日からもう1ヶ月経つのに1割くらい席が埋まっていた。
人気がありすぎるだろ。
しかしその客入りもある種納得、
というくらいクソ面白かった。
感想書きますが、途中キモい女オタクの萌語りになってしまったので、そういうのがキモいと思う人は読まないで帰ってください。
子供向けコメディと本格歴史アクションのバランスが絶妙
味に例えて言うと、
わた菓子みたいな子供向けの素朴な甘さと、
アサヒスーパードライ系のビールのような爽快な辛さとがあり、
バランスが絶妙でずっと面白く見られた。
なんか朝8時台とかいう狂った時間の上映回を観に行ったこともあって寝不足で、あまり体調が良くなく、
映画館のでかい画面のでかい音にさらされて、
こんな体調の時に映画とか見てよけい体調悪くならなったらやだな〜、という一抹の不安を抱えながら見た。
でも実際に見ていると、
忍たま乱太郎らしい、
小学生の子供でも笑っちゃうようなシンプルなギャグ(分かりやすいボケにみんなズッコケるみたいな)に自然に笑わされていくうちに、
肩の力が抜け、途中から体調が良くなっていった。
そう、忍たまってこういうアニメだった。
1年は組のポンコツ見習い忍者たちが、
お間抜け、おとぼけな学生生活で笑わせてくれる。
そういうほのぼのした、牧歌的な、子供向けアニメ……のはずだった。
ハードボイルドな忍者アクションパート
当たり前過ぎて見落としがちだが、
見習い忍者たちによるこのギャグマンガの舞台は「忍術学園」であり、
タイトルにもなっている「忍たま」とは「忍者の卵」のことである。
では「忍者」とは何か。
忍者とは、
ここ日本において過去の権力者の政治活動を隠密に実行してきたロビイストであり、スパイであり、諜報部隊であり、軍事組織だ。
つまり、忍者があるところには権力者の為政行為があり、為政行為の中には当然、戦争がある。
その際に前線に立って命を張るのが忍者だ。
そのようなシリアスな役割を政治において担う者、を育成する機関、が「忍術学園」。
そう考えると、
この忍たま乱太郎という作品が、
平和な現代の社会で、
毎日学校から帰ってきた子どもたちが楽しみにするエンタメとして広く受け入れられてきたことが意外にすら感じる。
今作はそういうシリアスな「忍者」という存在を、
子供向けだからといってマイルドにぼかすことなく、
ギャグアニメだからといって茶化すこともなく、
戦争において前線に立つ者、
外交において諜報行為を行う者として描いていた。
それがめちゃくちゃカッコよくて……
特に、「優しい先生」の記憶をなくした土井先生が、
上級生の6年生を怪我させるところ!
……が、めちゃくちゃ怖かった!!
あのシーンがあったおかげで
「この映画ここまでやるんか……!」という緊張感が一気に充満した。
年上の者すべてがロールモデルだった子どもの頃の気持ちを思いだした
忍術学園1年は組のボケにいつもツッコんでいる、
子供向けアニメの登場人物としてすっかりお馴染みの、無害な、牧歌的な存在の、
土井先生や、山田先生、校長先生が、
ギャグマンガの登場人物としてではなく、
キャリアある忍者としてシリアスに描写されていたのがカッコよすぎてシビれた。
忍者のカッコよさ、という点では、
今回、ドクタケ忍者や冷えた八宝菜さえも忍者らしくて冷徹で隙がなく、カッコいい悪役の一面を見せていたのも良かった。
私はテレビ版で見た記憶がなかったのだが「ざっとこんなもん」先生のカッコよさは言わずもながなだ。
それから「上級生」たちのカッコよさにたまらないものがあった。
そう、今思いかえすと意味がわからないのだが、
自分が小学校1年生の時に感じた、上級生、
それも小学校6年生へのあの憧れをそっくりそのまま思い出させられた。
小学校1年生の時に見上げた小学校6年生のお兄さんとお姉さんの、余裕というか、気だるさというか、こなれている、オトナな感じ。
大人になって思い返せば、小学校6年生なんてただの子供なのに、なんであの頃は6年生があんなにカッコよく見えたのだろう。
それに合わせて、本当にどうでもいい話だが、
大人になった自分のまわりの人の認識についても考えさせられてしまった。
映画を見ながら、自分もいつしかこの「目上の人に素直に憧れる」気持ちをすっかり失っていたことに気付かされた。
それはすなわち、自分が傲慢になっているということの一つの証左ではないかとも。
大人なっても、小学校1年生の子どもが身近な大人に抱くみたいな素直な憧憬を、周囲の人に対して持ったっていいはずだ。
それこそ職場の同僚全員に、
私より上手くできることが何かしらある。
なのに、いつまでも同僚の仕事のミスの尻拭いに奔走させられたことを覚えていてキレ続けるのでは勿体ない。
そうではなく、同僚たちの良い部分を常に「スゲーッ!」「カッコいいー!」と素直にそのまま尊敬する心を持てたら素敵だなとか、そういうことを考えた。
まぁ、私の職場の愚痴はともかく、
この6年生たちが、土井先生と対峙するシーン、
成熟したアスリートみたいに、向かうところ敵なし、ほぼ天下無双の美しい青年である土井先生に対して、6年生が真正面から健闘するシーンのアツさといったら!
シリアスな場面なので不謹慎だが、
実際には憧れ✕憧れの夢の対決(ドリームマッチ)であり、きり丸だけでなく映画館の座席にいる私までテンションが上がってしまった。
また、6年生だけでなく、5年生もカッコ良かった。
「6年生ほどカッコよくはないものの、1年生から見たら、6年生の次にカッコいい存在」としての描き方が絶妙だった。
なんでこんなに小学校低学年が見上げた上級生のカッコよさの描写が異様に上手いのか謎だ。
忍たまってそういう作品なのかな。
土井先生はなぜセクシーなのか
オタク女子の初恋を奪いまくるキャラクターとして有名すぎる土井先生だが、
ジャンルとして経験していなくたって、
土井先生がカッコいいことくらい、私だって知っている。
しかし冒頭にも書いた通り、
「オタク女子ホイホイ」を前面に出されると警戒する。
ちょっとカッコいいくらいで軽率に沸いたりしないんだからね!とみぞおちに力を入れていた。
が、予想をはるかに上回る土井先生の魅力的な描き方に、抵抗も虚しく普通にやられて帰ってきた……
どこが刺さったのかというと、やはり記憶をなくして6年生に襲いかかるシーンだろう。
このシーンの何がそんなに問題なのかというと、
土井先生が凄い忍者である、という描写がテレビアニメではほとんどされないので、(私が見たことないだけだと思う)
まず、こんなにすごい男だと知らなかった。
そのギャップ。
ということはつまり、普段は己の本質を子供たちのために理性で抑えている、ということだ。
これが物語のあらすじの通りの出来事があって、
土井先生は教え子の6年生に対して手加減せずに襲いかかる。
それは普段の理性的な優しい土井先生であれば
考えにも登らないことであり、
それはすなわち、今は理性が利かなくなっているということであって、
すなわち、自分では望まない、やりたくないことを、洗脳されてしまって、
本人の意に反し、
本能的に身体に起きる反射行動だけを取らされている状況ともいえる。それも、若く美しい男が……
これは、セクシーではないだろうか……?
それだけじゃなく、
めちゃくちゃ頭いいのに、
ドクタケ忍者の作り出した花とゆめみたいな作風の耽美系マンガによるプロパガンダに簡単に影響を受けて素直に信じるところが可愛い過ぎる。
あのくだりは個人的に死ぬほどツボで、
どちらかと言うとおバカなおマヌケ忍者と思っていたドクタケ忍者が「マンガ原作でプロパガンダ」という賢い戦略を取ってきたところがそもそも意外で面白かったし、
その中で自分たちを耽美キャラとして美形キャラにする図々しさが愛おしいし、
それを捕虜に読ませるだけのお手軽な洗脳、
という非常に雑というか適当な戦略で済ますところがドクタケ忍者らしくて、やっぱり楽しい。
このくだりはあまりに面白くて、映画館でくの字になって笑ってしまった。
とまぁ、本作は土井先生が理性にあるか?ないか?
というその境界線がずっと描かれるわけで、
そしたら、それは
セクシーに見えるじゃないですか……
また、どうでもいい話だが、
忍たまの世界がこんなにも無慈悲で暴力的であるということがわかってしまうと、
当然、戦場で命の危険を感じ、心に傷を患うような子たちも出るのではないか?と心配になった。
私は腐女子なのだが、
心に傷を抱えた年端もいかない少年を複数擁する、寄宿舎の男子校……
って大丈夫なんですか?(何が?)
それにしても
夜、不安で眠れない子がいるとか……
誰かに抱きしめてもらわないとどうにもならない子がいるとか……
そういうことになりませんか?
え、ならないですか?
ヤバい、妄想が止まらない……
え、これ、刺さってますか??私に??
忍たまが??
あ、いや、女子部もありましたね、そういえば……
無力な子供に日本のポップカルチャーから送られるエール
萌語りはこれくらいにして、
今作の感動した点の感想に話を戻すが、
例えば、「ポケットモンスター」という有名なゲームがある。
ポケモンはいつも母親のいる実家から旅立つところから物語が始まる。
10歳の子供に親元を離れさせ1人で世界を旅させる、
なんてのは常識的に考えたらもちろん無謀だし危険だ。
でも、初代ポケットモンスター赤緑が発売された当時11歳だった私に、
この「10歳の子供が親から離れて1人で冒険する」物語が強く心に訴えてきたことを覚えている。
今になって思えば、
それだけ親が一生懸命子育てしていたということなのかもしれないが、
人として、自分の力で生きた経験がなく、
それゆえに強烈な無力感を抱えていたから、
こうして歳の近い子供が旅立ちを迎えるシーンに強く惹かれたのではないかと。
ポケモンとはそういう子供らしい無力感を抱える子供たちに、夢を与える物語になっていると思う。
話を忍たまに戻す。
今回の忍たまは暴力、戦闘、戦争の描写が非常に辛口かつリアル志向な作品だった。
すなわち、忍者としての単純な実力差についてもキャラクターの重要度によって下駄を履かせたりせず、リアルに描いている。
つまりは、作中では強さの序列として、
成熟した大人の忍者である土井先生や山田先生、ざっとこんなもん先生が最も強く、
その次に成熟している、忍術学園OBが強い。
次いで6年生が強く、
その次に5年生が強い。
つまり、私たちのよく知る、
乱太郎・きり丸・しんべぇの属する1年は組の子どもたちが、
一般人を除くと作中で一番弱い。
それなのに、
6年生や5年生が苦戦して、怪我までさせられて帰ってきた戦況に対し、
は組のみなが立ち上がり、みんなで力を合わせて戦おう!と決意するシーンはアツくもあるのだが、
大人として、
この子たちに一体何ができるのか?
無慈悲な戦場でなすすべなく、ただなぶり殺されてしまうのではないか?とヒヤヒヤした。
これが徹底したリアル路線の忍者映画だったら子どもたちは殺されていたかもしれない。
でも当作では、
1年は組の子どもたちが1年生の子どもなりに、戦術を練り、知恵を絞って、望む戦果を得るために、敵の陣地で忍者らしく活躍していた。
本作は戦術の複雑さの書き分けも絶妙で、
本作最大の魅せ物である「ドクタケ忍者隊最強軍師」こと「天鬼」こと「土井先生」の巡らせる高度な謀略と比べると、
は組の出す策は明らかに規模も小さく稚拙なのだが、
ちょっと抜けたところのあるドクタケ忍者たちの拠点においてはちゃんと効果を発揮し、戦績を上げる。
このプロットが本当に爽快で夢がある。
親がいなければ自分は何もできない、と、
うっすら自覚している子どもたちに、
同年代の見習い忍者たちがきちんとやれているところを見せてくれる。
そんな夢を与える楽しい物語のご相伴にあずかれて、大人としても本当に楽しい気持ちになった。
そしてこの一番弱い1年生が活躍できただけでなく、
もちろん5年生も、
6年生も、OBも、
先生たちも、
みんな忍者として、やるべきことをやっていた。
誰一人足でまといがいない、
登場人物たち全員が忍者として有能である、と描かれる。
給食残すと怒られる、ほのぼのとした学園生活を描いているギャグマンガの舞台だと思っていた忍術学園だが、実はエリート校だった、なんて。
なんてカッコいいんだろう。
一流シェフが作ったお子様ランチ、そりゃ大人も食べたいよ
こういうところをはじめとして、
「子ども」が楽しめるようにしよう、
絶対に子どもを置き去りにはしないぞ、という不退転(ふたいてん)の決意を感じた。
いくら、大人の女性ファンが多いと言われる作品で、特に女性人気の高いと言われる土井先生をメインに据えた劇場版とはいえ、
大人向きには作らないぞ、と。
そういう気合いがいいな、と思った。
日本の子供向けアニメは昔から、
大人が全力をかけて子供のために作ってきた。
いや、アメリカでもそうなのかもしれないが……
ともかく、そうやってセンスある大人が全力で作った子供向けアニメであれば当然、大人の心まで掴めてしまう。
結局「子供向けアニメ」というチープっぽいラベルがついてはいるだけの、ただの立派な一つの芸術作品に触れたのだから当然なのかもしれない。
それでたまに性癖まで歪められることもあるが……
ともかく、大人になってからも自分の芸術的感性の下敷きにできる子供向けアニメ作品という、一流の芸術作品に幼いうちに触れることができる日本の子どもは豊かだと思う。
そういう点で、私も子どもの頃楽しんでいた「忍たま乱太郎」で、今こんなハイクオリティな劇場版やってたら。
きっと今の子どもたちも忍たまのこと、好きになるだろうなと。
そしてきっと、自分の子どもたちにも見せるようになるだろう。
コンテンツに栄枯盛衰はつきものだが、
「忍たま乱太郎」や「コナン」はこうして、
あらゆる世代をファン層として内包しながら、次の世代にも引き継がれていくのだな、と感じた。
欠点がない
最後になにわ男子による勇気100%が元気よく流れ、
何もかも完璧な幕引きとなった。
そう、この曲が聞きたかった!
この映画を何かに例えると、
学生時代に頭良い友達っていたじゃないですか。
なんかその子って偏差値が60くらいあるんだけど、
見た目も良くて、清潔感あって、
性格も良くて、優しくて、
なのに明るくて、面白くて、
一緒にいるといっつも楽しい友達。
オメー欠点ねえのかよ!って思わず突っ込んじゃうそんな友達。
そういう友達みたいな映画でした。笑
そういうわけで、
これまで腐女子ではあったもののハマることはなかったジャンル、
「忍たま乱太郎」が今めちゃくちゃ刺さっている……
もしかしてこのままハマるのかな?
イヤだ!アラフォーで忍たまなんて業が深すぎる!
(すでにハマっている人に失礼すぎる)
誰か!!助けて!!!!!!